第15話 潰れたトマト
くすり、と笑ったルストが身を屈めてくる。
「そんな甘い告白されたら、優しくやるしかないやん」
背後で「私のだ」と小さく聞こえてくる。
「お前のやない。俺のバディや。勝手に触りおって、なめとんのか」
ルストに頭を抱えられ、視界が団服一色になる。
爽やかで冷たい、鼻を突き抜ける香りが強くなった。
「レーベン、いくで?」
「ああ」
目を閉じて、痛みが来るのを待つ。
しかし、触れて来たのはルストの牙ではなく、唇のような感触。
神経、筋肉に隙間があれば強引に入ってくるような、ルストのギフトが流し込まれていく。脂でギトギトのようなアマーレのギフトが中和されていく。
痛みを伴わないやり取りなんて久しぶりだ。
それは自分がルストを信頼した証。
レーベンは眉間に皺を寄せ、アモルの顔を思い浮かべる。
ごめん。アモル。
「そんな顔すんなや。せっかく痛くないやり方でできたんや」
「分かってる」
「分かっとらんやろ。自分、俺のこと認めたんやで? いつまで過去を引きずっとるん?」
些細でやり直しが効く後悔なら、気持ちの切り替えは容易だ。だが、もうやり直しが効かない。
お前だって、そうだろ。
レーベンはルストの襟を掴む。チャリ、と音を立てるシルバーのネックレスが姿を覗かせる。
「人のこと言えるのかよ」
「言えるで? 俺は前に進んどる。やけど、自分はちゃうやろ? ずっと沼に浸かっとるやないか。ふやけるで?」
背後で金属音が聞こえる。ルストに押され、横に倒れればベッドに短剣が突き刺さる。
アマーレが唸り声を上げて、ルストを睨んでいた。
「今、痴話喧嘩しとったやんか。邪魔すんなや」
「痴話喧嘩じゃない! お前が自分のことを棚に上げていらんこと言うからだ!」
ルストにそう言い返せば、アマーレがこちらを向いてきた。血走った瞳。
「私の匂いじゃなくて、ルストの匂いがこんなに。ひどい、ひどい、ひどい。私のレーベンなのに」
ふー、ふー、と荒い鼻息。アマーレのこめかみには、血管が浮き出ていた。
私のって、お前のじゃない。ルストのものでもないが。
伸ばされたアマーレの手に腕を引かれ、押し倒される。
「レーベン、今、私の匂いとギフトをあげる。上書きしよう」
まるで捨てられた恋人に未練がましく擦り寄ってくる男に見えた。レーベンは「ひっ」と寄せられたアマーレの顔を鷲掴みにする。
「お前、本当に気持ち悪いんだよ」
体に行き渡ったギフトを起こし、ベッドから降りながら床にアマーレを叩きつけた。
「レーベン、あかん。殺すなや」
「お前ら頑丈なんだからこれくらいいいだろ」
「ギフトやぞ!? 潰れたトマトになったらどなんすんねん」
足元で再び気を失っているアマーレを見下ろす。
「割れてないから安心しろ」
ベッドの上から覗き込んできたルストは「あ、ほんまや」と声を漏らす。
気を失ったアマーレの手を後ろにし、破いて余っていたシーツで縛る。肩にルストの腕が乗せられ「重い」と伝えれば、にやりと口角を上げ三角耳をピコッと動かしてきた。
「あん時、イチャこらしとって良かったなぁ?」
「なにが」
「え、まだ気づいてないん?」
「え?」
ルストは「馬鹿や」と呟き、片手で顔を覆った。
「イチャこらしとらんかったら、自分、普通に食われとったで? こいつが嫉妬しとくれたから、俺がレーベン見つける時間稼げたんや。ほんま、感謝して欲しいんやけど」
あー、そういうことか。
だからあんな大袈裟に。
レーベンは、ルストがあの時、ベッドに押し倒して来た理由がやっと分かった。
監視の目をかいくぐるだけならば、喧嘩していても良かったのだ。
「ありがとう、お前のお陰で助かった」
「泣けや。泣いて、ありがとぉぉ! ってハグしてこいや」
「いや、しないだろ」
「可愛げないわぁ」
開いた扉がノックされる。マルスが部屋の前にいた。
「終わったのですね」
微笑んだマルスは「ありがとうございます」と深く頭を下げてきた。
「え?」
マルスはてっきり、アマーレと共犯かと思っていた。
「こいつやで? 騎士団に手紙送ったんは」
「まさか、本当に来て頂けるなんて思いもしませんでした」
目尻を指で拭うマルスは、自然な笑みを浮かべていた。
「ちょっと待て。どういうことだ。アマーレを馬鹿にした時、すごく怒っていたよな?」
「ええ、私が殺されてしまうので」
「花びらの時は?」
「もちろん、私が殺されてしまうので」
「肉焼いてた時のあの顔は?」
「ああ、あれ見てたんですか? 領主様が捕まった時の想像してしまって」
まさか全部、勘違い?
ルストは気づいていたというのか?
「なんで、馬車で死体を踏んだ?」
「あー、あれは……異常に気づいて欲しくて。現にルスト様はそれで、この街の現状を大まかに理解してくれたようですし」
それでもやりすぎではないか?
レーベンは、口元を軽く開いた拳で押さえて今までのことを思い巡らせていき、大きなため息をついた。
「ルストはいつからマルスがこちら側だと?」
「街から帰った時からやな。俺もすぐには気づけんかったわ。庭を見ていきますか~、言われて見たんよ。それで気づいたわ」
「庭に何があったんだ?」
「骨や」
頭蓋骨もあったで、とルストは尻尾を振りながら教えてくれる。
レーベンは、ん? と眉間に皺を寄せる。
いや、待て待て。
証拠だよな、それ。
「なんでもう一泊しようってなったんだよ!」
夕方にこの街を出れたはずだ。あんな小賢しい芝居まで打ったのに。
「いや、自白も欲しかったんよ」
「はあ!? 俺、噛まれたんだぞ!?」
ふざけるな、と襟を掴めば鼻で笑われる。
「そのお陰で、チューでギフトやれたやん? 良かったやん」
こんのクソ野郎。握った拳にギフトを集める。一発、殴ってやろうか。
うぅ、とアマーレが呻き声を上げる。
はっ、と自分の拳を緩める。
「今の話。どうしてだ、マルス」
座っていたアマーレの上体は前に。床に頭を擦り付けるような体勢になった。
「マルス、こっちに来て答えてくれ。お願いだ」
懇願するような声に、マルスは小さくため息をつきアマーレの横に膝をつく。
「申し訳ありません。領主様。いえ、アマーレ様。私は貴方に最愛の妻を食べられてから……ずーっと、この日を待ち望んでいました」
「お前の妻?」
「お忘れですか?」
「ああ、あの皮と骨しかなかった何も美味しくなかった女のことか」
膝に置かれたマルスの手が震え、ズボンをきつく握りしめていく。
顔を上げたアマーレは、勝ち誇ったように笑う。
マルスがどれほど心痛め、街の男達のようにならず憎しみの炎を燃やしていたかなんてアマーレには、分からないのだろう。
「まだそんなこと言えるんですね。分かっていますか? 証拠、山のように残しています。アマーレ様、貴方はもう、終わりなんですよ」
微笑むマルスは「もちろん、私もですが」と小さくこぼした。
「貴方の為に何人もの肉を切ってきました。頭がおかしくなりそうでしたよ……いや、もうおかしくなってはいますね」
「そうか、ならばマルスが私の元を去る前に返さないと。夕食の美味しい肉のお礼を」
「いえ、結構です」
アマーレは顔を天井に向ける。
「ルスト、私は捕まったらどうなる?」
「処分されるんやない? 人間食いすぎやねん。マルス、お前もやで。多少おまけ貰えるかもしれんけど」
ルストの言葉にアマーレは下を向く。肩を震わせ、小さな声を漏らす。
「ふっ……くっ……っ」
「処分」という言葉に泣いているのだろうか。バッと顔を上げたアマーレは唇を精一杯、閉じていた。しかし、それは噴き出すように開けられる。
「ぶっ! あははははははっ」
遂に壊れてしまったのだろうか。ひとしきり笑った後、アマーレは「はあ、笑った」と元に戻った。
「マルス。私はやはり、君にお礼をしないといけないようだ。それにもし、君が私に感謝するなら、そうだなぁ」
アマーレがマルスに膝で近寄り、にやりと笑った。
「君の肉と血と最高の顔でいい」
「マルス!」
後ろに下げようと肩を引いたが、一瞬だった。
マルスの首筋には、白い牙が突き立てられた。アマーレの口元から真っ赤なギフトが勢いよく、マルスの中へ入っていく。
そして、アマーレの顔を飛び出た真っ赤な色が汚す。
トマトのように勢いよく弾けた首の肉は引きちぎられ、ゴミのように投げ捨てられた。




