EP 2
主とメイドと、居候の人魚姫
「あぁぁぁっ! 私の! マイクを握るための繊細で可憐なアイドル・ハンドが、雑巾の絞りすぎで荒れてしまいますわぁぁっ!」
辺境領の領主の館。
その長く伸びた廊下で、えんじ色の『芋ジャージ』に身を包んだリーザが、バケツを前にして大げさに泣き崩れていた。
「やかましいわね。タダ飯食らいの居候なんだから、少しは働きなさい。働かざる者、食うべからず。それがリゼの治めるこの領地の絶対ルールよ。……ほら、そこの角にまだホコリが残ってるわよ」
腕を組み、冷酷な現場監督のように指示を飛ばすのは、私の親友にしてメイドのセリアだ。
ピシッと糊の効いたメイド服を着こなす彼女の頭の狼耳は、ピーンと厳しく立っている。
「鬼! 悪魔! セリアさんの血は冷たいシーラン海の海水でできているんですの!? ええい、こうなったら私のアイドルスマイルで……キュルンッ☆」
「……今日の昼食は、リーザの分だけ『塩むすび』にするわね」
「ごめんなさい私が間違ってました今すぐ床をピカピカに磨き上げますぅぅぅ!」
リーザは凄まじいスピードで雑巾を手に取り、這いつくばって廊下を磨き始めた。
プライドより食欲。アイドルの誇りは、セリアの握る胃袋の権利の前にあっさりと敗北したらしい。
「ふふっ。朝から賑やかね」
私は執務室から顔を出し、二人のやり取りを見て思わず吹き出してしまった。
鼻から五円玉を飛ばして野良犬と戦っていた極貧地下アイドル・リーザを拾ってから数日。彼女はすっかりこの館の居候として定着していた。
前世でブラック企業に勤めていた私としては、「無給でタダ働きさせる」のは本意ではない。ちゃんと労働基準法に則り、リーザには館の清掃や畑仕事の手伝いをしてもらう対価として、衣食住の保証と、お小遣い(アイドル活動費)を支給する契約を結んでいる。
……とはいえ、根が図太くポイ活魂に溢れたリーザは、隙あらばサボろうとするため、こうしてセリアの厳しい指導が入るのが日課になっていた。
「おはようございます、リゼ。……申し訳ありません、この駄人魚が騒がしくて。仕事の邪魔でしたら、裏庭の木の枝にでも吊るしておきましょうか?」
「ひぃっ!? アイドルを干物にする気ですの!?」
「大丈夫よ、ちょうど休憩しようと思ってたところだから。そろそろお昼にしましょうか」
私がそう言うと、リーザの瞳がパァァァッと輝いた。
昼食の時間。
今日のメニューは、うちの畑で採れた『太陽芋』と、ポポロ村から仕入れた『ロックバイソン』の肉をじっくり煮込んだ特製シチューだ。
タローマン製の大きな鍋から、食欲をそそる濃厚なデミグラスソースの香りが漂っている。
「はい、リーザ。貴女の分よ」
セリアが、よそったシチューの皿をドンッとリーザの前に置いた。
「わぁぁっ! ……って、あれ?」
リーザがスプーンを手にして、目を丸くした。
彼女の皿のシチューには、ゴロゴロとした分厚いロックバイソンの肉が、私のやセリアの皿の倍以上、これでもかと山盛りに乗っていたのだ。
「セ、セリアさん……? これ、お肉の量が明らかに……」
「……勘違いしないでよね。鍋の底にお肉が固まっていたから、たまたま貴女の皿に多く入ってしまっただけよ。残したら許さないから」
セリアはフイッと顔を背け、無表情を装いながら自分のシチューを食べ始めた。
だが、隠しきれない彼女の腰の銀色の尻尾が、パタパタと少しだけ気恥ずかしそうに揺れている。
(……ふふっ。セリアってば、本当に素直じゃないんだから)
私はシチューを口に運びながら、心の中でクスリと笑った。
「たまたま」なわけがない。栄養失調気味で痩せ細っていたリーザに体力をつけさせるため、セリアがわざと一番大きくて柔らかいお肉を選んでよそってあげたのだ。
口では「駄人魚」と厳しく言いながらも、元シェアハウス仲間を見捨てられない彼女の根の優しさが、そのお皿にはたっぷりと詰まっていた。
「セリアさん……っ! 貴女、本当はツンデレの天使だったんですのね! このお肉、五円玉より輝いて見えますわぁぁっ!」
「うるさいっ。さっさと食べないと没収するわよ」
「食べます! いただきますぅぅ!」
涙ぐみながらお肉を頬張るリーザと、照れ隠しに耳を伏せるセリア。
そんな二人を見ているだけで、私の心はポカポカと温かくなっていった。
その日の夜。
お風呂上がりのリーザが、自室(元は物置だった部屋を改装した)のベッドで、えんじ色の『芋ジャージ』を着てゴロゴロと転がっていた。
「あぁ〜、毎日三食お腹いっぱい食べられて、温かいお湯でお風呂に入れるなんて……。ここは天国ですの? 地下アイドル界のビバリーヒルズですの?」
幸せそうに呟くリーザだったが、ふと自分の手足を見て、小さくため息をついた。
野宿や過酷なサバイバル生活が長かったせいで、元々は人魚姫のようになめらかだったはずの彼女の肌は、少し乾燥して荒れてしまっている。
さらに、朝晩が冷え込むようになってきた辺境の気候に、ペラペラの芋ジャージ一着では、いささか心許ない。
「……よし。コンサルタントとしての福利厚生(オカン魂)の見せ所ね」
廊下の影からそっと様子を窺っていた私は、懐の『エンジェルすまーとふぉん』を取り出した。
【善行通販】、起動。
「これからの季節に備えて、タローマン製の『超モフモフ極暖ルームウェア(耳付き)』! それから、ポポロ村の陽薬草エキスをたっぷり配合した『高保湿スキンクリーム』と『ヘアトリートメント』のセットよ!」
ポチッと購入ボタンを押すと、私の手元に可愛らしいラッピングが施された紙袋が出現した。善行ポイントの消費なんて安いものだ。
私は軽く深呼吸をして、リーザの部屋の扉をノックした。
「リーザちゃん、起きてる?」
「は、はいっ! リゼ様! どうされましたの!?」
「これ、私からのプレゼント。うちの領地で働く従業員への、福利厚生みたいなものよ」
私が紙袋を手渡すと、リーザは不思議そうにそれを受け取り、中身を取り出した。
ふわっふわのパステルブルーのルームウェアと、高級感のあるスキンケアセットを見た瞬間、彼女の時が止まったように固まった。
「こ、これは……!? こんなに上質で可愛いお洋服に、お肌がプルプルになる魔法のクリーム……!?」
「野宿続きで、お肌が荒れちゃってたでしょ。アイドルは体が資本なんだから、ちゃんとケアして、温かい服を着て寝なさいね」
私が優しく頭を撫でると、リーザの大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「り、リゼ様ぁぁぁっ……!」
「わっ!?」
「私、帝都で大人たちに使い捨てにされてから、ずっと一人で……! 誰も、私を女の子扱いなんてしてくれませんでしたの……! 貴女は本物の女神様ですわぁぁっ!」
リーザは私に思い切り抱きつき、フワフワのルームウェアを抱きしめながら号泣した。
前世で、体調を崩しても「自己管理がなってない」と怒鳴られるだけだった私には、彼女のその孤独な痛みがよく分かる。
「よしよし。もう野良犬とご飯を奪い合う必要はないからね。ここでは安心して、貴女の夢を追いかけなさい」
ピコンッ、と。
スマホから善行ポイントの加算通知が鳴ったが、そんなことよりも、泣き疲れてルームウェアに着替え、幸せそうに眠りについたリーザの寝顔を見られたことの方が、私にとっては最高の報酬だった。
リーザが寝静まった後の、深夜のリビング。
私は一人で、ポポロ村特産のハーブティーを淹れ、湯気を眺めながら一息ついていた。
「……全く、貴女という人は」
不意に背後から声がして振り返ると、メイド服のままのセリアが、呆れたような表情で立っていた。
「セリア。まだ起きてたの?」
「主が夜更かしをしているのに、メイドが先に寝るわけにはいきません。……リーザに、随分と貢いでいるようですね。あんな高価な服や化粧品、あの駄人魚にはもったいないですよ」
口では厳しいことを言いながらも、セリアは私の対面に座り、私が差し出したハーブティーのカップを受け取った。
「甘やかしすぎです、リゼ。あの子は図太いんですから、放っておいても雑草を食べて生きていけますよ」
「ふふっ。それを言うなら、セリアだって今日のシチュー、お肉を大盛りにしてあげてたじゃない」
私がクスクスと笑いながら指摘すると、セリアは「うっ……」と言葉に詰まり、頭の狼耳をパタンと伏せた。
「そ、それは……! あまりにも骨と皮だけで、みすぼらしかったからです! 栄養失調で倒れられて、リゼの仕事が増えるのを防ぐための、あくまで合理的な判断で……っ!」
「はいはい、そういうことにしておくわ」
必死に言い訳をするセリアが可愛くて、私は頬杖をつきながら彼女を見つめた。
「私たち、放っておけない似た者同士ね」
「……え?」
「セリアだって、不器用だけど根はすごく優しくて、困ってる人を見捨てられない。私も、ブラックな環境で一人ぼっちで泣いてる子を見ると、お節介を焼かずにはいられない。……そういうところ、私たちってよく似てると思わない?」
私の言葉に、セリアは少しだけ目を見開き、やがて、観念したようにふっと柔らかな微笑みを浮かべた。
「……勝てませんね、リゼには」
セリアはハーブティーのカップを両手で包み込み、黄金色の瞳で真っ直ぐに私を見た。
「私も、行き倒れていたところを、貴女のその『お節介』に救われた身ですから。……だから、分かるんです。貴女が誰かを救おうとする時、そこに微塵の打算もないことを。ただ純粋に、他人の幸せを願っているのだということを」
セリアの腰の銀色の尻尾が、ゆっくりと、穏やかなリズムで揺れている。
それは、彼女が心の底からリラックスし、深い愛情を感じている証拠だった。
「リーザは手のかかる馬鹿ですが、あの子の底抜けの明るさが、この館を賑やかにしてくれたのも事実です。……貴女の優しさが、また一つ、この場所に笑顔を増やしましたね」
「私一人の力じゃないわ。セリアが一緒にいて、手伝ってくれるからよ」
私がそう言って手を伸ばすと、セリアはその手を優しく握り返してくれた。
「私は貴女の剣であり、盾であり、何でも話せる親友です。貴女がこの優しくて温かい世界を広げていくのなら……私は、どんな害虫からも、貴女のその背中と笑顔を守り抜いてみせます」
窓の外には、丸い月が静かに私たちを照らしている。
最強で不器用な神狼のメイドと、元社畜のお節介な令嬢。
そして、新しく家族になった極貧の人魚姫。
「ありがとう、セリア。明日からも、三人でいっぱい笑って、美味しいご飯を食べましょうね」
「ええ。……とりあえず明日の朝は、リーザを叩き起こして草むしりから始めさせますけどね」
クスリと笑い合う私たちの絆は、どんなブラック企業の理不尽にも負けないほど、深く、尊いものへと育っていた。
読んでいただきありがとうございます。
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