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EP 4

不味すぎる軍隊食と、温かい炊き出し

ルナミス帝国軍・北の国境守備隊の野営地は、およそこの世のものとは思えない絶望的な空気に包まれていた。

原因は、敵の襲撃でも厳しい訓練でもない。彼らの目の前にある「夕食」だ。

「……また、これか」

一人の若い兵士が、無地の真空パックから出てきた鮮やかな黄色の四角い塊を見て、深い絶望の溜息を吐いた。

ルナミス帝国軍需省が「コスト削減」と「無限の保存性」だけを追求して生み出した狂気の完全人工合成レーション、第3型戦闘糧食。前線の兵士たちからは、親しみと有り余る殺意を込めて「ゲロオムレツ」と呼ばれている代物である。

防腐魔法と魔法化学調味料が最悪の化学反応を起こしており、一口かじれば強烈な胃酸の匂いと腐った靴下の風味が鼻腔を突き抜ける。しかも、車のタイヤのような異常な弾力があり、飲み込むと胃袋の中で不自然に膨張する。

「食え。我々辺境守備隊の任務は、いかなる過酷な状況下でも国境を死守することだ」

静まり返る野営地で、ただ一人、顔色一つ変えずにゲロオムレツを咀嚼している男がいた。

氷の辺境伯、ユリウス・フォン・アルトハウスである。

彼は自らの愛読書である『エチカ』の教えに則り、感情を完全に統制していた。「理性と義務」こそが美徳であり、味覚の快楽など戦場には不要。そう己に言い聞かせ、彼はゴムのような塊を飲み込んだ。

だが、指揮官が平然としているからといって、一般兵士の胃袋と心がそれに耐えられるわけではない。兵士たちの士気は限界を迎え、文字通り崩壊寸前だった。

「――ストォォォップ!! 何よその工業廃棄物みたいな物体は!」

突如、野営地の入り口から響き渡った甲高い声に、全員が一斉に振り返った。

そこには、タローマン製の作業着に身を包み、腰に手を当てて仁王立ちしているリゼロッテの姿があった。その後ろには、呆れたようにため息をつく銀髪のメイド、セリアが控えている。

「リゼロッテ嬢? なぜ貴女がここに……」

「先日の御礼と、今後の国境警備に関する打ち合わせに来たの! でも、そんなことより……あなたたち、まさかそれを食べてるの!?」

リゼロッテは兵士の手にある黄色い塊を指差して、信じられないというように目を丸くした。

「腹が減っては戦はできないって言うけど、それ以前の問題よ! 匂いだけで胃袋がストライキを起こしそうじゃない! 劣悪な労働環境は、ブラック企業の始まりよ!」

彼女は前世の社畜時代、納期に追われて三日間カロリーメイトとエナジードリンクだけで凌ぎ、胃潰瘍になりかけた記憶をフラッシュバックさせていた。

「従業員の健康管理」は、有能な経営者の絶対条件である。

「リゼロッテ嬢、これは軍需省から支給された正式な糧食だ。我々はこれで……」

「却下! こんなものを食べてたら、心まで荒んでしまうわ!」

リゼロッテはユリウスの言葉を遮ると、懐から『エンジェルすまーとふぉん』を取り出し、凄まじい勢いで画面をタップし始めた。

「【善行通販】、起動! タローマン製・炊き出し用特大魔導鍋(300pt)! それから、うちの畑で採れたての『太陽芋』と……甘みが強くてシチューにぴったりの『ハニーかぼちゃ』! お肉は……ええい、大盤振る舞いよ! トライバードのぶつ切り肉を大量に!(400pt)」

光の粒子とともに、野営地の中央に巨大な鍋と大量の新鮮な食材が出現した。

「セリア、手伝って! 今からこの部隊全員の胃袋を、私が責任持って満たしてあげるわ!」

「はいはい。リゼは一度スイッチが入ると止まらないんですから。……ほら、そこの兵士たちもボーッと見てないで、薪を運んで火を熾しなさい!」

セリアの鋭い一瞥に、兵士たちが弾かれたように動き出す。

リゼロッテは腕まくりをして、手際よく野菜を切り始めた。硬い太陽芋も、タローマン製の包丁ならサクサクと切れる。ハニーかぼちゃは、切るそばから甘い香りを漂わせた。

「お肉は表面をしっかり焼いて旨味を閉じ込める! お芋とかぼちゃを入れて、コンソメでじっくり煮込む! 隠し味にちょっとだけお醤油を入れるのがポイントよ!」

グツグツと鍋が煮え立つにつれ、野営地全体に暴力的なまでに食欲をそそる香りが立ち込めた。

トライバードの濃厚な肉の旨味、ハニーかぼちゃの甘く優しい香り。それは、過酷な任務とゲロオムレツで削られていた兵士たちの理性を、あっという間に吹き飛ばした。

「はい、お待たせ! リゼロッテ特製、太陽芋とハニーかぼちゃの具沢山シチューよ! たくさんあるから、おかわりも自由よ!」

リゼロッテが笑顔で木製の器にシチューをよそい、手渡していく。

受け取った兵士たちは、一口食べた瞬間、言葉を失った。

「う、うめぇ……!」

「芋がホクホクで、かぼちゃが甘くて……肉の出汁が、胃袋に染み渡る……っ!」

「母ちゃぁぁん……!」

中には、ボロボロと涙を流しながらシチューをかき込む兵士までいた。

その様子を見て、「ふふっ、よく噛んで食べてね!」と、まるで世話焼きの母親のように嬉しそうに笑いながら、リゼロッテは次々と鍋をかき混ぜる。

自分の利益になるわけでもないのに、ただ「他人が美味しそうにご飯を食べる姿」を見るのが楽しくて仕方がないといった様子だ。

その光景を、ユリウスは少し離れた場所から静かに見つめていた。

(……私は、間違っていたのかもしれない)

ユリウスは、自身の内側で何かが音を立てて崩れ落ちるのを感じていた。

『エチカ』の教えに従い、感情を殺して義務を果たすことこそが絶対の正義だと信じてきた。兵士たちにもそれを強要し、耐えることだけを求めてきた。

だが、目の前でシチューを食べる部下たちの顔には、彼が今まで一度も引き出せなかった「生きる活力」と「心からの笑顔」が溢れている。

泥だらけの作業着を着て、額に汗を浮かべながら鍋を振るうリゼロッテ。

無我夢中で他者のために尽くす彼女の姿(フロー状態)は、ユリウスの目には、帝都の夜会で着飾るどんな貴婦人よりも美しく、気高く映った。

「閣下、貴方もどうぞ。少し休まないと、体が持ちませんよ?」

不意に、リゼロッテが彼の目の前に熱々のシチューを差し出した。

見上げると、煤で少し顔を汚した彼女が、太陽のように屈託のない笑顔を向けていた。

「……ありがとう、リゼロッテ嬢」

ユリウスは器を受け取り、一口すする。

――温かい。

凍てついていた彼の心が、ハニーかぼちゃの優しい甘みと、彼女の深い慈愛によって、芯からじんわりと溶かされていく。

『幸福論』にはこうある。真の幸福とは、義務感からではなく、他者への純粋な愛と共感から生まれるものだと。

「美味しいか? と聞くまでもないようね」

「ああ……。私の生涯で食べた、どんな晩餐よりも美味しい。君は、私の部下たちだけでなく、私自身の心までも救ってくれた」

ユリウスが、鉄仮面のような無表情を崩し、ふっと柔らかく微笑んだ。

その蕩けるような優しげな笑顔に、リゼロッテはドキンと胸を鳴らし、慌てて視線を逸らした。

「そ、そんな大げさな! ご飯は美味しく食べなきゃダメってだけの話よ! もしまた食糧難になったら、いつでも言いなさい! うちの畑から直行便で送ってあげるから!」

照れ隠しのように胸を張るリゼロッテの背中を、セリアがニヤニヤしながら見つめていた。

(やれやれ。うちの主人はビジネスの天才だけど、そっちの方面はポンコツだからね。氷の辺境伯様、貴方の前途は多難よ?)

神狼の鋭い直感は、ユリウスの碧眼に宿った熱が、単なる「敬意」から、一人の女性に対する「深い愛情と独占欲」へと変わり始めたことを、見逃してはいなかった。

ピコンッ、ピコンッ!

エプロンのポケットで、部隊全員からの圧倒的な感謝の念を受信したエンジェルすまーとふぉんが、景気良く善行ポイントの爆増を告げている。

領地の改革だけでなく、帝国最強の騎士の胃袋と心まで掴んでしまった元社畜令嬢の快進撃は、まだ始まったばかりである。

読んでいただきありがとうございます。

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