第12話 帰れない
絵画の出入り口を閉じて鍵をかけた。
小さな鍵をポケットに入れ、サイドテーブルに置きっぱなしにしてあったメモを取ってペンを走らせる。
絵画の裏に本来の屋敷
地下への道あり
そこまで書いて、ふわりと嗅ぎ慣れた香りに手を止めた。
爽やかで冷たい、鼻を突き抜けるような匂い。
部屋の扉側に目を向ければ、壁に寄りかかってこちらを眺めている琥珀色の瞳と目が合う。
「どこ、行っとったん?」
ルストの声は氷のように冷たかった。
組まれた腕は、こちらに向ける感情を隠しているようだ。
「見たら分かるだろ」
手に持っていたメモを閉じて、ベッドに投げ置く。
「なんで一人で帰ったん? チビ二人が教えてくれんかったら、必死に探してたで」
「それはお前が最初にどっか行ったのが悪いだろ」
「調査や」
「……俺も調査だ」
ルストの尻尾が大きく揺れ始める。
「街は危なくなかったやろ」
「そうだな」
「ここはちゃう」
床を指差すルストの瞳が鋭くなっていく。
確かに。今、自分は人間を食べてしまう捕食者が作った檻の中にいる。
しかもさっきまでその傍まで行って来た。赤く染まった手や咀嚼音などが頭の中で流れていく。
「チビ達にお願い言われて弱っちぃくせに正義感でも出たん?」
近付いてきたルストが顔を寄せて来る。
「自惚れてんちゃうか?」
低く、地を這う声。過去に一度聞いたことがある。苛立って仲間の獣人の頭を鷲掴みにした時だ。
「自惚れてなんかいない。ギフトがなければ弱いってちゃんと自覚している」
ルストの耳がぴくり、と動く。急に首元を掴まれてベッドに押し倒された。
一瞬、アモルの時と重なる。ギフトが満杯になりそうなのだろうか。だが、自分達は体を繋げなくてもいい方法を知っている。
「おい! やめろ!」
「黙れや。自分、今、死んだんやで。良かったなぁ、俺がバディで」
服の中にルストの手が入ってくる。
「お、おいっ」
「ほんま黙れや……あっ、とか、うっとか言っとき」
肌を撫でられる。胸元に首元にあった手が降りて来て、体重をかけられていく。
苦しい。息がうまくできない。
「はっ、くっ……やめっ」
ルストを引き剥がそうと肩口を押す。「いやだ」と漏らせば、「絵、見ろや」と小声で言われた。
絵? 絵画に目を向ければ普段通り目が合う。
ああ、そういうことか。
自分とルストしかいないのに、生々しい視線が向けられていた。
レーベンは、ルストの首元に腕を回す。胸元の手が離れて行き、脇腹をくすぐられる。
「ふぐっ、うっ、ぐふっ」
「下手くそすぎるやろ」
「ぐひひっ」
「あかん。もっと色っぽくしろや」
しゃーない、と言ったルストに首元に回していた片腕を取られる。ベッドに縫い止められ、指が絡まるように繋がれて抱きしめられる。
「証拠、見つけられたん?」
小さな声なのに、首元に生温かい吐息が当たる。
「一応」
「ちゃんと見たんか? ブツとか」
「いや、見れてない」
体を上げたルストが頬を撫でていく。
「帰るの明日にしよか」
普通の声量だった。
「え?」
「レーベン、俺、仲直りしたいねん。今日、汽車なんて乗ったら疲れてイチャつけんやろ? だから……ええやろ?」
なんで。今日、帰れるだろ。
地下への道も絵画の裏も見て来た。それにここが危険だと言ったのは、ルストだ。
「帰ってからでもできる、だろ」
「いいや、今夜がええねん。それともレーベンは俺と仲直りしたくないん?」
ルストが顔を近付けて来る。
「ええよって言えや、はよ」
手を握る強さが増す。
このクソ野郎。こっちはやっと帰れるって喜んでいたんだぞ。
「いいや、俺も仲直りしたい。俺は、人間だから、優しく、してくれよ?」
「分かっとるよ。優しく、したる」
ルストに抱きしめられる。絵画から向けられる視線はもう生々しいものではなかった。無機質だ。
離れていくルストは、大きくため息をつく。
「あー、めんどかった」
「ここまでする必要あったのかよ」
「まあ、あったと思うで。あとで俺にありがとぉ! ってレーベンが泣きつくの想像できるわぁ」
「はあ?」
バディ解消やら自惚れやらと何度も喧嘩しているのに、なぜかもう普段通りに話してしまっている自分がいる。
「それと俺の匂い以外、つけんといて?」
「匂い?」
「俺の部屋入ったやろ? くっさい酒の匂いがちょいと残っとったで。風呂入った方がええ。ほんま臭いねん。首元らへんが特に」
鼻を摘んで手を左右に振られる。
街で酒に酔った男に腕を回された時についたのだろうか。
そんな微かな匂いも獣人は嗅ぎ取れるのか。
じゃあ、あの時、食べなかった肉も何か臭って?
「なあ、なんで肉食べなかったんだ?」
「あー、あの肉かぁ。なんかあのきっしょい領主が食ってんの見たら食欲失せたんよ。それに俺、豪華な飯嫌いや。味薄いねん」
「あ、じゃあ人間の肉では」
ぶっ、とルストに吹き出された。
「ぶはははっ! あかんてぇ! おもろすぎるぅ!」
「そんなに笑わなくたっていいだろ!」
「はぁー、おもろ。ぶ、ふふ。大丈夫やで、ちゃんと人間も食べられる肉やったで。領主のは知らんけどな」
そうだったのか。
なんだ。
気にした時間が勿体なかった。
「ほな、マルスに明日帰る言うてくんねん。ちゃんと風呂入っとき」
取っ手に手をかけたルストは尻尾をゆらゆらと揺らしながら部屋を出て行く。
それを見送ってから、シャツを脱いで自分の襟元を嗅ぐ。
「なんも匂いしないぞ」
レーベンは、小首を傾げ鼻で笑う。
ふと、頬を撫でられた感触を思い出す。
そういえば、ルストは指の腹で撫でてきたが、アモルは指の背だった。
レーベンは、自分の頬に指の背で触れる。
アモルも良く触って来ていた。抱きしめられたこともある。なぜそんなにベタベタくっついてくるのか分からなかった。
あの時に抱いたのは、嫌悪感に近いものだったかもしれない。
———俺達、バディだよな!? やめてくれ。普通じゃない。
そう言った自分の言葉にアモルの瞳は揺れていた。
ギフトが受け取れなくなったのは、それからだ。アモルのことを避けて、信頼も信用も出来なくなっていた。
ルストのせいで、思い出してしまったじゃないか。
シャツをソファに投げ捨てる。
「くそっ」
眉間に皺を寄せたレーベンは、顔を覆って大きく息を吸って吐いて、襲いかかる後悔の濃度を薄くしていった。




