幕間:新米夫の果てなき試練、あるいは蛍石の賑やかな歓迎会について
――カチャ、と静かに扉が閉まる。
長く、そして世界で一番熱狂的だった結婚式と披露宴のすべてが終わり、俺は新婚初夜を迎えた寝室の、手前のリビングにいた。
すでに上着を脱ぎ、タイを緩めてソファに深く背を預ける。
だが、胸の奥でトクトクと刻まれる高鳴りは、昼間の誓いのキスの瞬間から何一つ衰えていない。
(……サクラ・コが、俺の妻になった)
名実ともに、彼女は帝国の皇后となり、俺の生涯の伴侶となったのだ。
婚礼の儀で見せた彼女の純白のドレス姿、ベールをめくったときの少し照れたような、けれどまっすぐな愛に満ちた瞳。それを思い出すだけで、いまも視界が熱くなる。
「……夢、ではないな」
『あははは! 主様、本日何度目の確認それ? もう立派な夫婦なんだから、いい加減現実を受け入れなよ!』
机の上に置いたブローチから、サファイアが今日一番のまばゆい青をパチパチと弾けさせて笑う。
「サファイア。今日くらいは静かにしていろと言ったはずだ」
『無理無理! だって主様の脳内、さっきから「初夜……初夜……どこまで優しくすればサクラコを怖がらせずに済むだろうか……いや、俺の理性が持つか……?」って、ウブな初心者みたいな悩みでパンクしそうなんだもん!』
「貴様……っ!」
図星を刺され、俺がサファイアを握り潰そうかと手を伸ばした、その時だった。
同じ机の上に並べて置かれていた、サクラコのティアラから、新入りの結晶がピカッと「生意気な紫」の光を放った。
『ちょっとサファイア先輩、主様を虐めるのはそこまでにしてよね。それより見てよ、僕のこの高貴なグラデーション! お姉ちゃんのティアラのセンターを飾るにふさわしい、最高の輝きでしょ?』
新入り――バルドゥール大公の宝物庫から救出された『フローライト』だ。
大公たちの悪巧みを暴いた功績で、彼はめでたくサクラ・コの専属魔石(兼ティアラの飾り)として召し抱えられたのだが、こいつもサファイアに負けず劣らず喧しい。
すると、サクラ・コが寝室に置いていった婚約指輪から、ダイヤがキィンと不機嫌そうな無色の波動を放った。
『は? 何言ってんの新入り。サクラコお姉ちゃんの「一番」は、薬指にぴったり嵌まってる僕だから。ティアラなんて式が終わったら出番ないじゃん、ウケる』
『なんだとこの脳筋ダイヤモンド! 硬いだけが取り柄のくせに偉そうにするなよ! 僕なんかお姉ちゃんに「可愛いスミレの花みたい」って言われたんだからね! ほら、嬉しくて今ピンク色になっちゃった!』
『あー、はいはい、チョロイン乙ー』
『チョ、チョロインって言うなーー!』
脳内で始まった、石たちのあまりにも中二病じみた小競り合い。
サファイアはそれを肴にするように、ニヤニヤと青い光を点滅させている。
普段なら「石ごときが騒ぐな」と一喝するところだが、フローライトが放った「お姉ちゃんに可愛いと言われた」という言葉に、俺の胸の奥で、大人気ない嫉妬の炎がチリリと燃え上がった。
「……フローライト。サクラ・コが可愛いと言ったのは、お前の鉱物としての色彩であって、お前自身ではない」
『わっ、主様が急にマジレスしてきた! 怖い! 目がマジだよこの皇帝!』
『あははは! 新入り、言ったでしょ? 主様の独占欲は石相手でも一切容赦ないんだから!』
『ふ、ふん、主様だって、さっきお姉ちゃんが着替えるときに「あ、あの、ギルベルト様……私、その……」って恥ずかしがってる姿を見て、脳内で尊死しかけてたくせに……(恐怖で水色になりながらも、本音を暴く天才の石)』
「貴様ら、全員まとめて今すぐ裏庭の池に沈めてやろうか」
俺が本気で冷徹皇帝の覇気を解き放つと、三つの魔石たちは「ひえっ」「主様がガチだ」「静かにしよーぜ」と、ようやく小さく縮こまって光を収めた。
本当に、どいつもこいつもやかましい。
サクラ・コと出会ってからというもの、俺の周囲は一日たりとも静かな日がない。
だが――。
ソファから立ち上がり、そっと奥の寝室の扉を開ける。
そこには、豪華な天蓋付きのベッドの端で、シルクのナイトウェアに身を包んだサクラ・コが、少し緊張した面持ちでちょこんと座っていた。
俺の姿を見ると、彼女の白い頬が、ぽっと可愛らしい桜色に染まる。
「あ……ギルベルト様。お疲れ様でした」
その無防備で、愛おしい微笑み。
それを見た瞬間、リビングで石たちにからかわれていた苛立ちなど、霧のように消え去ってしまった。
王国の暗闇で、ただ硬く心を閉ざしていた彼女を、俺は見つけて、すくい上げた。
いま、彼女はこうして俺の腕の中で、どんな宝石よりも眩しく、温かく輝いている。
「お待たせ、サクラ・コ。……少し、騒がしかったな」
「ふふ、いいえ。賑やかで、私、とっても幸せです」
彼女の隣に腰掛け、その細い肩を優しく抱き寄せる。
サクラ・コの体温が伝わってくるたび、俺の心はこれ以上ないほどの幸福感で満たされていく。
背後のリビングからは、静まり返ったフリをしながらも、『きゃー!』『主様、手元がちょっと震えてるよ!』『お姉ちゃん頑張ってー!』と、小さな、けれど確かな祝福の波動が漏れ聞こえていた。
世界一やかましい石たちと、世界一ウブな俺。
そして、世界一愛おしい、俺の可愛いお妃様。
この騒がしくも甘やかな帝国で、俺たちの本当の「新婚生活」が、いま静かに幕を開けるのだった。
(幕間おわり)




