幕間:昏き王の答え合わせ、あるいは幸福な独占欲について
サクラ・コを彼女の寝室まで送り届け、ようやく自室へと戻ってきた。
上着を脱ぎ、椅子に深く身体を預けたものの、胸の奥の格段に速い鼓動は一向に収まる気配がない。
そっと自分の左手を見つめる。
彼女の薬指に、あの伝説の魔石――いや、今は美しく形を変えた婚約指輪を嵌めたときの、指先の柔らかな感触がまだ残っている。
「……本当に、俺の妻になってくれるのだな」
誰もいない部屋で、ぽつりと声が漏れた。
自分でも驚くほど、締まりのない声音だ。
『あははは! 主様、まだ夢見心地なんだ? かっこつけてプロポーズしたくせに、部屋に戻った途端にそれじゃ形無しだよ!』
机の上に外されたブローチから、サファイアが容赦のない笑い声を上げて明滅する。
「黙れ、サファイア。……だが、今日だけは貴様を怒る気にもなれん」
『へえ、余裕だねぇ。まあ、あの「ダイヤの兄貴」を一瞬でふにゃふにゃにしたサクラコちゃんだもんね。主様が骨抜きになるのも当然か』
サファイアの言葉に、俺はふと、初めて彼女に出会ったあの日のことを思い出していた。
隣国の地下牢。
冷酷な覇王として周囲を威圧し、ただの政治的交渉の駒として、捨てられた伯爵令嬢を拾い上げるつもりだった。
だが、凍えるような暗闇のなか、ボロボロの衣服を纏ったサクラ・コを見た瞬間、俺の冷え切っていたはずの心臓が、確かに跳ねたのだ。
あのとき、サファイアは俺の脳内で盛大に騒いでいた。
『主様、この娘を今すぐお持ち帰りしなよ! 僕(9月)じゃ傷一つつけられない、あの地下の偏屈な兄貴を目覚めさせられるのは、この「4月の風」の波長を持つお嬢さんだけだ!』と。
人間の俺には、石たちの言う「波長」や「誕生月の相性」など、当時は何のことかさっぱり分からなかった。
ただ、ジークフリートがサクラ・コを「色を持たない、ただ硬いだけの無能な石ころ」と蔑んだとき、反吐が出るほどの不快感を覚えたことだけは鮮明に覚えている。
「色を持たない、か……」
俺は自嘲気味に呟き、窓の外の月を見上げた。
我が国に伝わる『竜の涙』。
何百年も誰も扱えず、ただ凶暴な兵器として恐れられていたあの青き結晶の正体は、この世界で誰も見たことのない、最高硬度の「無色の結晶」だった。
無色透明だからこそ、どんな光も吸い込んで、世界で一番強く、美しく輝く。
傷つけることなど誰にもできない、気高く、絶対的な宝石の王。
サファイアたちの話では、サクラコの魂は**「優しく温かな4月の波長」**を生まれ持っているらしい。だからこそ、あの頑固な石の王は一瞬で彼女に心を開いたのだという。
王国の愚か者どもは、その「無色」の本質を、価値がないと切り捨てた。
だが、あの地下牢でサクラ・コの剥き出しの輝きに触れ、最初に魂ごと救われたのは、9月の深い青を宿した、この俺だったのだ。
『お、主様、急にシリアスな顔してどうしたの? もしかして、ダイヤの兄貴がサクラコちゃんにベタベタしてて、また嫉妬に狂いそうとか?』
「……そんなわけがないだろう」
図星を刺され、俺はふいとサファイアから目を逸らした。
確かに、あの指輪のダイヤがサクラ・コの指先で『お姉ちゃん大好きー!』と甘えた光を放つたび、石相手に大人気ない独占欲が燻るのを感じてはいるが。
「俺は、彼女がこの国に来てくれた運命に、感謝しているだけだ」
『はいはい、ごちそうさま! 早く結婚式の日程を決めないと、主様の独占欲で皇宮の全調度品がまた大合唱を始めちゃうから、気をつけなよ!』
「……善処する」
月光を浴びて輝く、深い青色のサファイア。
そして、今頃隣の寝室で、サクラ・コの指で優しく微睡んでいるであろう、最高硬度の無色の輝き。
石たちの騒がしい歌声を聞きながら、俺は、世界で一番愛おしい婚約者をどう甘やかすべきか、果てのない幸福な思考に耽るのだった。
(幕間おわり)




