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EP 8

死蟲機ネクロバグの急襲と、白狼の絶対守護

豊穣祭の甘く熱い夜から一夜明けた、翌日の午前。

「……仕事よ! 私には領主としての仕事が山積みなんだから!」

私は領主の館の執務室で、パンパンと両手で自分の頬を叩き、気合を入れ直していた。

昨夜のユリウス様からの、甘すぎる言葉と手の甲へのキス。思い出すだけで顔から火が出そうになり、書類の文字がまったく頭に入ってこない。

前世から数えても、あんなにストレートに好意を向けられたのは初めてだ。

『君の描く理想の隣に、一人の男として立ちたい』だなんて、破壊力が高すぎる。帝国最強の騎士様は、戦いだけでなく口説き文句も最強なのだろうか。

「あーもうっ! 煩悩退散! 今は冬に向けた流通網の整備計画を立てなきゃいけないの!」

「リゼ、顔が真っ赤ですよ。熱でもあるんですか?」

「な、ないわよ! 健康そのものよ!」

ニヤニヤと笑いながら紅茶を運んできたセリアから目を逸らし、私はタローマン製のボールペンを握り直した。

有能なコンサルタントたるもの、公私混同は厳禁だ。恋愛感情らしきものに振り回されて、領民の生活を疎かにするなどあってはならない。

私がどうにか仕事モードに切り替えようとした、その時だった。

カンカンカンカンカンッ!!!

けたたましい警鐘の音が、村の広場から鳴り響いた。

ただ事ではない。私は椅子を蹴立てて立ち上がり、窓の外を見た。

「領主様! 大変です!!」

血相を変えた自警団の若者が、館の庭に駆け込んできた。

「北西の森から、魔物の群れが! 『死蟲機ネクロバグ』の大群です! まっすぐこの領地とポポロ村の境界に向かってきています!」

「死蟲機ですって……!?」

死蟲機。神話の時代、『死蟲王サルバロス』が生み出したとされる、機械と虫が融合した悍ましい怪物たちだ。

普段は古いダンジョンの奥底に潜んでいるはずの彼らが、なぜ突然、この辺境に大群で押し寄せてきたのか。

「……リゼ。ユリウスの部隊が、すでに国境線で迎撃態勢に入っています。しかし、数が多すぎます。一部が防衛線を抜けて、村に到達するかもしれません」

神狼の聴覚と嗅覚で戦況を把握したセリアが、鋭い声で告げた。

それを聞いた瞬間、私の頭から昨夜の甘い余韻は完全に吹き飛び、極限状態の『仕事モード』へと切り替わった。前世で、大規模な物流トラブルと納期遅延のパニックを何度も乗り越えてきた、社畜の危機管理能力がフル稼働する。

「セリア、村人に避難指示を! 広場の集会所を野戦病院にするわ。自警団には、村への入り口にバリケードを築くよう伝えて!」

「承知しました。……リゼはどうするのです?」

「私は負傷者の受け入れ態勢を作る! 戦闘はユリウス様たちプロに任せるわ。私たちがやるべきは、後方支援と人命救助よ!」

私は作業着の袖をまくり上げ、救急箱を掴んで館を飛び出した。

村の入り口付近は、阿鼻叫喚の地獄と化していた。

遠くの森の境界線では、ユリウス様が『魔闘氷剣士』の異名通り、巨大な氷の防壁を立ち上げ、無数に群がる巨大な機械蟻『死蟻機ネクロアント』や、空を飛ぶ『死蜂機ネクロワスプ』を次々と凍りづけにして粉砕していた。

「一匹たりとも通すな! ここは彼女の領地だ、絶対に守り抜け!!」

ユリウス様の号令のもと、国境守備隊が必死の防衛戦を繰り広げている。

だが、敵は痛覚を持たない機械の魔物だ。圧倒的な物量で押し寄せ、防壁の隙間を抜けてきた個体が、自警団や兵士たちに牙を剥く。

「ぐあっ……!」

「怪我人を後方へ運べ! 急げ!」

血を流した兵士や自警団の村人たちが、次々と広場の集会所に運び込まれてくる。

初めて見る凄惨な光景に、村の女子供たちはパニックを起こして泣き叫んでいた。

「落ち着いて!! パニックにならないで!!」

私の張りのある声が、騒然とする集会所に響き渡った。

「歩ける怪我人は緑の布のエリアへ! 出血が酷い人は赤のエリアへ運んで! 誰か、清潔な水と布をありったけ持ってきて! 傷口から機械の毒が入るわ!」

私はタローマン製のハサミで怪我人の服を切り裂き、的確にトリアージ(重症度分類)を行っていく。

どんなに恐ろしくても、ここで私がパニックになれば、助かる命も助からない。現場のトップが冷静さを失うことは、組織の崩壊を意味する。

「【善行通販】、起動! ポポロ村特産『月光薬』の濃縮ポーションと、医療用滅菌ガーゼ、それから止血帯をありったけ!」

惜しみなく善行ポイントを消費し、大量の医療物資を召喚する。

私は泥と血にまみれることも厭わず、次々と怪我人の傷口にポーションを振りかけ、包帯を巻いていった。

その鬼気迫る、しかし絶対に命を諦めない私の姿を見て、怯えていた村人たちも次第に落ち着きを取り戻し、救護の手伝いを始めてくれた。

「大丈夫、私が絶対に死なせないから! 痛いけど少し我慢してね!」

「領主、様……っ。あ、ありがとうございます……」

兵士の手を強く握りしめながら、私は必死に声をかけ続けた。

その時だった。

「キシャアアアアアッ!!」

耳障りな金属音とともに、空から巨大な影が降ってきた。

前線の氷の防壁を飛び越えて侵入してきた、カマキリ型の死蟲機、『死蟷螂機ネクロマンティス』だ。

鋼鉄すら切り裂く巨大な両腕の鎌を振り上げ、ネクロマンティスは最も人が密集している場所――すなわち、怪我人を治療している私の背後へと襲いかかってきた。

「危ないっ!! 領主様!!」

村人が悲鳴を上げる。

振り返った私の視界いっぱいに、無機質な赤い複眼と、死神の鎌が迫っていた。

逃げる暇などない。だが、私がここを退けば、背後にいる重傷の兵士が真っ二つにされてしまう。

(――絶対に、退かない!)

私は兵士を庇うように覆いかぶさり、目を閉じて衝撃に備えた。

しかし、その凶刃が私に届くことはなかった。

ガキィィィンッ!!!

凄まじい金属の衝突音が響き、突風が巻き起こる。

恐る恐る目を開けると、私の目の前に、銀色の長い髪を風に逆立てたセリアが立っていた。

彼女は、ネクロマンティスの巨大な鎌を、闘気を纏わせた『素手』で軽々と受け止めていた。

「……セリア!」

「リゼ。貴女は怪我人の手当てを続けてください。一秒たりとも、手を止める必要はありませんよ」

セリアは私を一瞥することもなく、冷酷な黄金色の瞳で眼前の機械蟲を睨みつけた。

彼女の背後から、巨大な白狼のオーラ(神気)が蜃気楼のように立ち昇る。

「私の主はね、誰よりも気高く、優しく、尊いお方なの。その主が今、命を救うために必死で汗を流している……」

ギリギリ、と。セリアが素手で握り込んだ鋼鉄の鎌が、ひしゃげる音を立てる。

「その尊い『善行』を邪魔する害虫は――塵一つ残さず、噛み砕いてあげるわ」

次の瞬間、セリアの姿が掻き消えた。

ドガァァァンッ!!

目にも留まらぬ速さの回し蹴りが、ネクロマンティスの胴体に直撃する。分厚い装甲が紙屑のようにへこみ、巨大な機械蟲は広場の端まで吹き飛ばされ、轟音とともにバラバラに粉砕された。

「……すごい」

神狼の真の力。その圧倒的な武の暴力に、周囲の空気が一瞬だけ静まり返った。

セリアはスカートの裾を優雅に払い、何事もなかったかのように私の横に戻ってくる。

「さあリゼ。次の患者が待っていますよ」

「え、ええ! ありがとう、セリア!」

私は再びハサミと包帯を手に取り、怪我人の治療に戻った。

どれだけの時間が経っただろうか。

前線のユリウス様と、後方のセリアの圧倒的な武力のおかげで、村の被害は最小限に抑えられていた。

しかし、敵は疲れを知らない機械だ。倒しても倒しても、森の奥から無尽蔵に湧いてくる。

「領主様! ダメです、ポーションも包帯も、もう底を突きます!」

「自警団の魔導ライフルも、弾切れです!」

絶望的な報告が次々と舞い込んでくる。

前線で剣を振るうユリウス様の部隊も、闘気の消耗が激しく、防衛線が少しずつ押し込まれ始めていた。

(このままじゃ、ジリ貧ね……!)

私は血だらけの手で、エンジェルすまーとふぉんの画面を開いた。

現在の善行ポイントは、ポポロ村との交易や村の復興で貯めた、天文学的な数値になっている。

いざという時のための貯金。領地をさらに発展させるための、私の全財産。

だが、それを『今』使わなくて、何が有能な経営者か。

(お金もポイントも、人の命を救うために使ってこそ価値がある!)

私は迷うことなく、画面の購入ボタンに指を添えた。

「全ポイント放出! これで、絶対に戦線を支え切って見せるわ!」

読んでいただきありがとうございます。

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