サ終まで未接続とかクソゲーすぎる
モニターの光が、樋口の頬を白く染めあげている。相棒の横顔を視界の端で捉えながら、俺はコントローラーのスティックを弾いた。キャラが滑らかに旋回し、索敵する。
「チッ。また外した。……はあ。好きで寄生種に生まれたわけじゃないのにな、俺」
奴のボヤキは、デスクの脇に放置されたポテトチップスの空袋くらい退屈な、いつもの風景だ。
樋口の視線は、常にネットの海へダイブしている。園での食うか食われるかの終わってる関係性とは違う、もっと無関心で、熱狂的な誰かの視線が交わる場所だ。
俺たちにとって、卒業は開花とイコール。寄生種が苗床を食い尽くした果てに花が咲いて実をつける。それがこの園のレギュで、俺がここに来た理由だった。
貧困から逆転するために、身体を換金して手に入れる未来。家族がクソ環境から抜け出せるなら、欠損も死も必要経費だ。
樋口は効率厨だった。一度も俺というリソースを深掘りしようとしない。仕様上、接続を深めれば本能がブレーキを失うのは確定事項だ。
俺たちのあとから転入してきた樫と清澄のペアを見れば一目瞭然だ。樫は頑なに認めようとしないが、愛と捕食の境界がバグって、完全に捕食者のルーチンしか回らなくなってる。
「なぁ、四十八願」
「どしたん」
唐突な問いかけと同時に、樋口がランキング上位のプレイヤーを雑にスクロールする。
「推しにエイムで抜かれて死にたい」
またその話か。FPSにおけるデス。誰かの視界のド真ん中でトリガーを引かれて撃ち抜かれる瞬間、初めて自分が存在したことになれると、奴は思いこんでいる。
「姫の瞳に焼きついて消えるのが、俺にとっての上がりなんだよ」
奴の狂った理屈を、俺はリロードのモーションの合間に聞き流す。あの配信者、どう考えても中身おっさんなのにな。
「Tomいつもありがとう〜」
「キモ。名前呼びとか、どんだけ投げ銭してんだよ」
「認知勢だから」
画面向こうの姫は樋口を時々名前で呼んだ。甘ったるい声で養分扱いしながら、エイムだけはバカみたいに正確だった。
「お前、ほんと面倒くせーな」
「るせーよ。俺のエンドロールに名前が載るの、姫だけだし」
樋口の肩が、部屋の影に溶けそうなくらい薄く揺れる。エイムで抜かれる前にマジで消えそうだな。奴の推しどころか、俺以外の誰にも気づかれずに。
俺は口角を上げ、画面の中の戦場を睨みつけた。樋口の死にたがりという仕様すらも、卒業への攻略対象だ。
「安心しろよ。俺がお前をちゃんと終わらせてやるから」
コントローラーを握る手に力を込め、再びトリガーを引く。俺は画面上の敵を正確にヘッドショットで沈めた。爽快なキル音がヘッドセットの中に響き渡る。
「そうかよ」
樋口は画面越しにニヤついた。俺たちはモニターの光に照らされながら、終わりの見えない戦場を、ただ黙々と駆け抜けていた。
※
ある日、樋口が突然、意味不明なことをほざきだした。
「クソ運営の穴をつく必勝法を見つけた。俺の栄養源は、別にお前じゃなくていい。同調率はこのままでいく」
寄生種が苗床を食わないだと?
何言ってるんだ、こいつ。開花という必須勝利条件を自らドブに捨てるのか。
「ただの自殺行為だろ。下手すりゃ二人仲良く合成肥料行きだぜ?」
「上が押しつけてこようとする、気色悪い技術的誤認よりよほど健全でしょ」
樋口が狙いを定めたのは、学内の巨大なLAN回線だった。奴の瞳には迷いがない。
「ツチアケビって聞いたことあるだろ。奴らは特定の木に寄生せず、地中の菌糸ネットワーク全体から養分を吸い上げて花を咲かせる。同じ仕組みをオンラインで再現する。俺も腐性型だしな」
樋口は、クソゲーの仕様をハックするチーターのような顔でキーボードを叩く。
「ネットワークを利用した疑似菌糸網による分散寄生……なんてな。真田が食いつきそうな適当なホラを仕込んでおく」
単一のターゲットを食い潰す代わりに、オンライン上の無数の配信端末と匿名アカを苗床にして、寄生を分散させるらしい。
学園の管理システムは、同調率や胞子形成といった生存安定性のパラメータを参照している。誰を根にしているかまでは、完全には見ない。樋口はその甘さに目をつけた。
そこからの樋口は、完全に何かに取り憑かれていた。夜な夜なネットへダイブして、配信界隈で他人を煽り、荒らし回ってヘイトを集める。何万人もの顔も知らない連中の怒りや興奮を吸い上げ、自分の存在をネットの中へ溶かし、浅い菌糸を張り巡らせていった。
足元では、樋口の皮膚の下で光る菌糸が、LANケーブルへ伝っていた。少しずつ、樋口が世界からレンダリング落ちしていく。
奴は界隈でランカーとして君臨し、推しにも認知されたはずなのに、目の前にいる本人は飢えた獣のような目をしていた。
「四十八願。俺、すげえ腹減ってるはずなのに、なんか満たされてんだよ」
深夜三時のモニターの前。樋口の声は、部屋のどこから聞こえてくるのか分からないほど薄っぺらくなっていた。
なに自己完結して悦に入ってんだよ。
言いたいことは山ほどあったのに、俺は何も言えず、ただ画面の中の敵を撃ち続けた。
それが、俺というプレイヤーだけを未来へ押し出そうとするあいつへの、唯一返せる報酬だと思っていたから。
審査直前、俺は自室で息を呑んだ。樋口の皮膚の下で白く光る菌糸が触手のように伸び、PCの配線を伝って部屋の外に絡みついている。奴はもう肉体なんてあってないようなものだった。
「問題ない。俺はこうして菌糸網にぶら下がってるだけで開花できる。効率の極みだろ」
俺は教頭のガワを被った真田を自室へ呼び寄せた。壁の裏側から床下まで、校内にびっしり張り巡らせた白い菌糸の群れ。樋口に託されたハッタリをそれっぽく加工した成果を、真田の前に突きつける。
「全寄生種の新たな生存モデルを提示する。交換条件は、俺の五体満足での卒業」
卒業認定日は、樋口が参加したがっていたFPS大会の配信イベントと重なっていた。画面越しに数万人の視線が注がれる中、樋口の開花が始まった。学内のLAN回線に沿って、黄褐色の花が次々と咲く。樋口の本体は、もはや校内ネットワークそのものに拡散していた。
クライマックス。ゲストプレイヤーとして参加していた樋口の推しが、奴の中枢アカウントを視界に捉える。
樋口はそれを待っていた。
――BAN。
あいつの推しが放つ銃弾が、モニター越しに中枢を正確に撃ち抜く。
その衝撃が走った直後、校内の壁や床下で、赤い実がソーセージみたいに一気に膨れ上がったが、それも束の間。果実は完熟を通り越して一斉に弾け飛ぶ。
同時に、あいつの構築していた菌糸全体の機能が停止した。生き残った花々も、見る影もなく枯れ落ちていく。
俺の腕の中に、樋口の身体が崩れ落ちた。中身が空っぽの着ぐるみみたいだった。あいつは静止したまま、満足げに笑った。
「やっとフラグ回収できた」
「何、嬉しそうなツラしてんだよ、キッショ」
目から熱いものがこみ上げるのを、俺は乱暴に拭った。声が震えないよう、精一杯の悪態をつく。
「……おつかれ、樋口」
冷たくなり始めたあいつの瞼を、指先でそっと閉じた。配信画面がGGという言葉で埋め尽くされる。
俺は成功例として、この園を卒業した。手元には将来を約束するだけの金と、学歴が残った。周囲からは奇跡の生還者と祝福される。五体満足のはずなのに、俺の身体は、樋口という半身がごっそり削れたようだった。
「お前、本当は俺を食わないようにしてたんだろ」
卒業したら、適当にフレンドコードを交換して、たまにゲームして、適当に軽口叩いて、別々の人生を歩むはずだった。それが、最後の最後で俺の人生の根っこを、あいつに全部持っていかれた。
社会に出ても、どこにも馴染めない。配信欄やゲームのロビーを開くたび、画面の向こうに樋口の影を探してしまう。
久しぶりに会った担任の野蒜は、俺を見て鼻で笑った。
「お前、まだログアウトできてねぇツラしてるぞ。さっさと娑婆に戻れ」
「別に、普通っすよ」
感情を後回し。ド貧乏の中で身につけた、コスパ最強の生存戦略だ。野蒜は何かを察したように溜息をつき、カウンセリングを俺に勧めたが、丁重に断った。
慰めなんていらない。樋口が自分で選んだ結末を、他人に汚されたくない。
「苗床としての適性は消失していますね。もう、どなたも寄生できないようです」
卒業後の適性検査で、検査員がこともなしに言った。俺の身体が、既に満席であることを告げられた瞬間、皮肉にも笑いが込み上げてきた。
「マジかよ。あいつ、最後の最後で特大のクソ仕様置いていきやがったな」
一人になって初めて泣いた。自分だけが未来側に置いていかれた。あいつのことを、自分がどうしようもなく好きだったことに今さら気づく。それが悔しかった。
しばらくして俺は『h1gch_re』というアカウントを作った。使い続けるうちに、俺の指は樋口のプレイスタイルをトレースし始めた。武器の選択、リロードのタイミング、立ち位置。身体が勝手に奴の癖を再生していく。
樋口の昔のフレンドが「お、復帰した?」と話しかけてくる。返答に詰まる。はいともいいとも言えない。でも否定したら、あいつが俺の中で消えてしまう。
冬のある日、かつてのクラスメイトだった樫がオンラインにいた。確かあいつは六月に開花してくたばったはずだが。
[Status:味がしねぇ]
文字列を見て、俺は思わず吹き出した。
「アハハハハ!! お前ッ、何生き残ってんだよ!! 不死身じゃん。怖っ」
俺はチャットを打った。自分に苗床の適性がなくなったこと、あいつが俺の中にいること。最後に草を生やして誤魔化そうとした時、樫から短く返信が来た。
『終わったな、お前』
ようやく息ができた気がした。周囲の「よかったじゃん」という薄っぺらい祝福よりも、樫がほざく軽口に救われる。
「俺、まだ樋口とゲームしてる感じするんだわ」
『なら、いるんだろ』
「ちょ……エイム変わってない? 誰だよ今の撃ち方!」
『さあな。勝手に指が動く』
キーを叩く。樫への返信に、羨望と恨みと祝福が混ざり合う。
「そっちは、返事するんだよな」
『六月に今度こそログアウトするが?』
「死ぬ死ぬ詐欺乙。まあ、サ終前に一戦くらいやろーぜ」
画面の中にはもう誰もいない。
それでも俺は、まだマッチングの最中にいた。人生というクソサーバーが落ちる瞬間まで、俺の指先は樋口の癖をなぞり続ける。奴をロストしてからも、永遠に未完了のまま、俺はこのクソゲーを続けていかなきゃいけない。




