第31話『僕・坂木透太による犯人隠避③』
これは推理ではなく告白だ。ゆえに証拠も論拠も必要ない。僕がたった一言その名を告げれば終わる。
「なぜ犯人が今このタイミングで僕の席に検尿を置いたのか。そこには明確な理由がある」
それでも僕は迂遠な言い回しから始めた。少しでも心の猶予を求めるように。
もっとも、僕が推理ぶった物言いをするのはいつものことだ。三人も怪訝な顔をすることなく、静かに聞き役に徹してくれている。
「その理由は――『謝罪』だ。和原さんも、織川さんも、小宮山さんも。ここにいる全員がストーカー対策のために力を尽くしてくれた。そんな姿を間近で見て、紛れ込んでいた犯人は……申し訳なくなったんだ。自分のやっていたことは間違いだったって」
「『謝ったんだから許してあげよう』はナシだよ?」
「ええ。せめて直接の謝罪を聞かせてもらいたいものです」
「犯人の子もちゃんと一度怒ってもらった方が楽になれるって!」
前言撤回。まったく静かな聞き役などではなかった。なんとしてでも僕の口から犯人を指名させようという強い連帯を感じる。
「うん、分かってる。中途半端にはしないよ。それじゃ動機の件は一旦脇に置いて、次の話に移ろう。犯人がこの検尿をいつ手元に準備したか」
僕はテーブルの上の検尿容器に視線を落とした。
和原さんと織川さんの二人がはっと目を見合わせ、小宮山さんは目をぱちくりとさせた。
「僕を偏執的に愛するストーカーが犯人なら、この検尿は何より貴重なものだったはずだ。盗んだ直後は肌身離さず持っていたかもしれないけど、その後は劣化を避けるために自宅の冷蔵庫なんかで保管していたと思う」
以前、和原さんと昼食を共にしたとき、彼女はブツの品質劣化を憂慮していた。ダメになっていくのを待つくらいなら、ミニトマトの糧として美味しくいただこうなんて計画も立てていた。
そこまで劣化を憂いていたならば、普段は可能な限り低温環境で保存していたに違いない。つまり学校に常日頃から持ってきていたはずはないのだ。
「つまり――これを僕の席に置くためには。今日こんな集まりの場が設けられることを予期してから、一度家に戻って取ってくる必要があったはずなんだ」
「あ……」
小宮山さんが呻くような声を漏らした。
「僕が一組に突撃して小宮山さんに呼び出しをかけたのは午後の授業だ。そこで『今日は何か特別なことがある』と察したとしても、そこから放課後までの間に学校を抜け出せるような隙はない。クラス全員の注目を浴びていたわけだしね。だから、小宮山さんにはアリバイが成立する」
「そっか……ありがと、透太」
小宮山さんはただ俯いて反論しなかった。論理に隙はいくらでもある。犯人が劣化を厭わず持ち運ぶタイプだったかもしれないし、大胆不敵に家庭科室の冷蔵庫を利用していた可能性も主張できる。
だが、この場でそんな風に食い下がっても意味はないと――彼女は察していた。
残った二人も少しだけ小宮山さんに同情する空気を漂わせたが、
「……となると、午後の授業を休んでた私とりっちゃんの二択だね。ちなみに私の部屋には小型冷蔵庫があるの。私専用だからちょっと変わったものを入れても大丈夫」
「私も一人暮らしですので、冷蔵庫の中身を誰かに覗かれることはありません」
すぐに前のめりで自己主張を開始した。和原さんと織川さんは、午後の間ずっと仮病でクラスを抜けていた。おそらく、あのときに和原さんが学校を抜け出して家から持ってきたのだろう。怪文書を仕立てる時間を考慮しても、決して不可能ではない。
「いいや、二択なんかじゃないよ」
だが、ここで僕はごく当然のことを述べる。
「だって二人は保健室で一緒にいたじゃないか。互いにアリバイを証明できるんじゃないかな?」
まさか『共謀して和原さんが検尿を回収に向かいました』なんて真相を言えるわけはない。
もちろん、相手の足を引っ張ろうと『ずっと保健室にいるのを見てました』なんて証言するのもアウトだ。それだと自分もずっと保健室にいたことになってしまう。
だから、この問いに対する二人の回答は容易に予想できた。
「覚えてないなあ」
「覚えていません」
惚ける。この一択である。
互いがそこに『いた』とも『いなかった』とも明言しない。そうすればこの犯人指名レースを継続できる。
だが、彼女たちの同盟関係は既に決裂している。この口裏合わせは単に互いにメリットがあるからこそ。ならばそこを突いて崩せばいい。
「織川さん」
「はいっ!」
「僕の家は学校から結構近いんだ。自転車も持ってるけど、散歩がてら徒歩通学にしてるくらい」
「……はい?」
いきなり僕がどうでもいい通学事情を語り始めたので織川さんは困惑の顔を見せる。ちなみに僕が自転車を持っていながら徒歩通学にしているのは、出先でサドルを盗まれて困った経験が多々あるからだが、今は関係ないので割愛。
今、僕が何を言いたいのかというと――
「前に引っ越しの荷解きの手伝いをしたとき。僕の家から織川さんの家まで、自転車で片道四十分くらいかかったんだ。つまり学校からもそれだけ離れてるってことだよね。簡単に往復できないくらい」
織川さんがひゅっと息を呑んだ。まるで冷や水を浴びせられたように。
「わ、私を弁護してくださるのは嬉しいですが。分かりませんよ? タクシーを拾えばその程度……」
「土地柄、このあたりは流しのタクシーなんてそうそう走ってないし、手配するにも時間が割とかかる。仮にベストタイミングでタクシーに乗れたとしても、最低で往復三十分以上はかかるだろう。さすがにそれだけ長時間抜け出してたら、同じ保健室にいた和原さんが気付かなかったわけがない」
今、和原さんと織川さんは「互いにメリットがある」から即興で「惚ける」という形の協力をしている。
だから意地の悪い手段を使う。「惚ける」ことが「片方にメリットの偏る」状態にする。裏切らなければ損をしかねない状態にする。さながら囚人のジレンマのように。
「確か和原さんは徒歩通学だった。つまり近所だ。織川さんに気付かれないように家まで行って戻ることもできたろう。ただ、織川さんは現実的にそれが難しい。となると……」
「いました」
果たして囚人は同胞を裏切った。
「今、思い出しました。なごみさんはずっと保健室にいました。間違いありません。この私が保証します」
楚々とした和原さんの口内からほんの僅かに「チッ」という舌打ちじみた音が聞こえた。我らが二組の誇る「誰にでも優しく真面目で可愛らしい癒し系保健委員さん」から決して響いてはならないタイプの音だった。
「和原さんにも改めて聞いておきたいんだけど、織川さんは」
「ずっと保健室にいたよ? 今思い出した」
これにて、三者全員にアリバイが立証された。いの一番にアリバイを立証されてしまった小宮山さんはずっと泣きそうな顔をしていたが、今は安堵の表情で「ふ~っ!」と座席の背もたれに寄り掛かっている。
「あ、いや待って透太。じゃあ誰がやったの?」
と、そんな彼女がふと我に返ったように身を起こした。
和原さんの撮った動画によって第三者の関与は否定されている。僕の推理じみた屁理屈によって女子三人のアリバイも立証された。これではいきなり無から検尿容器が降って湧いたことになる。
――ただ一つの可能性を除いて。
「ありがとう小宮山さん、よく聞いてくれた。今までのこの話は……いわばそれを言うための前座だったんだ」
「前座?」
「僕が普通に真犯人の正体を告げても、きっとみんなは信じなかったろうし、なんなら庇おうとしたと思う。だから『真犯人』以外に犯行可能性はなかったんだと、予め入念に説明しておきたかったんだ」
僕の前に座る三人とも、訳が分からないといった顔をしている。
「最初に言ったろう。犯人がこんなことをした動機はみんなへの『謝罪』だって」
そこでおそらく、全員が僕の思惑を察した。
互いに高速で視線を交わし合って対応を試みているのが見て取れたが、僕がそこから二の句を告げるには一秒もかからない。
「犯人は――僕だ」




