第2話:地下牢の鉄格子を叩き斬って現れたのは、無口な氷の皇帝陛下でした
「ふぁ……、よく寝た」
パチリと目を覚ます。
伸びをすると、身体の節々から軽い音が鳴った。
牢屋の壁(花崗岩さん)が夜通し温めてくれたおかげで、冷え性の私でも驚くほど熟睡できた。
前世の社畜時代、深夜残業後に会社のデスクで迎えた絶望的な朝に比べれば、ここは楽園そのものだ。
「お嬢さん、お目覚めかい? もうすぐ外は夜明けだよ」
「おはよう、花崗岩さん。お腹が空いたけれど、さすがに朝食の配給はまだかしらね」
私が壁をぽんぽんと叩くと、石たちは楽しそうに細かく振動した。
ドレスはボロボロだし、髪も少し乱れているけれど、気分は最高にスッキリしている。
(……このままここで隠居生活を送るのも悪くないかも。税金も家賃もかからないしね)
そんな呑気なことを考えていた、その時だった。
コツン、と静寂に包まれた通路から、硬い靴音が響いてきた。
見張りの兵士にしては、歩き方のリズムが妙に洗練されている。
鉄格子の向こうの暗闇から、一人の青年が姿を現した。
「……おい。そこで何をしている」
低く、地響きのように冷徹な声。
思わず息を呑むほど、圧倒的な美貌の青年だった。
漆黒の髪に、燃えるような紅蓮の瞳。
仕立ての良い上質な黒の外套を纏い、周囲の空気を凍らせるほどの威圧感を放っている。
「……どなた、ですか?」
(……ちょっと待って。顔面国宝級のイケメン。だけどこの人、ゲームの隠しキャラで、隣国の冷徹皇帝ギルベルトじゃない!? なんでこんな国の地下牢にいるの?)
ギルベルト陛下は、驚いたようにその紅蓮の瞳を見開いた。
彼はじっと私を観察し、それから信じられないものを見るような目で周囲の壁を見回す。
この地下牢は、彼の凍てつくようなオーラとは対照的に、ほんのりと温かい空気に満ちていたからだ。
ボロボロの衣服を着ていながら、妙に血色の良い顔でくつろぐ私を見て、陛下は言葉を失っている。
「……俺はギルベルト。隣国、ヴァルハイト帝国の皇帝だ。この国の防衛結界の隙間を調べに来たのだが……」
「まあ、皇帝陛下自ら隠密行動ですか。お疲れ様です」
「……お前、なぜそんなに落ち着いている? ここは罪人を閉じ込める不衛生な牢獄のはずだ」
ギルベルト陛下は不審そうに眉をひそめた。
警戒を強める彼の胸元で、拳大ほどもある巨大な藍色の魔石が、怪しく輝き始める。
それは帝国の至宝と呼ばれる、意思を持つ最高位の結界石、サファイアだった。
『うわあぁぁ! 主様、このお嬢さんすごいよ! 僕たちの声が完全に解るんだ!』
突然、頭の中に響き渡る大音量。
あまりの音量の大きさに、私は思わず耳を押さえた。
「ちょっとサファイアさん、静かにして。頭に直接響いて痛いわ」
「……何だと? お前、今なんと言った?」
ギルベルト陛下が鋭く目を細める。
彼の手が、腰に帯びた長剣の柄へと伸びた。
『本当だよ主様! このお嬢さん、すっごく綺麗で優しい魔力を持っているんだ!』
『というか主様! 主様だってさっきから、このお嬢さんに一目惚れして心臓バクバク言わせてるじゃないか!』
「ぶっ……!」
私は思わず吹き出してしまった。
(……えええええ!? 冷徹非道で人間味がないって恐れられてる氷の皇帝陛下が、まさかの一目惚れ!? しかも石に全部バラされてるの、最高に面白すぎるんだけど!)
「……ッ!? お、お前、この石が何を言っているか解るのか!?」
ギルベルト陛下は耳たぶを真っ赤に染め、珍しく激しく動揺した。
ポーカーフェイスの裏で、胸元のサファイアが彼のウブな本音をこれでもかと叫び続けている。
『「なんて可憐で強い瞳なんだ、今すぐ俺の城へ連れ帰って飾りたい」って、主様が今頭の中で考えてるよ!』
「黙れ、サファイア! 貴様、主を侮辱する気か!」
「ふふ、陛下、サファイアさんは嘘を吐かないそうですよ? 毎日私のことを考えてくださるなら、大歓迎ですけれど」
私が悪戯っぽく微笑むと、ギルベルト陛下は顔面を沸騰させるかのように真っ赤にした。
彼はこれ以上の暴露を防ぐためか、一歩前に踏み出すと、流れるような動作で剣を抜いた。
ギィィンッ! と鼓膜を刺す高い金属音。
頑丈な鉄格子が、まるでおもちゃの粘土細工のように真っ二つに叩き斬られた。
火花が暗闇に散り、鉄の塊が床に転がる。
「面白い……。サクラ・コと言ったな。お前のような逸材を、この無能な国に置いておくわけにはいかない」
ギルベルト陛下は剣を鞘に収めると、スタスタと牢内に踏み込んできた。
そして、戸惑う私の身体を、大きな腕で軽々と横抱きにする。
「ひゃっ!? へ、陛下!? これはいわゆるお姫様抱っこでは!?」
(……きゃー! ちょっと待って、体格差が凄すぎて、陛下の男らしい匂いが鼻腔を直撃してる! 心臓に悪いから、サファイアさんこれ以上喋らないで!)
「うるさい、拉致だ。大人しくしていろ」
ギルベルト陛下はぶっきらぼうに言い放ち、私の身体をきつく抱きしめた。
その顔はまだ夕焼けのように赤いけれど、私を見る瞳には、狂おしいほどの情熱が宿っている。
『やったー! 主様、お持ち帰り成功だね! 手が震えてるの、バレバレだよ!』
サファイアの嬉しそうな声をBGMに、私はこうして、あっさりと地下牢から救出――もとい、隣国の皇帝陛下に誘拐されることになったのだった。
(第2話おわり)




