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第29話 守るべき者


 カテーナが獣鬼になった、というのは本当のようだ。見張りは誰一人おらず、アラーネアもどこにいるのか分からない。

 簡単に屋敷の外に出られてしまった。

 獣鬼が出たと知っているのか、知らないのか、街は昨日と変わらず賑やかだ。


「どこにおるのかわからんなぁ」


 レーベンは足を止めた。

 ふと、思い出したのだ。ルストの言葉を。


 ——死にかけの女のくせに度胸あるやないか。


「なあ、一つ聞いてもいいか?」

「なんや?」

「……カテーナが獣鬼になりそうって分かっていたのか?」

「いくら鼻がよく利く獣人だとしても、ギフトが残りどんくらいなんて自分の以外、分からんよ。ただ、死にかけの匂いしとったんよ」


 糸目の間から琥珀色の瞳が顔を覗かせる。

 拳を握りしめて、ルストの顔を目掛けて振るう。しかし、それは届くことはなかった。

 自分の拳はルストの手中に収まってしまう。


「何のつもりや」

「もっと早く分かっていたら、助けられたかもしれない……なのに、なぜ!」

「……惚れてたんか?」

「違う、そうじゃないだろっ」


 そうじゃない。そうじゃないのに、目頭が熱くなっていく。

 なぜこんなにも悲しいと思うのだろう。

 アモルと同じように心に棲むことを許さず奈落に突き落としたのにまだ、カテーナが引っかかっている。

 いや、もしかしたら自分でわざと捕まえているのかもしれない。


「レーベン、だめやで。俺だけやろ? それにクソ女にはやらんって言ったやろ」


 自分の中に現れた幻像のルストが引っかかるカテーナを引き剥がし、さらに落としていく。


「いい女やったら、レーベンを半分くれてやったんよ……でも、あいつにはやれん」

「なんだよ、それ」


 ふっ、と笑ってしまったが同時にカテーナのせいでルストまで失っていたかもしれない未来を想像してしまう。

 黒い炎に苦しむルスト。鋭い瞳に牙。自分に向けられる爪。

 怖くなった。

 信頼しているのに、それを阻害しようとする。

 ルストによってレーベンの拳が解かれ、手の甲に唇が近付く。


「ま、待ってくれ」


 手を引くが離してくれない。


「なんでや? ギフトあげんと戦えんやろ?」

「ち、違う。今はだめだ」


 しかし、ルストは「何言っとんのや、時間ないやろ」と言って手を引き戻しキスを落とす。

 淡い緑色の光は自分の中には入って来なかった。


「……なんでなん?」


 耳と尻尾を垂らしたルストにレーベンは空いた片手で顔を覆う。


「だから、待てって言ったんだ!」

「……またバディ解消するとか言うんか?」


 違う、と答えるはずの言葉は爆発音で消し飛ばされる。

 賑やかな声は悲鳴に変わり、自分達を避けて恐怖に怯えた人々が走って逃げて行く。


「ガアアアア!」


 獣鬼の声だ。


「レーベンはここで待っとき」


 優しいのに突き放すような冷たい声だった。

 一人で爆発音と獣鬼の声に向かって行くルストの後ろ姿にレーベンは自分の顔を殴る。

 違うだろ。

 ゆっくりと前に足を進める。

 ルストを獣鬼にしない為に自分がいるんだ。

 あいつのバディは今は自分しかいない。守れるのは自分だけ。

 速くなる歩調は、全速力で駆け出していた。





 立ちこめる煙と建物の残骸。どうやら獣鬼が何らかの形で食堂を爆発させてしまったようだ。

 先ほどまでいた痕跡はあるのに、獣鬼もルストもいなかった。どこへ消えたのだろう。ギフトがなければ足の早い獣鬼にも獣人にも追いつけない。

 拳を握りしめ、耳を澄ます。


「うぅっ……」


 呻き声だ。

 倒れた建物の下に男性がいた。


「大丈夫ですか!?」


 すぐさま駆け寄り男性を助け出す。


「……ありがとう」

「いえ」

「あんたも大変だな」

「え?」

「だってそのエンブレム。ギフト持ちの獣人と一緒に獣鬼倒すんだろ?」


 立ち上がった男性は自分の額の血を拭う。


「どうせ、その獣人もさっきの獣鬼になるのに」


 過去にギフトを持った獣人を獣鬼予備軍と称したことがあった。

 ルスト達は予備軍であることは確かだ。


「……バディがいれば獣鬼になんて……」


 だが、カテーナはバディがいたのに獣鬼になってしまった。そしてアモルも。


「ギフトはなんでこの世に存在しているんでしょうね」

「さあ、知らねえよ。俺に聞かんでくれよ。まあ、助けてくれてありがとう……気をつけてな」


 去って行く男性を見送り、立ち上がるとぞくり、としたものが背筋に走る。

 静寂が一気に訪れたせいだろうか。それとも背後から刺すような視線が向けられているからだろうか。

 自分の影に大きな影が重なっていく。


「グルルル」


 振り返ると黒い炎を纏い、艶があり自分と同じ髪色をした獣鬼がいた。


「……カテーナ」


 耳がピクリ、と動く。だが、すぐに襲ってきたのは痛みだった。

 吹き飛ばされ、転がり、瓦礫にぶつかり体は止まる。右腕は折れたかもしれない。

 痛む右腕に触れる。


「くっ」


 まさかの利き腕をやられるとは思わなかった。完全に自分の落ち度だ。震える右手をゆっくり下ろし、立ち上がったレーベンは、左手で剣を抜いて構える。

 やはり利き手ではない分、力の入りが弱かった。


「死ぬよりマシだっ」


 振り下ろされた爪を受け止めることはせずに流していく。ギフトがない分、体は重く力も非力だ。

 そのせいか、弾かれただけで剣が吹き飛ぶ。

 自分でも驚くような小さな声が漏れ、一気に死期を悟った。

 振り上げられた爪を見上げることしか出来ず、頭に浮かんだのは笑ったルストの顔。

 まだ死ねないだろ。

 振り下ろされる瞬間にレーベンは体を動かし、爪から逃げる。剣に向かって走って行けば、分かっている、と言わんばかりに獣鬼に剣を蹴られてしまう。


「頭良すぎるだろ!」


 反対側から来る爪に気づくが避けきれない。

 くそ、やらかした。

 決意して来たのになんて情けない。

 そう思いながら目を閉じる。

 キィイイイン! と火花でも散りそうな音。鼻を掠めたのは嗅ぎ慣れた匂い。爽やかで突き抜ける香り。

 目を開ければ見慣れた背中があった。


「……ルスト」


 しかし、ルストはこちらを見ない。


「死にたいんか? ギフトないくせに、アホなんちゃう? 逃げろや!」


 ルストの尻尾が膨れ上がっていた。怒り任せなのか、獣鬼を蹴り飛ばす。

 瓦礫の中へと獣鬼は飲み込まれた。

 振り返ったルストに襟元を掴まれ、琥珀色の瞳に射抜かれる。


「なんで来たんや」


 歯を剥き出しにし、低く唸るルストは息が荒かった。


「悪かった、ルスト」


 自分からルストの手に触れる。


「……怖かったんだ。一歩間違えていたら、お前を失っていたんじゃないかって」


 剥き出しの牙が仕舞われていく。

 ルストの背後で息を切らしたポエナと領主の護衛騎士達が走って来るが、こちらを一瞥しすぐに獣鬼と対峙していた。


「グオオオオ!」


 獣鬼の声が地面を揺らし、風を揺らす。


「……レーベン、お前のバディは誰や」


 ルストの耳が弾くように動き、尻尾が揺れているのを目の端で捉える。

 本当に耳と尻尾は演技が下手だ。


「知ってるだろ? ルスト、お前だ」


 レーベンはルストの手を強く握る。


「ギフト、くれないか?」


 ニヤリ、と笑ったルストがそのまま手を口元に持っていき、キスを落とす。淡い緑色の光が現れ、自分の体に入って行くのが分かる。

 神経と筋肉。そして隙間という隙間に入っていく。


「ギフト、無事に届いたか?」

「ああ、届いた」


 ルストの背後で獣鬼が起き上がる姿を捉える。その近くには先ほど落とした剣があった。レーベンは体の中にあるギフトを起こし地面を蹴る。

 軽くなった体は獣鬼が阻止するよりも先に剣を取ることができた。

 だが、無意識に剣を右手で取ってしまった。腕が痛い。

 左手に持ち変える。先ほどまでとは違い、もう一人のルストに補助して貰っているかのようだ。

 レーベンは剣を構える。


「カテーナ、今、楽にしてやる」


 剣先の向こうで唸るカテーナは、尻尾をゆらりと動かし瞳を細めて鋭い牙を剥き出しにする。


「ガアアアア!」


 大きな咆哮が響き渡った。

 

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