第26話 裏切りの歓迎
無駄に広い部屋に柔らかくて大きめなベッド。足元を彩るのは花の模様が描かれた上質な絨毯。
レーベンはベッドに腰をかけ、頭を抱えていた。
両手首にはやや太めの手枷。動かせば間にある鎖が音を立てる。
何度ついたか分からないため息をつき、仰向けにベッドに倒れた。今の状態とは裏腹に優しく体を包み込んでくれる。
「面倒ごとはごめんだ、と思ったのになあ」
レーベンは再び、手元を掲げ見つめた。
ポエナに案内され、屋敷に入ると領主らしき人物が既に待っていた。
「初めまして。私は、ここ愛に満ち溢れた小さな街、クピディタスの領地を管理しているアラーネア・ソルベーレと申します」
先ほどポエナが食べていたキャラメルのケーキのような髪色にやや暗めの赤い口紅。重たい青色のドレスは体のラインを強調し、大人の女性の色香を醸し出していた。
「……お美しいわ」
そう言うポエナは自分の横でうっとりとした表情でアラーネアの姿を見つめている。
レーベンは、そんなポエナの横で震えているカテーナを一瞥する。
今更ながら、不思議に思った。カテーナは人間より力がある獣人のはずだ。なのに、なぜ人間に怯えているのだろう。
本気を出してしまえば、ポエナなんて一捻りのはずだ。
「あら、貴方どこかで」
こちらをじっ、と見つめてきたアラーネアは近寄って来る。むせ返るような香水。なんの花か分からない。ただ、後ずさりしたくなる臭さだ。
レーベンの横を通り過ぎ、ルストに近づく。
「ポエナ、さすがよ。この子を探していたの」
「アラーネア様、ありがとうございます!」
眉間に皺を寄せたルストは、鼻をつまんでいた。獣人の嗅覚は人間より優れている。
このアラーネアの香りはルストにとって害でしかない。
「俺はあんたのこと知らんよ?」
「それもそうよ。知らなくて当然よ。ふふ、そんなに私、臭い? 獣人にはきついでしょう? わざとよ? ほら、手を離して吸って」
何を言っているんだ、あの女。人間の自分でさえも臭いのに、それを吸えと? 正気の沙汰とは思えない。
離れろや、と嫌がるルストと強引に近づくアラーネアの間に入る。
ルストの体を押して距離を離す。
「申し訳ありませんが、俺達はこれで失礼させてもらいます」
「……ごめんなさい。私、貴方には用がないの」
「は?」
視界がぐるり、と変わり頭と背中に痛みが走る。
「レーベン!?」
ルストの声が聞こえた。
自分は今どこを見ているのだろう。シャンデリアがあんなに遠い。
「ルスト、動いてはだめよ?」
聞き覚えのある声。
視界の先にあるシャンデリアがポエナによって遮られ、影が自分の上に落ちてくる。
「お前、何して」
「動かないで」
肩口を踏まれ、光に反射した鋭利な刃がポエナの腰から抜かれる。
剣が首筋に沿わせられ、冷たい感触が肌に触れた。
「おいクソ女、何しとんのや」
「動かないで。いいの? 貴方の大事なバディ、死ぬわよ?」
剣がやや強く当てられ、ピリついた痛みと熱が灯る。
「チッ!」
「アラーネア様の言う通りにして」
ルストの方に目線を向ければ、鼻をつまんでいた手を解いたのか顔色が悪い。
琥珀色のルストの瞳が向けられる。
「レーベン、動いたらだめやで」
ルストが動けないのをいいことに、アラーネアが密着し頬を撫でている。
恋人ならいざ知らず、あの女、人のバディに何しているんだ。
動くな、と言われたが怪我なんて今はどうでもいい。
ポエナの足首を掴もうとすると蹴られて阻止されてしまう。
「カテーナ! 何ぼうっと突っ立ってるの? 早く手枷を付けて!」
「う、うんっ」
自分の手首に冷たい感触が覆い、ガチャリ、と音がする。
なぜ、こんなことされなきゃいけないんだ。
「なぜ、どうしてって思っているわよね? ごめんなさいね。私、お金が必要なの」
「……金だと?」
「だって、いいとこの貴族のお嫁さんになるにはお金とか必要でしょう? アラーネア様がギフトを持った獣人を十人連れて来たら、お金と旦那様を用意してくれるって約束してくれたの」
「お前、まさか」
ポエナの剣が上に引かれ、首横すれすれに突き刺さる。
「そうよ。私が何人もアラーネア様の屋敷に招いたわ。おめでとう。貴方の相棒が十人目よ」
そう言いながら笑っているのにポエナは、泣きそうな顔をしていた。
「……ポエナ、そっちの子。お願いするわね」
ばっ、とルストの方を見ると足元がおぼつかないのか、この屋敷の護衛騎士達に両脇を抱えられて歩かされていた。
僅かに見れた顔色は先ほどより青い。
体を捻る。
「動かないで。怪我するわよっ」
「構うものか! くそっ」
上に乗っているポエナの片足の足首を掴んで手前に引っ張る。
「きゃっ!」
バランスを崩し尻餅をついたポエナの隙を狙い、立ち上がろうとすると背中に衝撃が走った。
今度は床が近い。
背中の上に誰かが乗っている。
「退け!」と体を動かせば動かすほど、体重をかけられていく。
「落ち着いて」
その小さな声に抵抗していた自分の動きが止まってしまう。
花の香りが鼻を掠め、艶のある黒髪が視界に映る。カテーナだ。
「大丈夫。すぐには獣鬼にはならない」
胸が押し潰され、上手く息が吸えない。
苦しい。
「だから、今は一度落ちて」
ルストの「レーベン」と自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。
「ルス、ト」
最後に目に入ったのは垂れ下がった焦茶色の尻尾と伸ばした自分の手に付けられた手枷だった。
レーベンは大きなため息をついて自分の両手首を眺める。間にある鎖が嘲笑うかのように音を鳴らす。
あの後、目が覚めるとこの部屋のベッドに寝かされていた。
部屋の扉は鍵がかけられ、窓も塞がれていて助けを呼ぶのも難しい。
ふと、手枷の鍵穴が目に入る。
「……そういえば」
団服のポケットを漁る。
「あった」
使わないと思っていたルストからもらった細い棒。役に立つと言っていたが肝心な使い方が分からない。
これではただのゴミになってしまう。
もしこれをルストに渡すことができれば、最大限に活用してもらえるかもしれない。
レーベンは体を起こす。
立派で豪華な部屋が目に入る。
この部屋を当てがうくらいだ。食事くらいは出されるはず。その時を狙うしかない。
そんなことを考えていると部屋の扉がノックされる。
扉が開いて入って来たのはスープや彩り豊かな皿が乗ったワゴンを押すカテーナだった。
足早に近寄る。「な、なに」と警戒する姿を見下ろす。
「頼みがあるんだ」
レーベンは、カテーナを真っ直ぐ見つめた。




