第23話『隣人・小宮山佐智さんによる風説の流布⑧』
昼休みの旧『1-8』教室には仄暗い緊迫感が充満していた。行ったことはないが、おそらく曰くつきの心霊スポットというのはこういう空気なのだろう。一手でも対応を誤ったら生きて帰れない予感がひしひし感じられる。
部屋で待ち構えていたのは、和原さんと織川さんの両名だ。
「この教室の鍵が壊れてるのは私と坂木くんだけの秘密だったから、本当はりっちゃんにも内緒にしておきたかったんだけどね?」
「なごみさん、そうつれないことを仰らないでください。私たちは友達ではありませんか」
表面上はニコニコとしているが目が笑っていない。
織川さんはどこかから勝手に運んできたパイプ椅子を、廊下から見えづらい教室の隅に広げる。
「さ、どうぞ座ってください」
掌で促されるままに座ると、僕の背後に回った織川さんがそっとこちらの両肩に手を置いてきた。その掌は、僕を椅子へと強く強く押し留める。立ち上がることができないように。
そして和原さんは僕の正面で中腰になり、同じ高さに視線を合わせてくる。
「ねえ、クイズを出していいかな? 私たちはどうして坂木くんをここに呼び出したんだと思う?」
和原さんからの呼び出しメッセージには『昼休み。例の場所』としか記されていなかった。もちろん状況的に小宮山さん絡みの釈明が求められていることは分かっているが、ここで焦って地雷を踏んでしまう僕ではない。
「普通にお昼を食べようって話かと思ってたんだけど、違ったかな?」
これまで彼女たちに対して鈍感を貫いてきたように、小宮山さんとの件についても僕は何ら意識していない。まずはそういう建前を装う。
でなければ、彼女たちも小宮山さんに後れを取るまいとギアを上げて対抗してくるかもしれない。三人同時に破局噴火を起こされたら終わりだ。
「ふふ。正解と言いたいところですが、ハズレです」
背後から僕の耳元に唇を寄せ、織川さんが囁いてきた。どんな男子をも魅了するような甘い吐息が頬をくすぐるが、今は捕食者の舌なめずりとしか思えない。
「――坂木くんの恋バナを聞かせて欲しいの」
正面からは和原さんが距離をじわじわ詰めてくる。
「私たちね。これまで恋愛っていうものにちっとも縁がなくて」
「そうなんです。ですから、今後の参考のために殿方の恋愛観をぜひ聞かせていただきたいと思いまして」
「坂木くんは最近とっても青春してるって噂だし、きっと協力してくれるよね?」
「まさか嫌とは言いませんよね?」
これは恋バナとは言わない。尋問である。
小宮山さんとの噂について、曖昧に誤魔化すことなくスタンスを明確にしろと迫っているのだ。事実として肯定するか、虚偽として否定するか。どちらかこの場で明言しろと。
「人が悪いなあ、二人とも」
僕は苦笑の演技をしながら首を振る。
「二人は『僕と小宮山さんが幼馴染じゃない』ってことは知ってるだろう? それなら当然、あの噂がデタラメの塊だって分かるはずだ」
「ええ、幼馴染というのが誤りだということは知っています。ですが、他の噂は? 既に交際しているという噂や、結婚の約束をしているという噂は?」
「ないない。どれも事実無根だって」
和原さんと織川さんが三秒ほど真っ黒な瞳を交錯させる。「審議中」というフレーズが彼女たちの頭の上に浮いて見えるようだった。
やがて、僕の肩を鷲掴みにしていた織川さんの手がぱっと離される。
「そうだったのですか。申し訳ありません。違和感はあったのですが、みんながあそこまで囃し立てるものですから。多少の事実は紛れているのかと思いまして」
「ごめんね。坂木くんが青春してるものだと思って、ちょっと強引に恋バナを押し付けちゃったかも」
無言の審議の結果、無罪あるいは執行猶予と判決が下ったらしい。
ひとまず納得したらしい様子の彼女たちは、今度は小宮山さんの異常性の否定にかかる。
「でも、なんでこんな噂が広まってるのか不思議だよね。一組の小宮山さんは変な嘘をつく子じゃないみたいだし、坂木くんと誰かを勘違いしてるのかな?」
「そうかもしれませんね。ひょっとすると……彼女の幼馴染に同姓同名の『坂木透太』という方がいて、その方との結婚の約束を誤解しているのでは?」
「そっか。小宮山さんの大事な思い出を否定するのが可哀そうで、人違いと分かってても坂木くんは否定せずに黙っていてあげてるんだ?」
「その結果、一組の皆さんが小宮山さんに肩入れして、噂にたくさんの尾鰭が付いてしまって、このような状況にまでなっていると。なるほど。不可思議な状況がだいぶ明瞭に解けてきましたね」
なぜ彼女たちがここまで非論理的かつ強引な解釈をしているのか。
理由は単純。彼女たちにとって『異常性を指摘してもらう』ことは『好意を見抜いてもらう』ことに等しいからだ。
小宮山さんが僕への好意ゆえに異常行動に走っていると認めてしまえば、恋敵にアドバンテージを許すことになる。それゆえ、小宮山さんをなんとか常人の範囲に留められるよう解釈を巡らせているのだ。
「そういうことでいいんだよね? 坂木くん?」
和原さんが壊れた人形のように深々と首を曲げて尋ねてくる。
ここで彼女たちの導き出した推理に同調すれば、この修羅場から脱することはできる。
「――いいや、実は違うんだ。そんな他愛のない勘違いじゃない。小宮山さんは明確に目的があって嘘をついてる」
だが、僕は敢えてそれを蹴った。
途端に背後から織川さんの手が伸び、僕の肩を再び重々しく掴む。
「それは……興味深いですね? なぜそのような嘘を? 坂木さんと幼馴染だという嘘をついて、小宮山さんにどのようなメリットがあるのですか?」
この場を無難にやり過ごすだけなら、反論せず頷いた方が何倍も楽だったろう。
だが、さきほど二人が提示したような雑推理で納得できるのは、ここにいる僕らだけだ。あんな内容では一組の生徒・教員をはじめとした、噂に騙され切った者たちを説き伏せることはできない。
「私も賛成できないなあ。あんな裏表のなさそうな子が嘘をつくかな? 坂木くんに迷惑をかけようとするかな? 私たちの推理の方が絶対に正しいと思うよ?」
きっと和原さんも織川さんも、あの推理では第三者まで騙せないと――そんなことは分かっている。
しかしここまで噂が広がってしまった以上、そこはもう諦めるしかないと割り切ったのだろう。少なくとも僕の口から噂の否定の言質だけ取れればよいと。
「聞いて欲しい、二人とも」
それでも僕は真摯に訴える。
まだ終わっていない。諦める必要なんてない。一組のみんなにかけられた小宮山さんの洗脳を解いて、なおかつ小宮山さんを『変な子』としない。
「小宮山さんがあんな嘘をついているのには、ちゃんとした理由がある。もちろんそれは――『彼女に妄想癖があって僕に好意を抱いてる』とかそういう非現実的な理由じゃない。もっと現実的に差し迫った事情があってのことなんだ」
もう僕の周りで誰も、社会的にドロップアウトさせない。
そんなこちらの信念を察してくれたか、二人から放たれる瘴気がふいに萎んだ。
「本当のことを知っている僕が一人で解決すべきと思ってた……でも、どうにも力不足で。どうすればいいか行き詰ってたところに、二人がこうして詳しい話を聞いてくれた。これはもう天の導きだと思う」
小宮山さんの暴走を止める。
そんな暗黙の了解を掲げて、僕はこう提案する。
「お願いだ。小宮山さんを助けるため、僕に力を貸して欲しい」




