第37話 フラーテル編 4 ルスト視点
どこまでも続く赤。
鼻を掠めるのは鉄の匂いと煙、そして場にそぐわない爽やかな香り。
壊れた建物の瓦礫が散乱し、人の気配はどこにもない。
腕の中にいるフラーテルはいつもより軽い。目の端に入る転がっている人間の足。
なぜかフラーテルの靴を履いていた。その周囲も真っ赤で覆われ動かない。
確か、任務が終わって今日は自分の実家へ行く日だったはずだ。昨日、店に行った後は飯食って風呂入って話しながら寝て——。
「朝起きたらいなかったはずの獣鬼が現れて、それで……」
ゆっくりと顔を右に向ければ、動かなくなった獣鬼が灰に変わろうとしていた。
くん、と腕を引かれ視線を下げる。
「ルス、ト」
掠れた声を紡ぐ口元はへらり、と弧を描く。
フラーテルは震える手で自分の団服の首元に手を入れ、銀色のネックレスを引きちぎった。
「ルス、ト……これ、かえ、すわ」
ネックレスを持ったまま、震える手が頬を撫でていく。
手首から香るのは購入したばかりの鼻を突き抜けるような爽やかな匂いを纏う香水だ。
購入し、昨夜団服を来たまま付けたせいで団服に香りが移ったのだろう。
「次のバディはぜっ、たいに大事に、しろ。守、れ」
「い、いややっ。き、昨日、い、引退する、まで……一緒にいるって、言ってたやろ!? 嘘つくなや!」
真っ青な肌。血の気がない唇。ゆっくり行われる瞬きに普段聞いたことがない呼吸音。
頬をつねられ、笑うフラーテルの表情が真っ直ぐで力強い瞳に変わる。
「やく、そくだから、な」
フラーテルの指はピタリ、と力を無くす。そのまま壊れた人形のように地面にピチャリ、と音を立てて落ちていく。
「フラーテル? おい、おっさん、起きろや!」
頬を何度か叩くが、力無く開いた目元は瞬きをすることはなかった。
「あ、ああっ……そんなっ」
僅かに開いたままの瞳もこちらを見ようとしない。目の前が滲み、起きてと言わんばかりにフラーテルの顔中に自分の涙が落ちていく。
「い、いややっ、フラーテ、ル。死なんといて」
だが、そんな言葉は無情にも鮮血の中へ飲み込まれて消えていった。
あれからどれくらい経ったのだろうか。
両足を曲げた先には眠っているフラーテルの姿。
幾つもの足音が聞こえてくる。
「……今更来たのかよ」
来たところで獣鬼と戦える訳もなく、役に立たないお荷物になるだけの騎士団だ。
「獣鬼、倒したんだな。ご苦労。あとはこちらが片付ける。お前は着替えて騎士団に帰れ」
頭上から降ってくる声に耳だけ傾けながらフラーテルを見つめる。
「……まあ、こいつがいなくなったから見張付きだがな」
こつん、とフラーテルの頭が蹴られた。
目の前が黒く塗り潰され稲妻のようなものが走る。手に痛みが走った瞬間、王国騎士団の男が尻餅をついてこちらを驚いた表情で見上げていた。
男の頬は赤い。
「ふざけんなや!」
もう一度振り上げると両サイドから体を掴まれ、拘束されてしまう。
「離せや! ぎったんぎったんに殴ったる! なんでフラーテルを蹴ったんや! このクソ野郎!」
口から血を吐き出した男は立ち上がると近付いて来て前髪を掴んで来た。ギチギチと自分の頭皮が悲鳴を上げる。
「なぜ蹴ったかって? 平民だからだよ」
低く小さな声。そのまま離された前髪の隙間からニヤリ、と笑う顔に何も言い返すことが出来なかった。
「こいつ連れて行け。目障りだ」
「ま、待ってや! フラーテルはどないすんねん」
だが、その男は何も返してくれない。
「おい! 聞いとんのか! クソ野郎! フラーテル! フラーテル!」
騎士団がフラーテルを囲み、何かをしている。ネックレスが取られているようだった。
「触んなや!」
それはお前らのちゃう。
「おい、離せっ! 離せやぁ!」
しかし、暴れてもびくともしない。相手は獣人の騎士二人。もっと力があれば違っただろう。自分の力がどれだけ非力だったのか嫌でも思い知らされる。
「頼む、フラーテルに何もせんでやぁ」
ううっ、と情けなく自分の頬を濡らしながら引き摺られて行った。
「……おい、お前」
頭上から声がかけられる。顔を上げれば左側の脇を抱えている獣人が眉間に皺を寄せ、こちらを見下ろしていた。
「あのバディは墓に入れられる。着替えたら連れて行ってやるから大人しくしてろ」
「……ほんま?」
「ああ」
その獣人はそれ以上何も言わなかった。
宿泊していた宿に連れ戻され、着替えを促される。
室内に足を踏み入れた。宿を出る前に獣鬼が出た為、部屋はそのままの状態だった。もちろん荷物もそのままだ。
扉が閉まれば恐ろしいほど、静寂が襲ってくる。
ベッドの上にはフラーテルが購入した黒い紙袋と荷物が入った簡易的な大きなバッグ。
「たっだいまー」
そう言って今にも帰って来そうだ。だが、もう帰って来ない。
さっきまで全て溢しきったはずの涙が頬を濡らしていく。
「ううっ、いややっ……俺が弱かったからっ」
膝をつき目の前にあったベッドを殴る。ふわり、とした柔らかい感触に拳が弾かれた。同時に置かれていた黒い紙袋が倒れコロコロと緑色の包み紙で包まれた飴玉が一つ自分のもとに転がってくる。
紙袋の中には大量の飴玉。
「ほんま……どんだけ買ってんのや。買い占めたんちゃうか?」
アホやな。アホや。
ルストはそう小さく笑いながら呟く。
「……もう食べんのなら、俺が食べてもええよな?」
両端をつまみ出て来た緑色の飴玉を口に含む。
口内から鼻を抜けていくような爽やかな味。正直、苦手な味だった。なのに、クセになってしまう美味さがある。
「うまいなぁ……ええ匂いやなぁ」
フラーテルのバッグをベッドから引き寄せたルストは強く抱きしめた。
「フラーテルも、そう思うやろ?」
返事が返ってくることはなかった。




