EP 12
マグローザ漁船行きの片道切符
ルナミス帝国、帝都の中心にそびえる豪奢な皇宮。
その執務室で、帝国を統べる皇帝マルクスは、深く、ひどく深い溜息を吐き出していた。
彼の机の上には、愛読書である『国富論』と『リヴァイアサン』が無造作に積まれている。そして今、彼の手元にあるのは、北の国境守備隊を統括するユリウス・フォン・アルトハウス辺境伯からの緊急報告書と、ゴルド商会のオロチ会長から提出された莫大な額の損害賠償請求書だった。
「……つまり、こういうことか」
マルクス皇帝は、額に青筋を浮かべながら、玉座の前に引きずり出された愚息――王太子と、ローゼン公爵家の面々を見下ろした。
「我が帝国の次期皇帝たる者が、己のコーヒーとトウモロコシの禁断症状を抑えきれず。あろうことか近衛兵を私物化して辺境へ赴き、余の直轄地である特区を武力で接収しようとした……と。そういうことで相違ないな?」
「ち、父上! 誤解です! 私はただ、あの生意気なリゼロッテを少し躾けてやろうと……!」
「黙れッ!!」
皇帝の怒声が、広大な玉座の間に轟いた。
その凄まじい覇気に、王太子とローゼン公爵たちはヒッと短い悲鳴を上げて床にひれ伏した。
「『躾ける』だと? 己の無能を棚に上げ、有能な人材を不当に追放した挙句、彼女が築き上げた富を横取りしようとするなど、盗人猛々しいにも程がある! しかも、あろうことか余の直轄地に軍を差し向けるとは……これは明確な『国家反逆罪』である!」
「ひぃぃっ……!」
「さらに、ローゼン公爵。貴様らはリゼロッテ嬢の労働を不当に搾取し続けていただけでなく、ゴルド商会との契約を反故にし、莫大な違約金を発生させた。もはや貴族としての体面はおろか、帝国の経済に泥を塗った大罪人だ」
隣に控えていたオロチ会長が、葉巻をふかしながらニヤリと笑う。
「皇帝陛下。ウチの商会はキッチリ取り立てさせてもらいまっせ。ローゼン公爵家の全資産を差し押さえても、まだ金貨十万枚ほど足りやせんがね」
「ああ、構わん。帝国の法に則り、厳正に処罰を下す」
マルクス皇帝は、冷酷な目で愚か者たちを見下ろした。
「王太子の廃嫡を決定する。また、ローゼン公爵家は本日をもって取り潰し、全資産をゴルド商会への賠償に充てる。……しかし、それでも足りぬ莫大な借金は、貴様ら自身の『労働』をもって返済してもらう」
「ろ、労働……? どこかの鉱山へ送られるのですか……?」
震え声で尋ねる元・王太子に対し、皇帝は無慈悲な判決を下した。
「同盟国である海中国家シーラン国より、労働力提供の要請が来ている。貴様らの行き先は――『マグローザ漁船』だ」
その名を聞いた瞬間、謁見の間にいた文官や近衛兵たちが、一斉に顔を青ざめさせた。
マグローザとは、シーラン海に生息する巨大で凶暴な魚型魔獣である。そのマグローザや、恐るべきハサミを持つ巨大蟹『キングクラブ』を捕獲する遠洋漁業は、まさに地獄の労働環境として知られていた。
「ま、マグローザ漁船!? 嘘でしょう!? あそこは、一攫千金を狙う命知らずか、闇金の借金を抱えた者しか乗らない死の船ではありませんか!」
「そうだ。一度乗れば数年は陸に戻れず、船内通貨は『K(ケツフキのK)』と呼ばれる独自の紙切れのみ。チンチロで負ければさらに借金が増えるという、底辺の掃き溜めだ。貴様らのような温室育ちのクズには、お似合いの労働環境だろう」
「い、いやだぁぁっ! 私は帝国の王太子だぞ! リゼロッテ! リゼロッテを呼べ! あいつが俺の代わりに働けばいいんだ!!」
「連れて行け。二度と余の前にその汚い顔を見せるな」
皇帝が手を払うと、屈強な兵士たちが元・王太子と公爵家の面々を乱暴に引きずって退室していく。
「放せ! 誰か助けてくれ! 嫌だ、魚臭い船なんて嫌だぁぁぁっ!」
彼らの絶叫は、やがて遠くの廊下へと消えていった。
ドナドナと運ばれていく彼らは、波揺れる過酷な船の上で、考える人のように「なぜあんな有能な令嬢を手放してしまったのか」と、一生後悔し続けることになるだろう。
それから数日後。辺境の領地にある私の執務室。
「――以上が、帝都からの正式な報告だ」
ユリウス様が読み上げた報告書の内容を聞いて、私は手元のタローマン製バインダーから顔を上げた。
現在、私は領地の冬支度に向けて、ポポロ村のキャルル村長とすり合わせた『陽薬草の温室栽培計画』の予算案を練っている真っ最中だった。
「なるほど。元・王太子殿下と公爵家の皆様は、マグローザ漁船でマグロ……じゃなくて、マグローザの一本釣りに従事することになったんですね。シーラン国の水産業の発展に貢献できるなんて、素晴らしい再就職先じゃないですか」
「……君は、本当にそれだけか?」
私が全く興味なさそうに相槌を打つと、ユリウス様が不思議そうな顔をした。
「彼らは君を不当に扱い、追放し、あまつさえ君の命や領地を奪おうとした怨敵だぞ? もう少し、溜飲を下げるというか……『ざまぁみろ』と喜んでもいいのではないか?」
「喜ぶ? なぜですか?」
私は手元の資料をトントンと机で揃え、きょとんとして首を傾げた。
「復讐に時間と感情を使うなんて、最高にコストパフォーマンスが悪いじゃないですか。彼らが破滅したからといって、うちの領地の税収が上がるわけでも、太陽芋が美味しくなるわけでもありませんし」
「……」
「終わった過去の人間の末路なんて、どうでもいいんです。そんなことに一喜一憂する暇があるなら、私は明日の領民の生活を豊かにする方法を考えたい。……あっ! そうだセリア、明日の太陽芋の収穫祭の準備、どこまで進んでる!?」
「会場の設営は終わっていますよ、リゼ。あとは出店の手配と、ルナキン(ファミレス)からの食材の受け取りだけです」
部屋の隅で紅茶を淹れていたセリアが、パタパタと尻尾を揺らしながら答える。
私はガッツポーズをした。
「よし! 明日はみんなで特大の太陽芋のスイートポテトを作るわよ! ユリウス様も、国境守備隊の皆さんと一緒に食べに来てくださいね! 甘いものを食べれば、部隊の士気も爆上がり間違いなしですから!」
私が満面の笑みでそう告げると、ユリウス様は目を丸くし……やがて、堪えきれないように吹き出した。
「ふっ……はははっ!」
「ゆ、ユリウス様?」
普段は鉄仮面のように表情を崩さない彼が、肩を震わせて心底楽しそうに笑っている。
そのあまりにも無防備で、男らしく、それでいて色気のある笑顔に、私の心臓がドキンと跳ねた。
「いや、すまない。君がどこまでも『君らしい』ので、なんだかとても愛おしくなってしまってね」
「あ、いとっ……!?」
「自分を陥れた者の破滅に見向きもせず、明日の領民の笑顔と、美味しいサツマイモのことしか考えていない。……君のその底抜けに健全で、前を向く強さが、私は本当に好きだ」
ユリウス様は私に歩み寄ると、私の机の上に両手をつき、顔を近づけてきた。
至近距離で覗き込んでくる冷たくも熱を帯びた碧眼に、私は完全にフリーズしてしまう。
「君の言う通りだ。過去の愚か者など、我々の人生には一ミリの価値もない。私は君と共に、この豊かな領地の『明日』だけを見ていたい」
「あ、あの、ユリウス様、顔が、近……っ」
「明日の収穫祭、楽しみにしているよ。君の作ったスイートポテトなら、世界で一番甘いだろうからな」
彼は私の赤くなった頬を指先でそっと撫でると、蕩けるような微笑みを残して執務室を出て行った。
扉が閉まった瞬間、私は机に突っ伏して頭を抱えた。
「〜〜〜〜っ! もう! なんなのあの人! 毎回毎回、破壊力が高すぎるのよ!!」
顔から火が出そうに熱い。社畜時代に培った鋼のメンタルが、彼の甘い言葉と態度の前では、ただのポンコツ乙女のそれに成り下がってしまう。
私が机の上でジタバタと悶絶していると、セリアが呆れたような、けれどどこか嬉しそうなため息を吐いた。
「やれやれ。うちのリゼは、悪党を追い詰める時は魔王みたいに冷酷なのに、恋愛感情に関しては本当に無防備なんですから。……でも、それが貴女の最大の長所よ」
セリアは私の頭を優しく撫でた。
「自分を傷つけた相手を嘲笑う暇があるなら、自分の大切な人たちに美味しいものを食べさせたい。……その心の気高さがあるからこそ、私も、あの氷の辺境伯様も、貴女に絶対の忠誠と敬意を誓っているのよ」
「セリア……」
「さあ、明日の準備の続きをしましょう。過去の塵芥のことなんて忘れて、私たちの黄金郷をさらに輝かせるためにね」
親友の優しい言葉に、私は火照った頬を両手で挟んで、気合を入れ直した。
そう、ブルーオーシャンはまだ開拓の途中なのだ。
愚かな元婚約者たちが海の底で巨大蟹と格闘している頃、私は大好きな親友と、最高のパートナー(まだ恋人未満だけど)と共に、この辺境の地を世界一幸せな場所にしてみせる。
元・社畜令嬢の、チート通販スキルを使ったホワイト領地改革は、いよいよ最も実り多き『収穫の季節』を迎えようとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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