EP 6
ブラック実家の焦りと、華麗なる経済封鎖
「どうなっている! なぜ今月の税収が先月の半分以下なのだ!」
ルナミス帝国の帝都。豪華絢爛なローゼン公爵家の執務室で、私の父親であるローゼン公爵が、書類を床に叩きつけて激昂していた。
無理もない。これまで領地の複雑な税務処理や、悪徳商人との交渉、果ては不正の隠蔽工作に至るまで、すべての実務を担っていたのは「無能」と蔑まれて追放された私、リゼロッテだったのだから。
私が抜けた穴は一瞬で崩壊し、公爵家の財政は文字通り火の車となっていた。
「あなた、落ち着いてくださいませ。……それより、不愉快な噂を耳にしましたわ。あの子が追放された辺境の領地が、どうやら奇妙な作物や特産品で莫大な利益を上げているとか」
「なに? あの小娘が?」
母親の言葉に、公爵は目をギラつかせた。
「ふん、どうせ領民から搾取して小銭を稼いでいるのだろう。ちょうどいい、あの土地の所有権は元々公爵家にある。私兵を送って、収穫物と利益をすべて『没収』してやる! 逆らうなら、力尽くでわからせてやれ!」
――自分たちの無能さを棚に上げ、他人の成功を暴力で奪おうとする。
ブラック企業の末路としては、あまりにもテンプレすぎる愚策であった。
数日後の辺境領、太陽芋の広大な畑の前。
土煙を上げてやってきた約五十名の公爵家私兵たちは、武器を片手に下卑た笑いを浮かべていた。
「おい農民ども! この畑の作物はすべてローゼン公爵家が接収する! 大人しく荷車に積め!」
「逆らう者は容赦しないぞ! 領主の小娘も引きずり出せ!」
彼らが畑に足を踏み入れようとした、まさにその瞬間だった。
「――そこまでだ」
低く、絶対的な零度を伴った声が響いた。
私兵たちの足元が、突如としてバキバキと音を立てて凍りつき、地面に縫い留められる。
「な、なんだ!? 足が動か……っ!」
「ひぃっ! あ、アルトハウス辺境伯……!?」
彼らの前に静かに立ち塞がったのは、抜剣すらしていないユリウスだった。
氷の辺境伯の冷徹な碧眼が、不法侵入者たちを射抜く。
「この地は既に、帝国の法に則りリゼロッテ嬢に正式に下賜された土地。そして、この国境一帯の治安維持は、辺境伯たる私の管轄だ。……君たちは今、私の庇護下にある領民と、私が最大の敬意を払う『パートナー』の領地に、剣を抜いて押し入ろうとした。それがどういう意味か、理解しているな?」
静かな怒りを孕んだユリウスの言葉に、私兵たちは顔面を蒼白にさせた。
さらに、ユリウスの背後から、セリアがゆっくりと歩み出る。彼女の黄金色の瞳は、完全に『狩り』のモードだった。
「リゼの作った美味しいお芋に、汚い泥靴で踏み込もうとした罪は重いわよ。一歩でも動いてみなさい。首から上を噛み砕いて、畑の肥料にしてあげる」
帝国最強の魔闘氷剣士と、伝説の白狼神姫。
この二人が並び立つ圧倒的なプレッシャーの前に、五十人の私兵たちは戦意を喪失し、誰一人として指先すら動かせなくなっていた。
「ユリウス様、セリア! 制圧ありがとう、お見事よ!」
そこへ、タローマン製の作業着に身を包んだ私が、分厚い書類の束を抱えてのんびりと歩いてきた。
その後ろには、見慣れない奇抜な格好をした初老の男性が同行している。昭和のパチンコ屋の社長のような派手な柄シャツに、太い金のネックレス。蛇のように細い目をしたその男を見て、私兵のリーダーが震える声を上げた。
「ゴ、ゴルド商会の……オロチ会長……! なぜ、大陸屈指の大企業の大トップがこんな辺境に!?」
オロチ会長は、葉巻をふかしながら「どえりゃあことしてくれたがね」と、コテコテの名古屋弁で鼻を鳴らした。
「ワシの商売相手に手ぇ出すたぁ、ええ度胸しとるわ。ローゼン公爵家も、これで終わりだで」
「し、商売相手……?」
混乱する私兵たちに向けて、私は満面の笑みで書類を突きつけた。
「そういうこと! 私はね、実家(ブラック企業)が私の利益を横取りしに来るなんて、最初からお見通しだったのよ。だから、太陽芋の栽培ノウハウと、ポポロ村との交易ルートに関するすべての権利を、ゴルド商会との『共同事業』として特許登録と独占契約を済ませておいたの!」
有能な経営者たるもの、リスクヘッジは基本中の基本である。
私は電卓を叩きながら、冷ややかに宣告した。
「あなたたちが今、不法侵入して作物を奪おうとしたのは、ただの追放された令嬢の畑じゃないわ。『大陸屈指の巨大企業・ゴルド商会の正式な生産拠点』よ。商会の私有財産に対する武力行使および、業務妨害。……オロチ会長、契約書に基づく違約金は?」
「おう。ローゼン公爵家には、即刻『金貨一万枚(約一億円)』の損害賠償を請求するでよ。当然、払えんかったら公爵家の資産は差し押さえだ。それに加えて、今日を限りにゴルド商会はローゼン公爵家との全取引を停止する。流通、食料、日用品、すべてだ。完全に干上がらせたるわ」
「なっ……!?」
私兵たちの顔が絶望に染まった。
暴力ではなく、完全に合法的な『経済の暴力』。
ゴルド商会に見放され、流通網を完全封鎖された貴族家など、三ヶ月も経たずに破綻する。彼らは、私から何かを奪うどころか、自らの手で実家にトドメを刺してしまったのだ。
「公爵家には、私から引導を渡す書類を送っておくわ。さあ、ユリウス様、彼らを不法侵入の現行犯で連行してくださいな」
「承知した。……君の知略には、本当に恐れ入るな」
ユリウスが合図をすると、待機していた辺境伯軍の兵士たちが一斉に私兵たちを捕縛していく。
一切の血を流すことなく、最大の脅威(嫌がらせ)を無力化したのだ。
「リゼロッテ嬢ちゃん、こりゃあ前払いの違約金の一部だ。受け取っときな」
オロチ会長が、ずっしりと重い金貨袋を私に手渡してくれた。公爵家から即座に取り立てた手付金らしい。
「ありがとうございます、オロチ会長! 助かります!」
私が金貨袋を受け取ると、ユリウスが少し心配そうに声をかけてきた。
「リゼロッテ嬢。これだけの大金だ、何に使うつもりだ? 自身の生活を豊かにするためのドレスや宝石を買っても、誰も文句は言わないぞ」
「え? ドレス? そんな動きにくいもの、いらないわよ」
私はタローマン製の作業着の襟をパタパタとさせながら、きょとんとした顔で答えた。
そして、迷うことなくその大金の入った袋を、後ろに控えていた村長たちに向かって掲げた。
「このお金は全額、村の『孤児院』と『学校』の建設費用に寄付するわ!」
「「「えええええっ!?」」」
村人たちだけでなく、オロチ会長すらも驚きの声を上げた。
私は平然と胸を張る。
「領地が豊かになるには、子供たちの笑顔と教育が絶対に必要不可欠なの! 奪われた賠償金で未来への投資ができるなんて、最高に有意義な使い道じゃない! ねっ、セリア!」
「……ええ。リゼがそう言うなら、それが一番正しいわ」
セリアは呆れ半分、誇らしさ半分といった様子で優しく微笑んだ。
己の私欲のためではなく、巨万の富を瞬時に「他者の未来」のために手放す潔さ。
その底抜けの無欲さと深い慈愛を目の当たりにしたユリウスは、大きく目を見開き、やがて、堪えきれないように口元を緩めた。
(ああ……君という人は、どこまで私の心を惹きつければ気が済むんだ)
鉄仮面の下で、ユリウスの胸は激しく高鳴っていた。
武力で敵を制圧するのではなく、知略で完全に封じ込め、得た利益をすべて弱者に分け与える。彼が愛読する『エチカ』の理想を、彼女は軽やかに、そして楽しそうに体現していく。
「リゼロッテ……君の隣に立つ男は、よほどの覚悟が必要だな」
ユリウスが誰にも聞こえないほどの小声で呟いたその言葉には、すでに「ただのビジネスパートナー」という一線を越え、彼女のすべてを愛し、守り抜くという強烈な熱と独占欲が込められていた。
ピコピコピコピコピコンッ!!!
ポケットの中で、孤児たちや村人からの圧倒的な感謝を受信した【善行通販】のポイントが、またしても天文学的な数値を叩き出していることなど、私は知る由もなかった。




