EP 4
アイドルの憂鬱と、元社畜の敏腕プロデュース
秋晴れの空が高く澄み渡る、ある日の午後。
いつもなら、領主の館の庭からは「五円! 御縁! ハイッ!」という奇妙な合いの手や、ポンポコと腹太鼓を叩く音が聞こえてくるはずなのだが、今日に限ってはやけに静かだった。
「……ねえ、セリア。今日のリーザちゃん、なんだか変じゃない?」
執務室の窓から庭を見下ろしながら、私は隣で書類の整理をしているセリアに声をかけた。
視線の先には、庭の隅にある切り株にポツンと座り、芋ジャージの膝を抱えて深いため息を吐いているリーザの姿がある。鼻から五円玉を飛ばす気配は微塵もない。
「そうですね。朝食のパンの耳も、いつもの三倍のスピードでしか食べていませんでしたし。……どこかで拾い食いでもして、お腹を壊したんじゃないですか?」
「野生動物みたいな心配しないでよ。……ちょっと、様子を見てくるわ」
私はペンを置き、タローマン製のカーディガンを羽織って庭へと出た。
カサリ、と落ち葉を踏む音で、リーザがビクッと肩を揺らして振り返った。
「リ、リゼ様! 申し訳ありません、アイドルの貴重なオフショットを無断で見られてしまいましたわ!」
「無理していつもの調子を出さなくていいわよ。……どうしたの? 何か悩み事?」
私が隣の切り株に腰を下ろして優しく尋ねると、リーザは誤魔化すようにヘラッと笑おうとして――やがて、しゅんとエラ(耳)を伏せた。
「……リゼ様には、隠し事はできませんわね」
リーザは膝を抱え直し、ぽつりぽつりと語り始めた。
「私、この村に来てから、本当に毎日が幸せなんですの。リゼ様やセリアさんはもちろん、村の人たちも……すれ違うたびに『リーザちゃん、歌頑張ってね』って、お芋や野菜を分けてくれて。……だから、皆さんに『恩返し』がしたいんです」
「恩返し? 歌で、ってこと?」
「はい。私が一番輝けるのは歌ですから。村の広場で、皆さんに最高のライブをお届けして、日頃の疲れを癒やしてさしあげたいんですの。……でも」
リーザは、ギュッとジャージの裾を握りしめた。
その瞳には、いつもの図太さからは想像もつかないような、暗い恐怖と自信のなさが揺らめいていた。
「怖いんですの。……私、帝都の『ルナミスTV』の大人たちにスカウトされて、親善大使として華々しくデビューしました。でも、彼らが欲しかったのは『シーラン国の人魚姫』という肩書きの話題性だけだった」
リーザの口から語られたのは、絵に描いたような芸能界の闇(ブラック労働)だった。
意に沿わない歌を歌わされ、休む間もなくイベントに駆り出され、報酬はピンハネされる。そして『人魚姫アイドル』というブームが去り、新しい流行りが生まれると、大人たちは手のひらを返したように彼女を使い捨て、あっさりと番組から降板させたのだという。
「誰も、私の『歌』なんて聞いていませんでしたの。私はただの客寄せパンダで……ブームが過ぎれば、誰も見向きもしない。……私には、本当は才能なんて何もないんじゃないかって。そう思うと、怖くて声が出なくなってしまったんですの」
それに、と彼女は自嘲気味に笑った。
「恩返しライブなんて言っても、私にはステージを作るお金も、皆さんに声をお届けする機材もありませんわ。あるのは、このボロボロの芋ジャージだけ。……こんな私が歌っても、誰も喜んでくれませんわよね」
ポロリ、と。
彼女の美しい瞳から、真珠のような涙がこぼれ落ちた。
その涙を見た瞬間。
私の頭の中で、ブチィッ! と、何かが派手に千切れる音がした。
(若者の純粋な夢を利用して、徹底的に搾取し、用済みになればゴミのように捨てる……。ふざけるな。そんなブラック企業のテンプレみたいな大人たちのせいで、この子の才能が潰されていいわけがない!!)
前世、心を病んでいく同僚たちを何人も見てきた私の中の『社畜のトラウマ』と、『コンサルタントとしての矜持』が、凄まじい勢いで炎を上げた。
「リーザ、顔を上げなさい」
「ひぐっ……リ、リゼ様……?」
私は立ち上がり、涙で顔をぐしゃぐしゃにしているリーザの両肩を、ガシッと力強く掴んだ。
「貴女を使い捨てた大人たちは、ただの『無能な経営者』よ。タレントの価値を最大限に引き出し、輝かせる環境を作れない無能の言うことなんて、一ミリも気にする必要はないわ!」
「えっ……?」
「ステージがない? 機材がない? 予算がない? ……上等じゃない。それなら、私が貴女の『最高のプロデューサー』になってあげる!」
私は懐から、迷うことなく『エンジェルすまーとふぉん』を取り出した。
ここ最近の領地発展と、休日のルナミスーパー銭湯でのふれあいで、私の【善行ポイント】は再び莫大な額にまで貯まっていた。
人の夢を応援し、村の人々を笑顔にするための投資。これ以上のポイントの使い道があるだろうか。いや、ない。
「【善行通販】、起動!! 検索カテゴリ・イベント設営!」
私は凄まじい指さばきで画面をタップし、カートに商品をぶち込んでいく。
「タローマン製『誰でも簡単・特設ライブステージ組み立てキット(LED魔導照明付き)』! それから、会場の隅々までクリアな音を届ける『魔導アンプ&高音質ワイヤレスマイク』! ついでに、観客のみんなが楽しめるように『タローマン屋台セット(たこ焼き・綿菓子機付き)』も追加よ!!」
ポンッ、ポンッ、ポーンッ!!
光の粒子が弾け、庭の空きスペースに、信じられないほど大量の資材と音響機材のセット、さらにはお祭りの屋台セットまでが次々と出現した。
莫大なポイントが一瞬で消費されたが、私の心はこれ以上ないほど晴れやかだった。
「リ、リゼ様……!? これ、全部……私のために……!?」
「当たり前でしょ! 有能なプロデューサーの仕事はね、タレントが100パーセントの力を発揮できる『最高の労働環境』を用意することなのよ! 貴女はただ、自分が一番輝ける歌を、思いっきり歌うことだけを考えなさい!」
私がウインクをして見せると、リーザは口をパクパクとさせ、やがて「うわぁぁぁぁぁんっ!!」と大声を上げて私に抱きついてきた。
「リゼプロデューサーぁぁっ! 貴女はやっぱり女神様ですわ! 最高のステージ、絶対に大成功させてみせますのぉぉっ!」
「よしよし、その意気よ! さあ、善は急げ! 日が暮れる前に会場の設営を始めるわよ!」
「やれやれ。また主の悪い癖(お節介)が始まりましたね」
背後から、呆れたような、けれどとても楽しそうなセリアの声がした。
彼女は腕まくりをしながら、すでにタローマン製のステージの骨組みを軽々と持ち上げている。
「セリア! 手伝ってくれるの!?」
「当たり前でしょう。こんな重労働、リゼの細腕でできるわけがありません。……それに、シェアハウス時代から、この駄人魚の歌声が響くのには慣れていますからね。最高のステージ、作ってやろうじゃないですか」
「セリアさぁぁんっ! ツンデレ天使ぃぃっ!」
「気安く触らないで。骨組みの下敷きにするわよ」
そんな風に私たちが騒ぎながら設営作業を始めようとした、その時だった。
「――賑やかな声がすると思ったら。また君は、とんでもないことを始めているようだな」
庭の入り口から、低く落ち着いた声が響いた。
振り返ると、数名の騎士を従えたユリウス様が、私服姿で立っていた。非番のパトロール中に、館の庭に山積みになった奇妙な資材を見て立ち寄ったらしい。
「あ、ユリウス様! ちょうど良かったです! 実は今度、村の広場でリーザちゃんの恩返しライブを開催することになりまして! 今からその機材を……」
「なるほど、ライブの開催か。……状況は理解した」
ユリウス様は、私が詳しく説明する前にすべてを察したように頷くと、連れてきた騎士たちに向かって的確な指示を飛ばし始めた。
「お前たちは資材の運搬と、ステージの組み立てを手伝え。セリア嬢の指示に従うように。……それから、広場を使用するにあたっての村長への許可申請、当日の警備配置、観客の動線確保と交通整理は、私の部隊で引き受けよう」
「えっ!? そ、そんな、国境守備隊の皆様に警備だなんて、申し訳ないです!」
私が慌てて遠慮すると、ユリウス様はふっと優しい笑みを浮かべ、私の頭にポンと手を置いた。
「気にするな。君の大切な『家族』の晴れ舞台だろう? その成功を裏方から支え、君たちの安全を確保するのは、この地の治安を預かる私の管轄だ」
彼は、私が手配した機材の山を見渡し、感心したように目を細めた。
「それにしても、君の決断力と手腕には恐れ入る。人の才能を信じ、そのためなら己の資産を惜しげもなく投資する。……君は本当に、最高のトップ(プロデューサー)だ。私にできることなら、何でも言ってくれ」
「ユリウス、様……っ」
その『頼れるリーダー』としての圧倒的な包容力と、私の仕事を全肯定してくれる甘い眼差しに、私は思わずドキンと胸を鳴らした。
私が環境を整え、セリアが力仕事で支え、ユリウス様が外堀(警備と許可)を完璧に固めてくれる。
これ以上ない、最強のバックアップ体制だ。
「……ありがとうございます! ユリウス様の警備があれば、百人力です!」
「ああ。任せておけ」
「うぅ……っ。スポンサーに、ツンデレ天使に、太客の騎士様まで……私、本当に幸せ者ですの……!」
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、リーザがタローマン製マイクを両手でギュッと握りしめる。
「見ていてください! 私、絶対に皆様に恩返ししてみせますわ! 宇宙一のアイドルスマイルで、全員の心を奪い尽くしてさしあげますの!」
迷いと恐怖を完全に拭い去った彼女の瞳には、人魚姫としての、そして一人のアイドルとしての強烈な輝きと覚悟が宿っていた。
最強のプロデューサーと、頼れる仲間たちによってお膳立てされた舞台。
極貧地下アイドル・リーザの、本当の意味での『デビュー戦』の幕が、今まさに上がろうとしていた。




