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第25話『隣人・小宮山佐智さんによる風説の流布⑩』

 多目的棟裏の花壇にはギャラリーが溢れていた。

 申し訳程度に物陰に隠れながら様子を窺っている者。堂々と集団で野次馬している者。多目的棟の教室をわざわざ借りて、窓から顔を出して眺めている者までいる。

 中には義妹に引っ張ってこられた嵯峨野もいたし、一組担任の黒眼鏡も校舎の陰に潜んでいるのが見えた。


 それでいい。

 小宮山さんとの一対一では意味がない。わざわざ授業中の一組に突撃して劇的な呼び出し宣言をしたのは、こうして多くの聴衆に集まってもらうためだ。


「来てくれてありがとう、小宮山さん」


 注目を一身に浴びながら待っていると、小宮山さんが緊張した様子でやって来た。ぎこちない子供の行進のように、同じ方向の手足が一緒に出ている。


「う、うんっ。ええと……それで……話って何かな?」


 小宮山さんの髪型はさきほどにも増して可愛らしく整えられており、来る前に念入りなセットをしたことが見て取れた。胸が痛くなる。本当にこんな幼馴染がいたらどんなに幸せだったろう。

 それでも、すべては嘘偽りなのだ。夢はいつか醒めなければならない。


「僕がこれから何を言うか、きっと小宮山さんも分かっているんじゃないかな」

「そ、そうだけど……やっぱり透太に言って欲しいよ」

「そうだね。これは僕が言うべきことだ」


 僕はぐるりと周囲の聴衆を見渡して、声高に叫んだ。


「本当に大事な話だから、みんなもよく聞いていてくれ!」


 囃し立てるような歓声が響き、ギャラリーのテンションが最高潮に上がる。群衆の中で嵯峨野が笑いながら中指を立てている。

 僕が「静粛に」とばかりに右腕を振ると、野次の声がしんと静まる。その静寂の中で重々しく切り出す。


「――小宮山さんは嘘をついている」


 場がざわついた。

 僕の口から発せられたのが愛の告白でなく、まるで糾弾のような内容だったことに誰もが困惑する。


「……嘘? 嘘ってなに? わたしは透太に嘘なんかついてないよ?」

「やっぱり。小宮山さんはきっとそう言い張ると思っていたよ。すごく勇気があって優しい人だから」

「分かんないよ透太。何を言ってるの? ちゃんと説明してっ!」


 ぶんぶんと首を振った小宮山さんが、微かに瞳を潤ませて縋るように叫ぶ。

 自然と、僕に向けられる周囲の視線が険しいものになっていく。だが、キツめの視線を向けられることには慣れている。どうということはない。


「僕と小宮山さんは幼馴染じゃない。誰にも言っていなかったけど、僕がこの街に引っ越してきたのはたった二ヶ月前のことで、小宮山さんと『お隣さん』になったのはそのときからなんだ」

「待て坂木」


 呆気に取られる群衆から歩み出て、僕の肩を強く掴んだのは嵯峨野だった。


「お前が誰と付き合うも付き合わんも自由だ。だがな――わざわざこんなに大勢集めて、相手に恥かかせようってのは違うだろ」

「恥をかかせたいわけじゃない。事実を言ってるんだ」

「事実と言われても、俺らにはどっちの言い分が本当か分からん。ただ、今の印象だけでいえばだいぶお前の感じが悪く見える」


 織川さんとの関係を説明した際、嵯峨野には『幼少期に東京に住んでいた』『親が転勤族だった』なんて僕の過去を説明した。それを踏まえれば『僕と小宮山さんが昔からの幼馴染だった』という話に違和感を抱きそうなものだが、少なくとも現状の彼は小宮山さんにだいぶ肩入れしているように見える。

 無理はない。人間は理屈と論理だけで物事を判断するようにできていないのだ。強く感情を揺さぶられるエピソードなら、多少の齟齬があっても信じたくなってしまう。


「嘘なんかじゃないっ!」


 空気が凍り付いていく中、小宮山さんが悲鳴のごとく訴えた。


「私と透太はずっと前からお隣に住んでて……小さい頃から一緒で……」

「必要なら、僕が通っていた幼稚園や小学校、中学校の卒業証書やアルバムを持ってくるよ。親が転勤族だからあちこち転々としているけど――この街に来たのは間違いなく今回が初めてだ」

「そんなはずないっ! 覚えてるもん! 小さい頃に一緒に公園で遊んだことも、小学校の自然学習で一緒に星を見たことも、中学の修学旅行で同じ班になれなくて悔しかったことも……」

「この中で、小宮山さんと同じ小学校や中学校だった人はいない? 同じ学校に僕がいた記憶はある?」


 僕は聴衆に呼びかける。

 誰からも明確な返答はない。だが、野次馬の中で「確かに覚えてないけど」「陰が薄かっただけじゃん?」「学年全員とか覚えてるわけじゃないし」とヒソヒソ囁きあっているのが聞こえた。依然として風向きは小宮山さんサイドにある。


「もちろん、小宮山さんは何の意味もなくこんな嘘をつくような人じゃない」


 しかし、そんなことは想定の範囲内だ。

 僕は大きく息を吸い込み、身体を直角に曲げて小宮山さんにお辞儀する。


「すべて僕が不甲斐なかったせいだ。小宮山さんはそれを――助けようとしてくれたんだ。こんなことをさせてしまって、本当にごめん」

「待って透太。本当に何を言ってるのっ」

「僕は少し前から、悪質なストーカーに付き纏われてたんだ」


 突拍子もない僕の告白に、聴衆の多くが怪訝な顔となる。


「どこの誰かは分からない。ただ、決して僕の思い込みや勘違いじゃない。ハァハァと喘ぐような不審電話がかかってきたり、郵便で盗撮写真の束が送られてきたり、自転車のサドルがなぜかヌルヌルに濡れてたり、パンツを盗まれたのも一度や二度じゃない」


『少し前からストーカー被害に遭っている』というのは嘘だが、今ここで列挙した被害の数々は嘘ではない。どれも実際に僕が受けた経験のある偏執的アプローチだ。


「正直、かなり辛かったよ。悩んで悩んで胃に穴が空きそうだった。周りには隠してるつもりだったけど、小宮山さんとはよく一緒に登校する中だ。僕が憔悴している様子が分かったんだろうね」


 まあ僕はそんな程度で憔悴するほどナイーブな人間ではないが、そういう体にしておく。


「そして、僕と小宮山さんの家はお隣同士だ。僕を狙う不審者の影に小宮山さんが気づいてもおかしくない。いや――きっと気づいたからこそ、解決のためにこんな手を打ってくれたんだろう? 『付き合っているフリをすることで、ストーカーを諦めさせよう』って」


 僕はようやくお辞儀の姿勢から頭を上げ、改めて小宮山さんに向き直る。

 彼女は震える声で何度も「違う」「そんなんじゃない」と言いながら、弱弱しく首を振っていた。


 集ったギャラリーたちもまた、僕の虚言などにまったく納得していなかった。

 誰もが胡散臭そうに「なにそれ」「自意識過剰だろ」「ストーカーとか」「妄想?」と言葉を交わしている。

 当たり前だ。僕みたいな大した魅力もない凡人に、そんな激重な感情を寄せてくれる人間がいるなんて――常識的にはまず信じられない。僕がギャラリーの立場だとしてまず信じないだろう。

 今の光景は、偏屈な卑劣漢がただ幼馴染の好意を愚弄しているとしか見えまい。


 残念ながら僕の力ではここまでだ。

 いくら理屈の上で『ストーカーから僕を守るための演技だった』と主張しても、それは誰の胸を打つこともできない。架空のストーカーの現実味があまりにも乏しすぎて、小宮山さんが広げた妄想の強度に太刀打ちできない。


 だから――


「坂木くんの言ってることは、本当だよ」


 少女が二人。

 ギャラリーの集った多目的棟裏に、威風堂々と姿を現した。

 この状況を打破できる能力を持った存在。和原なごみさんと織川律さんである。


「みんなは知らないよね。実はこの前の健康診断のとき、坂木くんの検尿が盗まれてたんだよ? 提出忘れって扱いになったけど……私は回収担当の保健委員だったから、ちゃんと間違いなくクラス全員分揃ってたのを覚えてたの。なのに――密室だった回収場所から、坂木くんの検尿だけが忽然となくなっちゃった」


 和原さんは怯えるようにその腕で自らの身を抱いた。


「私、なんだか怖くて。どういうことなんだろうって不気味でたまらなくて。それで盗まれた当事者の坂木くんに事情を聞いたら……ストーカー被害に遭っていることを打ち明けてくれたの」

「私も偶然ながら存じ上げておりました」


 織川さんが台詞を途中から引き継ぐ。


「転校からしばらくの間、教科書を見せていただくために坂木さんと机を寄せていたのですが……彼の袖が捲れた拍子に、手首に怪我をしているのが垣間見えたことがありまして。かなり痛々しい腫れ方で、脱臼したのではないかと疑うほどでした」


 織川さんも和原さんに倣って、怯えた感じで自らの身を抱いてみせる。


「詳しく事情を聞いたところ、坂木さんは『不審者に力尽くで……』とだけ仰って、それきり口を噤んでしまいました。よほど恐ろしい何者かに狙われているのは明らかでした。だから私も、可能な限り相談に乗ると申し出たのです」


 援軍二人の証言に聴衆が大きくどよめいた。

 僕一人の言葉なら根拠のない妄言で済んだろうが、客観的な第三者がストーカーの実在を語れば信憑性は大いに増す。


 しかし、小宮山さんの築いた城壁はなお分厚い。


 二人の証言があってもギャラリーはまだ半信半疑――にも届いていない様子だ。証言者の二人も、僕の自作自演や口車で騙されただけではないか。そう疑っている雰囲気がひしひしと感じられる。

 そんな空気の中。和原さんがポケットから折りたたんだ紙を取り出した。

 それこそが、午後の授業の間に用意してもらった切り札だ。理屈ではなくダイレクトに感情へと訴え、ギャラリーたちにストーカーの実在を信じてもらうための。


「これはね、坂木くん宛てに届いた怪文書なの。本当にとっても不気味な内容だから、これを読んだらきっとみんなにも信じてもらえると思うな」


 和原さんは畳んでいた紙を丁寧に伸ばし広げ、あたかも表彰状を読み上げるような姿勢となった。


「だから、今ここで私が朗読するね?」


 怪文書(ラブレター)の筆者である和原なごみさんは、そう言って妖艶に微笑んだ。


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