第40話 残響
イテルが口を開ける。獣鬼になりかけているせいなのか、片側の歯は鋭利な牙になっていた。
これに噛まれたらひとたまりもない。
だが、噛ませてイテルのギフトを吸うことで獣鬼にならないのだろうか。
「た、助けて……なるべく優しく噛むから、オレのギフト……吸って……」
意味がわからない。こちらから吸うやり方も、助けてもらえる前提のこいつも。
そもそもなんだ。獣鬼になりかけるとまさかギフトを流せなくなるのか?
「ああ、もう……意識が」
そう言いながらイテルの口からボタボタと涎が垂れ始める。黒い炎はこの状況を嘲笑うかのように残り半分を覆い尽くそうと揺らめく。
アモルはあの時——。
「早く噛めイテル! 吸ってもらえさえすれば、お前はまだ助かる!」
まだ助かる、か。
「レーベン! くそ! そんな顔しおって……思い出せや! アモルはそんな中途半端やなかったはずや!」
ルストの言葉に中で眠っていた記憶が再び過ぎる。
——ごめんね。
そう言いながらあっという間だった。
そうだ。
アモルは、イテルのように僅かに残された奇跡などなかった。
じゃあ、どうする。こいつを助けるべきか?
自分が死ぬかもしれない、という可能性があるのに?
「うおおおおおおお!」
どこからか聞こえてくる声はどんどん近づき、横にいた獣人が押し寄せる形で衝撃がきた。
骨折している右腕から手を離され、左腕を掴んでいる獣人にぶつかる。
「お、お前ら何やってるんだよおお」
この声、どこかで。
「……グーテか」
振り返れば息を切らし、足がこちらから見ても分かるくらい震えていた。
またズボンを濡らしてしまいそうだ。
「よ、良くないんだぞ!」
獣鬼が怖いと言っていたのに、立ち向かえる勇気がある。騎士として十分の素質だ。
この場にいるイテルを助けるために剣を握るのをやめた獣人達よりもずっと。
剣が地面を削る音が聞こえる。同時にイテルが倒れ、その上に足を乗せるノイは首筋に剣をそえていた。
「そうそう、グーテちゃんの言う通り、良くないわ」
獣人達から悲鳴のような声が上がり、自分からもルストからも離れていく。
解放された体をあげれば、グラウが
「ま、待ってくれ! イテルを助けたいんだ!」
イテルの友人の獣人がグラウの前に跪く。
門で見た時は親しみやすい雰囲気だったのに、嫌悪を隠すつもりがないらしい。そのどこまでも冷めた瞳は関係ないこっちまで震え上がりそうだ。
「レーベン!」
解放されたルストが駆け寄って来て抱きしめてくる。その腕はキツく震えていた。
「無事で、良かったっ」
鼻を啜る音が聞こえ、思わず引き剥がす。
「鼻水はつけるな」
「ええやん、今はそんなこと言わんといてやっ」
そう言いながら再び抱きしめてくる。
「助けるって……もう獣鬼になっちゃったみたいだけど?」
冷徹なまでのグラウの声。
ああ、自分は助けることはできなかったのか。
そう思うのに心はどこか安堵していた。
自分は冷たい人間になってしまったのだろうか。
ここに入る前に制約をしたからだろうか。
——私、レーベン・ラヴィーネは如何なる時も寄宿舎の中にいる獣人を助けてはならないとここに誓う。
「グルルル」
獣鬼の唸りは周囲を鎮まり返らせ、幾つもの剣が抜かれる音がする。
大きな衝突音と共にノイがグラウの横に降り立つ。
「あ、ああ……そんなっ」
イテルの友人と目が合う。その顔は過去に夢見ていた偽りのアモルと同じ表情。
「お前のせいだっ! お前が、噛ませていればっ!」
自分から離れて行ったルストがその友人の前に行き、腕を振り上げると鈍い音が響いた。
「レーベンのせいやない! こんな糞だめから出て来ない自分達のせいやろ! 獣鬼にいつかはなるって分かっててここにおったんやろ!?」
獣鬼がこちらを向く。
「レーベン、今度こそちゃんと逃げや! そこで震えてる奴も連れて行けってや」
その言葉に「分かった」と頷き、グーテの腕を掴む。
「グーテ、逃げるぞ」
足が震えてうまく歩けないのか、たまに足がもつれてしまうようだった。
「漏らしてないよな?」
「……ちょびっとだけ」
漏れたのか。
グーテのバディは過保護な奴か、面倒見がいい奴じゃないとやっていけなさそうだな。
レーベンは苦笑を浮かべる。
背後で剣が何かとぶつかり合う音。振り返れば獣鬼が数人の獣人とグラウとノイと戦っていた。
剣と爪が交わる音は悲鳴にも近い高音。
激しく動きがある中にはルストの姿もある。
今回は何も役に立てないな。自分が行ったところで邪魔になるだけだ。
それならばこっちはこっちで元々の任務を行うしかない。元々は自分達は、グーテを説得し騎士団に引き入れることの為に来ているのだから。
レーベンは横にいるグーテの腕を引く。
「……グーテ、お前には騎士の素質がある」
握っている腕がびくり、と動く。
「あの状況で俺を助けてくれたのが何よりも証拠だ」
「……でも無理だよ。獣鬼見ると足の震えが止まらない」
「それはグーテが戦い方を知らないからだ。元貴族だったのだから、多少は剣術は習っているだろ? 本格的にやれば変わってくる」
腕を離し、グーテを真っ直ぐ見つめる。
丸みを帯びた三角耳は垂れ、尻尾は足の間に入って閉まっていた。
「グオオオオ!」
大きな咆哮と共に倒れる音が聞こえる。
終わったのだろうか。目を向ければこちらに走ってくるルストがいた。
「レーベン、腕、大丈夫なん?」
息を切らしたルストに右手を取られたが、触れられると痛みが襲う。小さな声を漏らすと左手を取られる。
「ギフト、流してもええ?」
「いや、今はいい。終わったんだろ?」
それにルストはまだギフトをこちらに流してこなくてもいいはずだ。
「そうなんやけど……ちゃうねん。俺が、今、レーベンに渡したいんや」
琥珀色の瞳が揺らぐ。
「まあ、貰っとくかな」
そう言えば、ルストは尻尾をブンブン揺らし自分の横にいるグーテに目をやる。
「グーテ、良く見とき。これがギフトの渡し方や」
自分の横にいるグーテの喉がゴクリと音を鳴らす。
左手の甲にルストの唇が触れる。その瞬間、淡い緑の光が現れて隙間という隙間にギフトが流れ込んでいく。
「なんて、美しいんだ」
グーテが声を漏らす。
唇を離したルストはその言葉にニヤリと笑う。
「ええやろ? 羨ましいやろ? 姫さんと騎士みたいで……信頼し合えば手にキスし放題やで」
こいつ、何を言っているんだ。
だが、グーテの瞳は星のように輝いていた。
そういえば初めて会った時、自分達の演技に興奮していた気がする。
「僕、やるってみるよ!」
「その意気や!」
グーテの鼻息が荒いが大丈夫だろうか。心配だ。
「おい、グーテ……バディは大事にしろよ? お前はもう貴族でもない。人間を物として扱うなよ」
はっ、としたような顔をしたグーテは力強く頷く。
アラーネアの姿が頭に過ぎる。
「逆に人間がお前を物みたいに扱ったら俺に言え、バディとは、という説明をそいつにしてやる」
「わ、分かった!」
背後で大きな泣き声が聞こえる。
振り返れば倒れた獣鬼が灰となり、体半分消えかけていた。
「バディは大事、だからな」
レーベンはバディを亡くし、友まで亡くした獣人を眺める。
「あいつ、どうなるんだろうな」
「何らかの処罰はあるやろ。他の獣人もや……見てみい、グラウが獣人をびびらせとる。何言うとんのやろうな」
数人の獣人の顔は青くなり、震えているようだった。
「それより、お前、いつまで手を握ってるんだよ。離せ」
「えー、いいやん」
左手をルストから解放する。
「君達、恋人じゃないの?」
グーテの言葉に「違う!」と声を上げ、大きなため息をつく。
ニヤニヤ笑うルストは尻尾を揺らしていた。
「任務終わったし、帰るぞルスト」
「へいへい。ほなグーテ、後で迎えが来るから準備しとき~」
レーベンは横目で、舞い上がる灰の前で泣き崩れている獣人流し見る。
しかしそれはルストの体によって遮られてしまう。
「飴ちゃん食う?」
緑色の包装に包まれた飴が差し出される。
正直に言えばいらない。
だが、今は食べたい気分だ。
「食べる」
レーベンは飴を口に含み、舌で転がす。鼻を突き抜けるような爽やかな香り。
この飴を食べたのは2度目だ。
何度食べても答えは自分の中で変わらなかった。
「……まずい」
「クセになっとるくせに」




