第19話 正反対
白黒の汽車の中。
何も音がしない。ルストもいない。
頭がぼうっとする。
「……夢か」
扉がスーッと開く。入って来たのはアモルだった。自分の体が強張るのが分かる。
「やあ、レーベン」
「ア、アモル」
前に腰を下ろしたアモルは真っ暗な窓の外を見つめる。
レーベンの心臓は早鐘を打っていた。
また獣鬼になる瞬間を目の当たりにするのではないか。それとも責め立てられるのではないか。
「俺さ、恨んでないよ?」
「え?」
「嘘だと思う? 嘘じゃないよ」
微笑むアモルは指の背で頬を撫でてくる。
触られたはずなのに感触がない。あるのは、記憶の中での感触。
それに温かくもなく、冷たくもない。
震える唇を強く結ぶ。
頬に流れていく自分の思いは、異様に温かかった。
「ごめ……ごめん、アモルッ。俺、ずっと後悔してて」
「うん」
「怖くなって、信頼できなくなって」
「うん」
「お前を殺した」
ただ、優しく微笑みを返してきた。こんな都合がいい夢を見て、自分はどうなりたいのだろう。許されたいのだろうか。
アモルが横に座って来る。冷たくて、爽やかな香りが鼻を掠めた。
違う。これはルストの香りだ。
アモルはもっとこう、全てを包み込むような甘くて温かい匂いだったはずだ。
「……俺はね、レーベンの中にいることを選んだんだよ」
「どういう」
「レーベン、俺は恨んでなんかいない。むしろ、好きだよ。最高のバディだった」
肩に何かが触れる。温かい。
アモルの手だろうか。いや、違う。じゃあ、この手は誰のだ。
「そろそろ、行かなくちゃ。レーベン、もう振り返らないで」
「アモル、ごめん……本当に」
「俺気づいたんだ。レーベンが笑っててくれればそれでいいって」
「ごめん、アモル……俺っ」
手を伸ばす。触ることができた。アモルの団服を握り締める。
「レーベン! 起きろや!」
肩を揺らされ、目をバッと開ければルストの団服を強く握っている自分の手があった。
肩には温かいルストの手。
「急に泣き出すから焦ったやないか」
「泣いてた? 俺が?」
「そうやで、ほら」
ルストの親指が目尻の下を通っていく。
「アモルの夢、また見とったんか?」
「なんで、そんなこと聞くんだよ。関係ないだろ」
体に触れるルストの手を全て払い落とす。汽車が停車したのだろうか。進行方向に座っている体が前に動き、後ろに戻ると背中に椅子の背もたれが当たる。
「関係なくないやろ。レーベンは俺のバディやろ」
「アモルのことは関係ないだろ」
「関係ある」
「ない」
琥珀色の瞳がこちらを射抜いてくる。レーベンもそれに応戦するように睨みを利かせた。
「関係あるやろ」
唸るような低い声にレーベンは鼻で笑いながら「ないな」と伝えれば、ルストの眉間に皺が寄っていく。
いつもこちら側が鼻で笑われることが多い。子供じみたやり返しだと分かっているのにやめられない。
「アモルのことは、俺の問題だろ」
「ちゃうやろ。そいつのせいでレーベンは俺から簡単にギフトを受け取れなかったんやろ?」
「噛んで解決してるだろ、それは」
それに、もう噛まなくてもギフトを受け取ることができるようになった。
あとは、自分の問題だ。
襟元を掴まれ、引き寄せられる。
「自分、いい加減にせえよ。毎度毎度、噛まんといけんかった俺の身にもなってみろや! 舐めとんのか」
すぐルストと喧嘩になってしまう。やはりとことん合わない。
「また噛まんといけんくなったら、俺いやや! めんどいし、まずいし」
「じゃあ、バディ解消すればいいだろ!」
グッと襟元のルストの手に力が入り、壁に押さえつけられる。
汽車が動き始める振動が伝わってきた。
「ふざけとんのか、お前。簡単に解消、解消、言いやがって」
唸るような声。
襟元をきつく締め上げられ、息が上手く吸えなくなる。だが、睨むのはやめなかった。
「俺はっ、大真面目だ」
殴り捨てるように手を離され、むせ込み呼吸を整える。
「そうか自分、知らんのか。可哀想やなぁ……獣人はな、バディにけったいな執着持つねん。家族、友人、恋人。どれかに当てはめてしまうんよ。これ結構、騎士団の獣人同士では有名やけどなぁ」
なんだって?
じゃあ、アモルは俺をどれに当て嵌めた?
そもそもなんでそんな決まった項目しかないんだ。おかしいだろ。
バン、と音を立てて顔の横をルストの手が通った。
「アモルは、友達と恋人の中間やったかもしれんなぁ。俗にいう友達以上恋人未満や。こんな酷い男に執着して、可哀想やったなぁ……で、俺はお前をどこに入れたらええの?」
「な、なんだよ。それ。頭おかしいだろ」
「その真面目で柔らかくない頭で考えといてや」
そんなの考えたくない。
レーベンは俯き、すっかり忘れていたことを口にする。
「俺は騎士団辞めるってこの前言った」
「……ガキやん」
「それに当て嵌めるって……アマーレはどうなるんだ」
「騎士団内の話や。あいつは関係ないわ」
「なんだよ、それ」
目の前が揺れる。汽車がまた止まったのだろうか。いや、そんなすぐに止まるわけがない。
「ギフトを持った獣人は、当て嵌めて縋るんや……分かるやろ? 長いのか短いのか分からん命なんやから。レーベン?」
額にルストの手が触れてくる。ほんの少しだけ冷たい。
「怒ったから熱出てもうてるやん。噛まれたとこにバイ菌でも入ったんちゃう? それか疲れなんかな」
「うるさい、触るな」
目の前の手を叩き落とす。
「うわ、ふらふらやんけ。あちゃー」
しばらくすると汽車が止まり、窓の外を確認するルストは腕を掴んできた。
「着いたで。立てるか?」
自力で立ち上がることは出来るが、視界が揺らぎ歩行はおぼつかない。
「しゃーない、ほら」
ルストが背中を向けてしゃがんできた。
「やめろって言っただろ」
「そんなん言うても、ふらっふらやないか。肩貸したら肩こりすごいことなるやろ。歩きにくいし、いやや」
「だが……」
「はよしろや。扉閉まるやろ」
もう抵抗する気力もなく「ああ、いやだ」と呟きながら、ルストの背に自分の体を預ける。
視線が痛い。恥ずかしい。最悪だ。だが、歩けないのだからしょうがない。頭では分かっているのに羞恥が勝って、ルストの背中に隠れるように顔を埋める。
「なあ、レーベン」
なに、と小さく返した。
「俺、今から独り言しゃべるわ」
「は?」
「聞いてや」
階段の前でルストは、グッと持ち上げて体勢を整えてくる。
その後は、ゆっくりと降り始めた。
「俺の元バディな、フラーテルって言うねん」
まさかルストから、元バディの話をしてくるなんて思いもしなかった。
「髭の生えた酒癖、女癖悪いおっさんで、自分のこと見れんくせに色々世話焼いてくるんよ。まあ、俺が家族といきなり引き剥がされて擦れてたからしゃーないんやけど」
ルストが階段を降りる度に頭がふわり、と浮く感覚が続く。
「んで、うざいのなんの。そいつがさ、言うんよ。次のバディは大事にしろって。いやいや、お前、まだ死んどらんのにそれ言う!? って喧嘩になったりしたんよ」
ルストは喋りながらフラーテルのことを思い出しているのか、声が弾んでいた。
「喧嘩ばっかりやったけど、好きやったんよ。家族に近かったかもしれん。たまに分からんくなる時もあった。でも家族やったんやろうなぁ」
階段を降り切ったルストは、小さく笑って歩き始めた。
「そんであいつ、簡単に死んでもうた」
ルストの声が震えている。
「そん時の獣鬼、手強かったんよ。ギフト使っても中々大変で。あいつ体半分持ってかれて……可哀想やったなぁ。助けてやれんかったんよ。そん時は剣も弱くて、俺ひょろっちかったんや」
ああ、だから今は細い割にガッシリしているのか。
ルストの肩に回した両腕に、ほんの少しだけ力を込める。
「死ぬ間際な、フラーテル。おもろいこと言っとたんよ。お前はいい奴だから、きっといいバディに出会えるって。予知能力ないのに何言ってんのや! って。おもろいやろ? あいつ馬鹿やねん」
フラーテルとアモルが生きていたら、みんなで笑って飯を食べていただろうか。
きっと楽しい時間を過ごせた気がする。
「いいバディだったんだな」
「……最高のバディやったわ」
改札口でポケットから切符をルストが出せば、大人の男がおんぶされている様子を二度見し、片眉を上げた駅員がハサミで切っていく。
気にする素振りもせず、ルストはどんどん歩き始める。
「アモルも最高のバディやったろ?」
「たぶん」
「はは、アモルも可哀想やな。俺にお前を託して逝ったのに」
「……え?」
どういうことだ。
そんなこと、初めて聞いた。
ふわふわしていた頭が霧が晴れたようにしっかりし始める。
「託されたって……初めて会った時そんなこと一言も。アモルのことも知らないような感じだっただろ」
ベンチに降ろされ、首を鳴らすルストは横に座って来た。
「演技や演技。うまいやろ。あいつな、フラーテル死んで放り込まれてた寄宿舎にいた俺んとこに来て言っとたで。最高のバディやったって。力不足でごめんって。団長にも無理言って、ギリギリまで自分でどうにかしたかったんやろうけど、諦めたのはあいつや」
「ルスト、なんで」
「ほんまは墓場まで持っていくつもりやったんやけど、あまりにもレーベンが前を向かんから言ってもうたわ」
ははは、と軽い笑いで言ってくる。
仮にルストが話していることが本当だったとして、アモルはなぜ諦めたんだ。
「……なんで諦めたのか知っているか?」
ルストに胸を指で突かれた。
「レーベンの中に住みたかったんやろ」
汽車の中で見た夢は、本物のアモルだったのだろうか。
同じことを言っている。
「ほんまあいつ、怖い奴やわ。獣鬼になったら、レーベンの新しいバディやってくれって。こんな大変やとは思わんかったわ」
獣鬼特別部隊のエンブレムが描かれた馬車が目の前に止まる。慣れた手つきでルストは扉を開けて、手を伸ばして来た。
「帰るでレーベン。早う帰って、傷診てもらって、惰眠を貪ろうや」
アモルはなぜ、ルストに託したのだろう。
強引で距離をとっても容赦なく詰めてくる。アモルとは正反対だ。
どう考えても自分とは合わないのに。
だからこそなのか?
アモル、お前は本当に恨んでいないのか?
分からない。けれど、今日見たアモルは清々しい青空のような笑みだった。
レーベンは、ふらつく足で立ち上がり手をルストへと伸ばす。
その迷いのある手をルストは待つことなく、掴んできた。
「ほら、はよせい」
本当にアモルとは正反対だ。




