第19話『隣人・小宮山佐智さんによる風説の流布④』
僕は小宮山さんについてほとんど何も知らない。
なんせたった二か月前からのお隣さんで、学校でのクラスも違う。たまに登下校のタイミングが重なったとき、短い雑談を交わす程度だ。その雑談にしても向こうは『旧知の仲』という設定で来るので、今更『私はこんな人柄です』なんて基礎的な情報を語ってくれるわけもない。
ただ、校内でたびたび見かける光景から察するに――彼女はいわゆる『クラスのひょうきん者』的なポジションにいるらしい。
たとえば、掃除時間に箒でのエアギターを披露していたことがあった。体力測定のときにブリッジ姿勢のまま動き回っていたこともあった。トイレの前で他の女子に「ちょっくら花に肥やしを添えて参ります」なんて最悪なボケをかましていたこともあった。
キャッチボールの際に本人は『アタシってそういう(恋愛方面の)話に縁がないじゃん?』と言っていたが、主に原因はそのあたりの言動だろう。
僕に対する男友達みたいに雑な接し方も、そういうひょうきん者的なイメージと合致する。
そう、それこそが僕の知る『小見山佐智』さんだった。
そのはずだったが――
「おはよっ。わたしも一緒に登校していい?」
「……もちろん」
僕が家を出てすぐ、駆け足で追いかけてきた少女がいる。
華やぐ笑顔に、あざとい角度で傾げられた小首。丁寧に丁寧に編みこまれた髪は異国の姫君のようですらある。
小宮山佐智さんVer2.0である。
先週の体育の授業。あの日にキャッチボールを交わして以降、彼女は目まぐるしい勢いで変貌を遂げていった。
後ろ髪をゴムで簡素に束ねていただけの髪型は、見ての通りの美しい髪結いに。
踵を踏みつぶしていたスニーカーはピカピカのローファーに。
下ネタを厭わなかった唇はリップで瑞々しく輝いている。
「今日のわたし、どう? 髪型とか変じゃないかな?」
そして何より一人称が『アタシ』から『わたし』へと変化している。
彼女の中で非常に大きなアップデートが実行されたと見える。
「変じゃないよ。うん、よく似合ってる」
「えへへ。嬉しいっ」
小宮山さんは全身で喜びを表現するように軽くスキップした。
以前までの小宮山さんでは考えられないほど少女めいたリアクション。僕は額に滲む汗を抑えられなかった。
「小宮山さん……最近、少し雰囲気が変わったよね?」
これまではできるだけスルーしようと心がけていたが、とうとうたまらず僕は尋ねてしまう。
意図的にイメチェンしたのだと言って欲しい。まったく無自覚にここまで変身したのなら、本当に彼女のアイデンティティが心配だ。
「あはは、透太ったら鈍いの。やっと気づいたんだ」
一瞬、本来の小宮山さんのように快活な笑いが返ってきたが、
「わたしだって、いつまでも泥んこまみれの男の子みたいな子供じゃないんだよ。お洒落にだって気を遣う年頃の女の子なんだから。今頃気づくなんて……透太って、本当に相変わらず鈍いなぁ」
違う。そんな存在しない幼少期との差異を論じたいわけではない。
つい先週までの君との落差の話をしているんだ。
「その……一組のみんなは何か言ってこない?」
「もしかして、わたしが男の子から言い寄られてないか心配してる?」
「そういうニュアンスじゃなくて」
「さてさて。どうでしょう? なんて。ふふっ」
楽しそうに笑った小宮山さんは、ふいに僕の腕にぎゅっと抱き着いてきた。
「心配しなくて大丈夫だよ透太。どんなに昔と変わったって、わたしはわたしのままだから。あの約束のことはずっと――ずっとずっと覚えてるから」
遠い昔の大事な思い出を懐かしむように、小宮山さんは目を細めて笑った。
「だから待ってる。透太が思い出してくれるまで、ずっと」
無邪気な瞳で彼女は僕にそう宣言する。
そんな約束は存在しない。断言できる。あらゆる事実をどう精査しても僕と小宮山さんが幼馴染だったなんてことはあり得ない。
なのに――
あまりにも曇りなく、確信をもって僕を見つめるその瞳を見たその一瞬だけ。
『僕は本当に何か大事な約束を忘れているんじゃないか?』
そんな荒唐無稽な疑念を、強制的に抱かされてしまった。
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