EP 7
月夜のダンスと、溶け出す氷
秋風が心地よく吹き抜ける夜。
私の領地の広場には、無数のランタンが飾られ、楽しげな音楽と笑い声が溢れていた。
今日は待ちに待った『秋の豊穣祭』だ。
私たちが泥まみれになって育てた『太陽芋』は、タローマン製の農具と愛情(と善行通販の肥料)のおかげで、信じられないほどの大豊作となった。
さらにポポロ村との交易も絶好調。広場にはポポロ村からの出店も並び、名物の『肉椎茸の炭火焼き』や、太陽芋から作られた芋酒『イモッカ』の甘い香りが漂っている。
「領主様! 今年は本当に信じられないほどの収穫でした! これなら冬を越すどころか、お釣りが出ますよ!」
「ありがとう! みんなが頑張ってくれたおかげよ! 今日はいっぱい食べて、いっぱい飲んでね!」
私は村人たちから次々と声をかけられ、笑顔で杯を交わしていた。
今日の私は、いつものタローマン製作業着ではない。セリアが見立ててくれた、村娘風の簡素だが可愛らしいワンピースを着ている。動きやすさを重視した結果だが、フリルたっぷりの窮屈なコルセットドレスより百倍マシだ。
「リゼ、あまり飲みすぎないでくださいよ。貴女、仕事は天才的ですけど、お酒の耐性はポンコツなんですから」
背後から、セリアが呆れたような声で忠告してきた。
彼女は神狼の耳と尻尾を隠すことなく、メイド服姿で私の護衛をしてくれている。手には、ちゃっかり肉椎茸の串焼きを何本も持っていた。
「大丈夫よ! 今日は特別なんだから! あぁ、みんなが笑顔で美味しいものを食べてる空間……これこそが究極のホワイト労働環境ね!」
私が胸を張ってイモッカ(ソーダ割り)のグラスを掲げると、ピコンッ、とポケットのすまーとふぉんが微かに震えた。みんなの幸せな感情が、着実に善行ポイントとして還元されている証拠だ。
音楽がアップテンポな曲から、少しゆったりとしたワルツのような曲調に変わった。
村の若い男女や、夫婦たちが手を取り合って広場の中央で踊り始める。前世で社畜だった私には、ダンスパーティーなどというリア充の極みのようなイベントは無縁だった。
「いいなぁ、みんな楽しそう……」
私が広場の端で音楽に合わせて体を揺らしていると、ふいに、周囲の空気が少しだけ静まった。
村人たちの視線が、広場の入り口に集まっている。
そこには、月明かりを浴びて静かに佇む長身の男がいた。
夜空のような深い色の軍服に身を包んだ、氷の辺境伯ユリウス・フォン・アルトハウス。
普段の戦闘用の重装備ではなく、少し着崩した礼装に近い姿だが、その美貌と圧倒的な存在感は隠しきれない。
「ユ、ユリウス様? どうしてここに……」
私が驚いて駆け寄ると、彼は静かに碧眼を細めた。
「北の国境守備隊にも、君から太陽芋の差し入れが届いてね。部下たちが大喜びで宴会を始めてしまったので……私は少し、夜風に当たりに来た」
相変わらずの鉄仮面だが、その声はいつもよりずっと穏やかだった。
私はホッと息を吐き、笑顔で彼を迎え入れた。
「それは良かったわ! ユリウス様も、何か食べる? 肉椎茸の串焼き、すっごく美味しいわよ!」
「いや、食事はもう済ませた。……それよりも」
ユリウスはふいと言葉を切り、真っ直ぐに私を見つめた。
そして、ゆっくりと右手を差し出してきたのだ。
「え……?」
「一曲、私と踊っていただけないだろうか」
「…………はいっ!?」
私は素っ頓狂な声を上げてしまった。
帝国最強の騎士であり、恐れられる『氷の辺境伯』が、村の広場で、村娘の服を着た私にダンスを申し込んでいる?
周囲の村人たちも、信じられない光景にざわめいている。
「え、あ、いや、私、ダンスなんて上手く踊れないわよ!? 夜会でも端っこで壁の花やってたし、ステップも怪しいし……!」
「構わない。私が合わせる」
ユリウスは差し出した手を引っ込めない。
私は慌ててセリアに助けを求めようと振り返ったが、彼女は「頑張りなさい」と口パクし、パタパタと尻尾を振って人混みの中に消えてしまった。
……あの裏切りモフモフめ!
「リゼロッテ嬢。……君に、どうしても伝えたいことがあるんだ」
彼の真剣な声に、私は観念して、恐る恐るその大きな手を取った。
ひんやりとした剣ダコのある手が、私の手を包み込む。もう片方の手が私の腰に添えられ、ぐっと距離が縮まった。
「ひゃっ……!」
近すぎる。
彼の整った顔立ちが目の前にあり、微かに香るポポロ・コーヒーのビターな香りと、彼自身の男らしい香りが混ざり合って、頭がクラクラした。
音楽に合わせて、ユリウスがゆっくりとステップを踏み始める。彼のリードは驚くほど優しく、滑らかで、ダンスが苦手な私でも自然と足が動いた。
「すごい……私、ちゃんと踊れてる……」
「君が素晴らしいからだ。……今日の君は、いつもにも増して美しいな」
「ぶっ!? げほっ、ごほっ!」
突然の直球の褒め言葉に、私は自分の唾でむせてしまった。
「う、美しいだなんて! 私はいつも泥だらけの作業着だし、今日もこんな簡素な服だし……!」
「服など関係ない。君の内面から溢れる光が、周りのすべてを照らしているんだ」
ユリウスは私の顔を覗き込み、ふっと目を伏せた。
「……私はこれまで、『エチカ』の教えの通り、感情を殺し、義務と理性だけで生きてきた。国境を守る冷徹な剣であればいいと。だが、君と出会って、君が泥だらけになって民のために笑う姿を見て……私の中で、何かが崩れ去った」
彼の言葉は、いつもの業務報告のような冷たいものではなく、ひどく熱を帯びていた。
「『幸福論』にある通りだ。自己の義務から離れ、純粋に誰かの笑顔を守りたいと願うこと……。君がもたらした光は、私の凍てついた心をも、完全に溶かしてしまったようだ」
顔を上げたユリウスの碧眼が、私を真っ直ぐに射抜く。
そこにあったのは、冷徹な騎士の『鉄仮面』ではない。
ただ一人の女性を愛おしく思い、どうしようもなく惹かれている男の、蕩けるような甘い微笑みだった。
「っ……!」
ドキン、と。
私の胸の奥で、今まで聞いたことのないような大きな音が鳴った。
顔がカーッと熱くなり、心臓が爆発しそうなほど激しく鼓動を打つ。
ビジネスパートナーとしての彼しか見ていなかった私。
優秀で、頼りになって、ちょっと堅物な仕事仲間。そう思っていたのに。
彼から向けられた「男」としての真っ直ぐな好意と、その甘すぎる笑顔の破壊力に、私の社畜メンタルは完全にキャパシティオーバーを起こしていた。
「あ、あの、ユリウス、様……っ」
顔が火の海のように熱いのが自分でもわかる。
恥ずかしくて、直視できなくて、私は思わずうつむいてしまった。
前世でも今世でも、仕事一筋で恋愛なんてまともにしたことがない私には、この状況をどう処理していいか全く分からない。
「……無理に答えを出さなくてもいい。君は鈍感だからな」
「ど、鈍感……!」
「だが、これだけは覚えておいてほしい。私はもう、君をただの『仕事仲間』として見ることはできない。君の描く理想の隣に、ただの剣としてではなく、一人の男として立ちたいと思っている」
ダンスの曲が、静かに終わりを告げる。
ユリウスは私の手を取り、その甲に、鳥の羽が触れるような柔らかなキスを落とした。
「素晴らしい夜をありがとう、リゼロッテ」
彼がゆっくりと離れていくと、私を取り巻いていた熱が、ふっと夜風にさらわれた。
しかし、手の甲に残る感触と、彼から向けられた熱を帯びた瞳の記憶が、私の頭の中でぐるぐると回り続けている。
「……っ〜〜〜〜!」
私はその場にしゃがみ込み、両手で真っ赤になった顔を覆った。
(どうしよう……。仕事のことならいくらでも計算できるのに、これじゃ全然、頭が働かないじゃない……!)
ピコンッ、とポケットのすまーとふぉんが鳴ったが、もはや善行ポイントのことなど一切頭に入ってこない。
有能なコンサルタントとしての私はどこかへ吹き飛び、ただの恋に不器用な等身大の女の子に戻ってしまった私が、そこにはいた。
そして、遠くの出店からその様子を眺めていたセリアが、満足げに肉椎茸を頬張りながら呟く。
「ふふっ。うちのリゼのあんな顔、初めて見たわ。氷の辺境伯様、なかなかやるじゃない」
月夜のダンスを経て、二人の関係は「完璧なビジネスパートナー」から、甘く熱い「異性」としての意識へと、決定的な一歩を踏み出したのだった。




