第22話 沈む思い出
汽車が懸命に走る音が聞こえる。
「~♪」
窓の外を眺めているルストは、鼻歌を歌っていた。
空は青い。時々通り過ぎる緑。心地良い音とあっている。
「それ何の歌なんだ?」
「じゃあかしかった?」
「いいや、そんなことない」
三角耳がピコピコと動く。
「これ、故郷の歌なんよ。歌詞、忘れたんやけど……好きやねん」
「好きなのに忘れたのか」
「まあ、俺やから」
くすり、と笑えばルストも口元に弧を描く。
「レーベン、ええ感じやん」
「何が」
「可愛くなっとる」
「お前もな」
何を言っているんだか。
ルストと上手くいってはいる。時には喧嘩もするが、信頼を損なうまではない。
「お前、小さい頃どんな奴だったんだ?」
「悪ガキやったで。こーんくらいのほっそーい棒みたいな奴、使って鍵開けしたりしとった」
「悪ガキの度合い超えてるだろ」
「今も上手いで? レーベンにもあげるわ。練習しとき? 意外と使えるで?」
ゴソゴソと団服のポケットから何かを出して、手の上に落としてきた。
細い鉄のような鋼のような銀色で人差し指の第二関節ぐらいまでの長さだ。
「何だこれ」
「ちっこい頃にオカンの髪留めのとこ折った奴や」
「最低だな」
「ちょうど良かったんやって。ほんまに使えるから練習しとき!」
持っとくだけでもええ、と熱弁し始めたので自分のポケットに仕舞う。
どこかで適当に「無理だった」と言って返せばいい。
風を切るような音が聞こえ、その方向に目を向ければ三日月型の尻尾が揺れていた。ふさふさして、滑らかに時には激しく動く。主人とは違い上品だ。
それに触りたくなるような魅力的な姿。そう思うようになったのは。最近だ。
「レーベン、どないした?」
「何でもない」
だが、自分のプライドが邪魔をして「触らせてくれ」なんて言えない。
「そっち行ってもええ?」
「なんでだよ。来んな」
「ええやん。仲良くしようや」
隣に座って来たルストの尻尾が手に触れる。
体が固まった。
なんて滑らかなんだ。過去に何度か当たったことはあった。しかし、その時は何も思わなかったのだ。
めんどくさい任務ばかりで、疲れた心と体が癒しを求めているのだろうか。
レーベンは触れる尻尾を見つめる。
「触ってもええんやで?」
にやにやと笑って何度も手に当ててくる。ガシッと尻尾の毛先を掴む。
「アホか! 痛いわ! もっと優しく触れや」
「こ、こうか?」
撫でてみる。もふもふと毛束のくせに弾力があって柔らかい。
ああ、なんて心地いい。
「そうや、優しくしてや。女を口説く時のような」
「意味が分からない。今は関係ないだろ」
女なんて口説いたことない。死と隣り合わせの騎士団にいるせいか、誰かと婚約して結婚するっていう選択肢は持っていない。
家を出た時に家族にも同じようなことを伝えてある。
「レーベンが選んだ奴なら、ちょっとくらいくれてやってもええのに」
「何を」
「レーベンを」
「あー、もう、意味が分からないこと言うのやめろ」
尻尾を撫でてせっかく癒しを補給しているのに邪魔するな。
レーベンは優しく尻尾を撫でながら窓の外を見る。いつの間にか木々が生い茂った中を通過し始めていた。
急に外が真っ暗になる。トンネルに入ったのだろう。鏡となった窓に映る背後のルストは、頬杖をつきながら自分のネックレスを眺めていた。
後ろを振り返るとこちらに気づいたルストがネックレスを団服の中に仕舞う。
「何や」
「いいや、別に」
「別に浮気はしとらんよ」
「浮気って。なんだよ、それ」
近付いてきたルストは肩に腕を回してくる。首元からチャリ、と音が聞こえてきた。
「妬いてくれてもええんよ?」
「妬かない。フラーテルはお前のバディだろ」
「……何言っとんの。俺は、レーベンのバディや」
とん、と肩にルストの頭が置かれる。
重くなった肩を揺らせば、滑り落ちるように膝の上に落ちて来た。
「重い」
焦茶色に包まれた頭部を叩くと、柔らかい線の細い髪が舞う。
「今は甘えさせてや。感傷に浸りたいんや」
「はあ?」
「……さっき思い出したんやけど、グピディタスってとこな。フラーテルと最後に行った任務地なんよ」
「そんな大事な場所忘れるなよ」
「嘘や。忘れるわけないやろ」
もう一度、ルストの頭を叩く。垂れ下がる耳に眉間を寄せ、叩いた場所にそっと手を置いた。
「任務が終わったら、俺の故郷に連れて行こう思ったんよ。前日は、二人で馬鹿みたいに笑い合っとった……一人で帰省するのはいややから、そのまま騎士団に帰ってもうた」
前にフラーテルのことを話してくれた時の声は弾んでいた。しかし、今は違う。笑ってはいるが声は沈み、弱々しい。
「そうか」
「妬いてもええんやで」
「はいはい」
先日は「故郷近く」だと言っていただけで何かを抱えているような素振りはなかった。
「お前、演技上手いよな」
「俺の特技やもん」
汽車がいきなり甲高い悲鳴を上げる。
「うわっ!」
進行方向に向かっていた体が前方に持っていかれ、目の前の壁に手をついて倒れるのを堪える。だが、そのせいで落ちたルストは「あぎゃ!」と悲鳴を上げた。
「何だ」
「痛いわ」
「何があったの?」
個室の外からそんな声が聞こえてくる。
「け、獣鬼だぁぁ!」
後方車両へと逃げていく男の声に悲鳴が上がり、同じように逃げて行く足音が聞こえてくる。
悲鳴と怒号と揺れる車内に反して床にうつ伏せていたルストはゆっくりと「よっこいせ」と体を起こし、片膝をつく。
「さてさて、忠誠の時間やな。お姫様」
お姫様って。やめろよ。そう言おうとする前に左手を取られる。ルストの琥珀色の瞳がこちらを一瞥してから、姿を消して口付けを落とされた。
手の甲に触れる唇から淡い緑色が見えると神経、筋肉に隙間があれば強引に入ってくるようなギフトが流し込まれる。
顔を上げたルストは満足そうに微笑む。
「届いたか?」
「ああ、無事に。ありがとう」
「ええよ。お姫様の騎士やから」
言っていて恥ずかしくないのか、こいつは。
口角がひくり、と動いてしまう。
手を離されると、車内は静寂に包まれていた。扉を開けて廊下を見渡せば散乱した荷物や片靴が、虚しく転がっている。
その間を縫って、次の車両と今いる車両の間から降りる。木々が周囲を囲み、肌を撫でる風が冷たい。
獣鬼の姿はない。だが、仄かに匂う獣臭。
いることは間違いないらしい。
「なんや、もうグピディタスやないか」
「そうなのか?」
「ほら、あそこに駅あるやろ? 見たことあるねん」
レンガ色の建物があるように見えるが、まだ遠くて自分には分からなかった。
ルストの耳がピクリ、と動くのが見えた。
「グルルル」
枝がバキボキと折れる音がする。ゆっくりとした足取りではあるが近い。剣を抜く。横でも同じようにルストが剣を抜く音が聞こえた。
レーベンはルストからもらったギフトを起こす。
もう一人のルストが自分を守るように後ろから抱きしめてくるようだ。体が一気に軽くなる。
前までは嫌だった感覚は、もう当たり前のように体に馴染んでしまった。
「ガアアアア!」
鋭い瞳と爪に黒い炎と毛に覆われた獣鬼が、勢いよく顔を出してきた。




