第6話『転校生・織川律さんによる監禁①』
反射的に僕は目を伏せた。
まったく偶然の転校という可能性もある。僕のことなんか向こうは忘れている可能性もある。そんな一縷の望みにかけ、極限まで存在感を消そうと試みる。
「なんと実はこの織川さん、あの有名私立の瑠璃枝高校からの転入でねぇ。たぶんこの学校の誰よりも偏差値高いと思うから積極的に勉強とか教えてもらうよーに」
教壇では香椎先生が得意げに転校生の個人情報を垂れ流している。
以前いた学校の情報なんて勝手に言いふらしていいことではないと思うが、まあ制服が以前のままだから本人も隠すつもりはないのだろう。
「おい坂木、すげぇぞ。瑠璃枝っていったらマジモノのお嬢様学校だ」
友人の嵯峨野が後ろの席から僕の背を突いてヒソヒソと話しかけてくる。
「ああ、うん。名前は聞いたことあるかも」
「マジモノはやっぱ気品が違うな。見てるだけで眩しいっていうか畏れ多いっていうか。にしても、いったいどんな事情がありゃうちみたいな田舎の公立に……?」
クラス一同がほぼ同時に抱いたであろう疑問。
それが伝わったのか、織川さんは困ったように笑いながら答えた。
「いろいろとありまして」
極めて曖昧な説明だったが、そう言われてしまうともう誰も詮索はできない。
たぶん多くの者は「イジメ」とか「受験競争からのドロップアウト」とかいうセンシティブな事情を想像したことだろう。
担任の香椎先生だけはそんな同情的な空気にまったく気付かぬまま、廊下から能天気に机を運び込んでくる。
「織川さーん。席用意するけど、どこか希望ある? 視力悪かったら前の方にするけど」
「視力に問題はありませんが、授業はしっかり聞きたいので可能な限り前寄りの方が……」
そう言って織川さんは教室をぐるりと見渡して――ぴたり、と。
あからさまに目を見開いて僕の方を凝視した。
「あれ……? もしかして、坂木さんではありませんか? 坂木透太さん? そうですよね?」
教室がざわつく。
高嶺の花めいた転校生が、いきなりクラスの没個性男子を名指しで呼んだのだから何事かと思って当然だ。
香椎先生が首を傾げて尋ねる。
「んん? 坂木と知り合いなの?」
「はい! 小さい頃、よく一緒に遊んでおりまして……。その、覚えてらっしゃいますか?」
どこか不安げな声色で織川さんが尋ねてくる。
織川さんは既に「どことなく可哀そうな事情がありそうな子」と認識されている。ここで「覚えていない」なんて言えば僕が薄情者として総スカンを喰らうことは間違いあるまい。
「……うん。久しぶりすぎてちょっと今まで気づいてなかったけど、覚えてるよ」
「わぁっ! 覚えてくださってたんですね! 嬉しい!」
故に、流されるままの返答となってしまう。
なお、織川さんが僕を名指しした瞬間からずっと、和原さんは能面のように感情の読み取れない表情でこちらを見つめていた。
「知り合いがいたならちょうどいいや。坂木の隣に席運ぶから一列ズレて」
香椎先生の指示で僕の隣にスペースが空けられ、織川さんの席が設けられる。
彼女はクラス全体に丁寧なお辞儀をしてから着席した。
「坂木さんがいるなら安心です。この学校のこと、いろいろ教えてくださいね?」
「――うん、もちろん」
一瞬の逡巡ののち、僕は快く応じた。
偏見を通して人を見るのはやめよう。幼き日の『りっちゃん』は危ない趣味があったように思うが、それはもう遠い昔の話だ。
あれは一度なかったことにして、今現在の彼女と向き合うべきだ。
(そもそも高校で5月に転校してくること自体が異様なまでに不自然というのはさておき)
それから香椎先生は通常の定例的なホームルームの話に移った。
衣替えの時期は昨今の猛暑を鑑みて生徒の自主判断とすること。夏期の予備校模試を受験する生徒は今週中に希望シートを提出すること。校内のコンセントでのスマホ充電は原則禁止だが改めて周知徹底すること――などなど。
ひとしきり述べ終えた後、「じゃっ。みんな、織川さんと仲良くね」と香椎先生は去っていく。
その瞬間、好奇心に目を輝かせたクラスの大多数が一気に織川さんの席へと殺到した。
「よろしくねぇー!」
「わたし、クラス委員の大堀っていうの! なんでも相談してね!」
「瑠璃枝ってことは前は東京に住んでたの?」
「部活とか興味ある!?」
さらに僕の方にも「どういう関係だ」と(主に男子から)追及の目が向きかけたが、そこで学ランの背を背後から引っ張られる。後ろの席の嵯峨野だ。
「坂木、ちょっと来い」
「うん」
追及を避けられてむしろ助かる。これ幸いと廊下に連れ出された僕は、目頭を押さえて涙ぐむ嵯峨野と対峙する。
「お前は……お前は俺の仲間だと思ってたのによ……。なんだよ。『昔の幼馴染だった子が美少女になって転校生として再会』なんて……。そんな偶然があるか? あっていいわけがあるか? 前世でどれだけ徳を積んだらこんなラッキーイベントがよ……」
「嵯峨野。それはちょっと誤解があるかな」
「誤解?」
「うん。僕と織川さんが知り合いだったのは、5歳か6歳ごろのほんの一年間くらいの話だよ。うちの父親が転勤族でさ。たまたま都内に住んでた頃があって、近場の公園でちょっと仲良くなってただけって話。そんなに大した話じゃない」
この説明に嘘はない。
坂木の父が転勤族というのは本当だし、織川さんとの付き合いが一年足らずだったというのも本当だ。
まあ、その一年間の最期が現在でもなお忘れがたいほどに強烈だったわけではあるが。
「本当か? あっちはお前のことを一目見て分かるほど覚えてたんだぞ? そんなに浅い付き合いだったのか?」
「よく考えてよ。織川さんはすごく優秀な学校にいたんだろう? 記憶力だって当然いいはずだ。実際、僕の方は名指しされるまで思い出せなかったくらいだよ」
「なるほど。言われてみれば一理あるな……」
本当は一目見た瞬間にこちらも思い出してはいたが、まさか嵯峨野に犬小屋監禁事件というアブノーマル過去を教えるわけにはいかない。
僕と織川さんの間には普通に健全な幼児的付き合い以外何もなかった。そういうストーリーを先手で回し広めていく。
「そうだよね。そこまで漫画みたいにロマンチックな話になるわけないよね」
と、そこで。
横からの声に振り向けば、不気味なほど穏やかに微笑む和原さんが佇んでいた。
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