第25話 指文字の不穏
ケーキを何とか食べ終えたレーベンは、ポエナに案内されながら領主の屋敷に向かっていた。
なんでも挨拶をしに向かうらしい。
「ケーキで腹いっぱいなんて初めてや。なあ、レーベン」
「……俺はしばらくケーキ見たくないな」
ゼリーは最後に取っておくべきだった。
「屋敷、どこやったっけなぁ。忘れてもうた。まだ着かんのか」
「食後の運動だと思って文句言わずに歩けよ」
アマーレの時とは違い、街中に屋敷があるらしい。しかも領主は女性。ルストは「女やったっけ?」と首を傾げていた。
ふと、目の前を歩くカテーナの髪が目に入る。一本一本が光を吸収し艶めいていた。同じ黒髪。パサつきのある自分とどうしてこうも違うのだろう。
その視線の脇に一際大きな屋敷の頭が見え始めた。街並みの景観を崩さない程度の豪華さがあり、あれが領主の屋敷なのだろうか。
カテーナの歩く速度が急に落ち始め、ルストがいない左側に寄って来る。僅かな警戒をすると手が取られた。
「お、落としたよ」
こちらが疑問を口にする前に手の中に素早く指文字が書かれる。ルストとは違い肌が柔らかく、花のいい香りがした。
「気をつけて」
そう言って、ポエナの後ろに戻って行く。
レーベンは足を止め、手の中に残されたものを見る。それは飴玉一つと「逃げて」と書かれた指文字の感触。
「なんや、惚れられたんか? いや、それとも惚れたんか?」
肩にルストの腕が回される。
「いや、違う」
「ダメやで? あの女だけは認めんよ?」
「なんでだよ。それに別にそういうのじゃない」
肩からぶら下がっているルストの手を取る。カテーナとは違い、鼻を突き抜ける爽やかな香り。それに皮膚が固く、指の骨がしっかりしている。その男らしい掌にカテーナと同じ言葉を書きなぐる。
「なんやこれ」
「さっき書かれたやつだ。この任務、絶対、めんどくさいぞ」
頭上で笑い声が聞こえた。
いや、何がおかしいんだ。何も面白くない。
「度胸あるやん、死にかけのくせに……まあ、レーベンはやらんけど」
「死にかけって、どういうことだよ」
「なんやろうな」
「なんだよ、それ。とりあえず、気をつけるに越したことはない。ルスト、注意しろよ?」
にやり、と笑うルストに飴玉を取られ拳の中に消えていく。
「それはレーベンやで」
パキ、バキと小さな音がルストの手の中で鳴る。粉々にされポロポロとルストの手から地面に落ちていく。
「レーベンこそ、死なんといてや? それに、契約破ったら許さんよ?」
琥珀色の瞳が剣のように向けられる。
——今後、バディ解消とか言わないこと。他の獣人からはギフトを貰わないこと……約束してや。
以前、ルストと交わした契約だ。
どうして急にそんなことを言い出したのかは分からないが、カテーナとの距離などが気に触ったのだろうか。
「破るわけないだろ」
レーベンはルストの脇腹に軽く拳を入れる。
「痛いわっ、急にやめや」
「うるさい」
「なんやそれ、意味わからん」
「それは俺もお前に言いたいことだな」
ポエナが振り向き「ちょっと!」と声をかけてきた。
「イチャイチャしてないで、早く歩いてくれるかしら?」
「うっさいなぁ。クソ女は空気も読めんのか」
「またクソ女って言ったわね!? 貴方、本当に酷い人!」
「俺、貴族嫌いやもん」
「レーベンだって貴族でしょ!?」
声を荒げるポエナに指を差される。
確かに。男爵次男で爵位も何もないが一応貴族だった。
「レーベンは、俺のバディやから」
「話にならないわ。次、言ったらお父様に言いつけてやるんだから」
「なんや、まだパパに頼るクソガキの貴族やないか」
「なによそれ!」
さっきまで優雅にケーキを食べていたとは思えない表情と声色だ。それに唇を震わせ、目元が水面のように光っていく。
「クソガキ貴族とかクソ女とか。好き放題言って、無礼すぎないかしら!? これだから平民は嫌いよ」
吐き捨てるような言葉。
「クソだからクソって言って何が悪いんや。まあ、男が多い騎士団やし? しゃーないか」
それを鼻で笑い、ルストもポエナと同じように吐き捨てる。
「二人共、そこら辺でやめておけ」
だが、遅かった。ポエナは肩を震わせ、ルストを睨む。
「私だってこんな騎士団に入らず、どこかの貴族のお嫁さんになりたかったわ。だけど、お金もないし貧乏だから貰い手もいなかったの。もう、そんな、意地悪なこと言わないよっ」
両手で顔を覆ったポエナは、しゃがんで「うわああん」と泣き始めてしまった。おろおろとしていたカテーナは、困ったようにポエナの背中を擦る。
周囲を歩いていた人々は、不思議そうに、そしてこちらに視線を向けてヒソヒソと話し始めた。
変に注目されてしまったではないか。
レーベンはルストの肩を叩き、顎で示す。
謝ってこい。
えー、と渋い顔をしたルストが傍に行こうとすると、ポエナは涙で濡れた頬を拭い始めた。
その表情は心なしかどこまでも引き摺るような闇を含んでいる。
それにぶつぶつ何かを言っているような。
レーベンは耳を澄ませた。
「……ポエナ、頑張るのよ。こんな苦しい時間もそろそろ終わるわ。ポエナ、頑張るのよ。頑張らなきゃ。未来のために」
苦しい時間が終わる?
未来のため?
どういうことだ。
横で差し出されたカテーナの手が見えていないのか、ポエナは自分の足で立ち上がる。
「そうよ。頑張らなきゃ」
前を見据えたポエナとは反し、カテーナは俯き唇を噛み締めて自分の手を握りしめて胸に寄せた。
「カテーナ、早く行くわよ」
「……ポエナ、ま、待って」
カテーナが「お姉様」ではなく、名前を呼ぶと眉間に皺を寄せ鋭い眼光で睨みつけていた。
「違うでしょ?」
「ご、ごめんなさい、お姉様」
そう言われ、満足したのかその眼光はこちらを射抜いてくる。
「レーベン達も早くして。大事な時間を無駄にしたわ」
異性にそんな視線を向けられたのは姉以来だ。その時同様に、とりあえず従った方が良さそうだ、と本能が言っている。無駄にプライドが高い女は特にだ。このルストとポエナのやり取りで、今後の任務に支障が出なければいいのだが。
何せ獣鬼が幾度となく出る街だからこそ、協力は必須。
これ以上、面倒ごとはごめんだ。
ため息をついたレーベンは、ポエナの後を足早に追った。




