第4話『保健委員・和原なごみさんによる窃盗④』
現場となった空き教室があるのは、教室棟と渡り廊下で繋がった多目的棟だ。
多目的棟とはいうものの、その実態は空き教室が並ぶばかりの小綺麗な廃墟である。
なんでも数十年前、この高校の近辺でマンションの規制緩和やら大規模な宅地開発があって、入学希望者が一時的に激増したことがあったそうだ。その受け皿として急遽増築された追加校舎が、今はこうしてお役御免の代物となっている。
「やっぱり和原さんの言ってたとおり、ほとんど誰もいないね」
たまにダンス部や演劇部などが練習場として空き教室を借りることはあるそうだが、基本的に生徒がここを訪れることは少ない。空き教室の利用には職員室で鍵の貸し出し手続きがいるから、単に駄弁る場所にするには少々面倒なのだ。
今のような朝の始業前ともなれば無人で当然だろう。
「じゃあ和原さん、思い出せる限りで当日の再現をしてもらっていいかな?」
「任せて」
可愛らしい仕草で胸を張り、多目的棟の廊下を歩き始めた和原さんだが、いきなり不審な動きを見せた。
正面の廊下を直進するのではなく、すぐ脇の階段を上り始めたのだ。
「待って和原さん。回収場所の教室って一階だったよね?」
「うん、一階だよ。でも、私ってあんまり多目的棟に入ったことがなかったから迷子になっちゃって」
明らかにおかしい。どれだけ方向音痴でも一階と二階の区別くらい付く。
「それでね。二階をしばらく迷っちゃってたら、いつの間にか時間がギリギリになってて」
各クラスの保健委員は朝のホームルーム中に教室を抜け、指定された空き教室に回収ケースを運び込むことになっていた。
つまり和原さんはホームルームの終了時刻ギリギリまで二階で時間を潰していたのだろう。自分が確実に最後の一人――すなわち施錠担当となれるように。
「そこでやっと気づいたの。私すっごく朝に弱いから、そのせいでボーっとしてて、うっかり二階に上がっちゃってたんだって。ありえないくらいドジだよね」
「そうだね。誰だってボーっとしちゃうことはあるよね」
「でも今朝は大丈夫だよ。坂木くんとお話してると目が覚めすぎてどうにかなっちゃいそうなくらいだから……ふふっ」
完全にキマッた目で、踊り場から僕を見下ろしてくる和原さん。
明らかに興奮しているように見える。現場の密室がしっかりと確認されれば『和原なごみ=犯人』説がより有力となる。僕に対して王手をかけた心境なのだろう。
「ドジに気付いて、慌てて今度はこっちに向かったの」
和原さんが上履きをペタペタと鳴らして階段を下り、方向転換して今度はしっかりと一階の正面廊下を進み始めた。
物置部屋と化している空き教室をいくつか通り過ぎた後に立ち止まるのは、
「ここが回収場所の旧『1-8』教室」
和原さんは事件当日の再現とばかりに『1-8』の教室の扉に手をかけたが、当然ながら鍵がかかっているので今は開かない。
「あとは動画で見せたとおりだよ。回収ケースを教室の長机に置いて、念のためいろいろ撮影して、教室に施錠して職員室に鍵を返したの」
「教室の中に隠れられる場所は……なさそうだね」
「うん。そうなの。掃除ロッカーなんかも撤去されちゃってるから」
掃除ロッカーはもちろん教卓もない。教室の隅に畳まれた長机とパイプ椅子が積んである程度だ。廊下とは逆側の窓にカーテンが結んであるが丈は短い。くるまって隠れるのは不可能だろう。
「窓からの出入りも――」
「うん、固定されてるからできないの」
僕の言葉を途中で和原さんが引き取った。
教室の窓サッシはすべてつっかえ棒で内側から固定されている。この多目的棟には本校舎の方についているセキュリティ設備が見当たらないから、おそらくは防犯のためだろう。
「どう坂木くん? この密室に犯人はどうやって出入りしたんだと思う?」
簡単だ。
普通に開いている扉から入室して、普通に施錠して出ていった。謎も理屈もへったくれもない。順当も順当な顛末だ。
しかしその真相を指摘してしまえばゲームオーバー。
正直、何かしらの屁理屈をでっち上げて密室の不成立を主張することはできる。
堅牢な金庫というわけではないのだ。やろうと思えば窓や扉の隙間から釣り糸を引いてどうこう――といったような物理トリックを仕掛けることは可能だろうし、空き教室のプレートを入れ替えて回収場所を誤認させる心理トリックなんかも検討の余地がある。
しかし、そんなミステリ的な話にすると『そこまで計画的かつ偏執的に僕の検尿を狙った奴がいる』事実を認めることになってしまう。
それはいけない。そんな犯人の存在を認めてしまえば、必ず和原さんはその座に滑り込もうとしてくる。
探偵となってはいけない。回りくどいトリックやロジックを尽くしてもいけない。
その上でやるべきはただ一つ――このミステリじみた密室という状況を『陳腐化』することだ。
「一つ確認しておきたいんだけどさ。この校舎ってずいぶん古くて、もうほとんど手入れもされてないよね。だから、ひょっとすると」
僕は制服の襟元から校章を外す。
薄くて頑丈な金属製のバッジ。その角部分を扉の鍵穴に押し込み――当然形が合わないのですぐに詰まって止まるが――構わず反時計回りに力を込める。
かこん、と。
いとも簡単に、軽い音を立ててシリンダーが回った。
和原さんがはっと息を呑んだ。
「ああやっぱり。そこまで複雑怪奇な話じゃなかったんだよ。最初からこの『1-8』の教室の鍵は壊れてたんだ」
そう言って僕は教室の扉を開け放ってみせる。
無論だが、そんな都合のいい偶然はない。
僕が壊したのだ。
昨日の放課後に和原さんと別れた後、こっそり学校に引き返して。
――密室という前提をもっともシンプルに否定するために。
幸いながら扉に使われていたのは旧式の単純なピンシリンダー錠だった。
手錠をかけられたり密室に監禁されたりすることが頻繁にある人生だったので、鍵については人よりも少し詳しい。
このタイプの古いピンシリンダー錠は、内部のピンを強引にへし折ってしまえば鍵穴が馬鹿になって、適当なもので簡単に開け閉めできるようになるのだ。
経年劣化が進んでいたこともあって、マイナスドライバーを鍵穴に突っ込んで力尽くに回せば一発でこの状態に持っていけた。
「壊れて……た?」
「うん。つまり密室なんかそもそも成立してなくて、誰にでも簡単に犯行が可能だったんだ。これで、最後に施錠した和原さんを特別に疑う理由はなくなる」
「……動機は?」
食い下がるように和原さんが声を絞り出す。
「坂木くんのモノを狙ったっていうことは、好意を寄せている子だよね? 身近にいる子のはずだよね? 諦めるのは早いよ。まだ動機面からの推理もできるんじゃないかな?」
「必ずしもそこまで強い動機とは限らないよ」
が、その反論には既に回答を用意している。
「見ての通り、鍵が壊れていることさえ知っていれば侵入に大した手間はいらない。ちょっと誰かを困らせてやろうとした、面白半分の愉快犯って可能性は十分あるんじゃないかな」
「そんな傍迷惑な愉快犯が本当にいるかな?」
「悪ノリした高校生の阿呆さ加減を舐めちゃいけないよ。内輪の罰ゲームで『野郎の検尿盗ってこい』なんて盛り上がった連中がいたとしても不思議じゃない」
「それはあまりにも憶測が過ぎるんじゃない?」
「うん。だけど――」
僕は自嘲気味に笑いながら答える。
「『僕のことを好きすぎて検尿を盗む子』よりは、いくらか現実的な犯人像だと思う。もちろん真相は誰にも分からないけどね」
それを聞いた和原さんはしばし立ち尽くし、溜息をついてこちらに歩み寄ってくる。
「誰にでも犯行は可能だった。動機から絞り込むのも難しい。それってつまり、迷宮入りっていうこと?」
「残念ながら」
「そう……坂木くんなら、犯人を見つけてくれると思ったんだけどな」
「買い被りすぎだよ」
「……ううん。そんなことない」
教室の扉の前で立ち止まった和原さんは、壊れた鍵を愛おしそうに手で撫ぜた。
「犯人は見つからなかったけど、坂木くんはすごく真摯に……全力で向かい合ってくれた。だから私、悔しいのと同じくらい嬉しいの」
和原さんがじっと僕を見つめる。
今までのような泥沼じみた瞳ではなく、どこか憑き物が落ちたように穏やかな目だった。
「さっきのドリンクのボトル、少し貸してもらっていい?」
「え? ああ、うん」
僕はカバンのチャックを開けてボトルを和原さんに手渡す。
彼女はその蓋を開け――ぐいっと勢いよく呷った。
「ぷはっ。ごめんね。急に喉が渇いちゃって」
「別にいいけど……」
「間接キス、しちゃったね。ごちそうさま」
唐突に和原さんが僕の耳元に唇を寄せ、息を吹きかけるように囁いた。
たまらず僕は動揺して身を引いてしまう。
「あはは。坂木くんってば、顔が真っ赤」
そんな僕を見て、和原さんは茶化すように笑う。
笑って目尻に涙を浮かべながら、彼女はこう続ける。
「冗談だよ。私、全然そういうの気にしないタイプだから」
「そう……なんだ?」
「だって量が少なすぎるもん。飲み口に付着した唾液なんてフレーバー未満。もっと口腔の息吹を感じられるだけの量がないと全然何も感じない」
不意打ちの早口に僕は真顔になる。
和原さんは悪戯気味に微笑み、僕にボトルを返してくる。
「でも――今回はこれだけで我慢しておくね」
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