第18話『隣人・小宮山佐智さんによる風説の流布③』
厄介なことになった。
和原さんや織川さんは、第三者を巻き込まず一対一で僕を陥れようとしてきた。それはきっと、他ならぬ僕の口から「犯人は君だよね?」と指摘されることを望んでいたからだ。第三者を巻き込んで、そちらから指摘されてしまったら意味がない。
だが、小宮山さんは違う。
彼女には異常行動をしている自覚がない。己の癖を看破して欲しいなどとも思っていない。ただ、自分にとっての『事実』を雑談の中で普通に垂れ流しているだけだ。
(もちろん、広まった誤情報を正すことはそう難しくないけど……)
当時の在住地なんかの矛盾を突けば、幼馴染だったということがあり得ないと分かってもらえるだろう。しかし当の小宮山さんだけは絶対に引くまい。新たな設定を生やして対抗してくるはずだ。
すると周囲のクラスメイトたちはこう思うだろう――『小宮山さん、なんだか言ってることがおかしくない?』と。
それはいけない。中学三年の頃の悲劇を思い出せ。二度とあんな悲しい犠牲者を出してはならないのだ。
珍しいことに、教科書を共有する織川さんも今日は一切の悪戯を仕掛けてこなかった。
席が近いため嵯峨野との会話が漏れ聞こえたのだろう。いつになく真剣な顔で真っ白なノートを睨んでいる。
(とりあえず、小宮山さんの脳内設定が過激化しないことを祈るばかりか……)
子供の頃に結婚の約束をしたなんて、微笑ましい話に過ぎない。ちょっと仲のいい男女の子供同士なら案外よくありそうな気もする。まったくの事実無根というところは非常に恐ろしいが、そんなことは僕さえ伏せていれば傍目には分からない。
現状まだギリギリなんとかなる。なんとか穏便になあなあで済ませられる。
しかし――
「透太―! この後のキャッチボール、アタシとやんない?」
よりにもよって、その日の四限授業は一組と合同の体育だった。
内容はグラウンドでのレクリエーション運動。要するにジョギングとキャッチボールだ。
そしてジョギング中の僕に元気よく並走してきたのは、問題の小宮山さんである。
「……うん、いいよ」
他に組む約束があるなどと適当な方便で逃れたいところだが、数少ない友人の嵯峨野は義妹さんと仲良く走っている。土気色の顔で。邪魔をしてはいけない。
もちろん和原さんと織川さんにも頼めない。ますます変な波風が立つ。
(というか織川さんはとっくに運動部の女子たちとジョギングを終えてキャッチボールに移っていたし、和原さんはノロノロとマイペースに最後方を走っていた)
「キャッチボールとかずいぶん久しぶりじゃない? 最後にやったのいつだっけ?」
「いつだったかな?」
ジョギングを終え、グローブを選びながら小宮山さんが尋ねてくる。無論、彼女とキャッチボールをするのは生まれて初めてのことだ。
くたびれたグローブを嵌め、まずは近距離から緩めにキャッチボールを開始する。
「……透太。ちょっと聞いていい?」
ボールを何度か交互に投げ合った後、小宮山さんがちょっと目を泳がせた。
「どうしたの?」
「いや~。その、あのね? 最近、アタシ絡みでちょっと変な話とか聞いてない?」
聞いている。それはもう度肝を抜かれるほどに変な(事実無根の)話を。
「別に? 特に何も聞いてないけど」
だが僕は知らないフリを突き通す。決してこの話題を掘り下げてはならない。
白々しい笑顔で場を流そうとしたら、いきなり「ばしんっ!」と強めの球が投げられてきた。
「知ってるもん。透太がそういう顔するときは、たいてい適当な嘘ついてるって」
ふくれ顔で小宮山さんは怒ってみせる。
手強い。本当の幼馴染でもないのになぜ僕の表情を読めるのか。
小宮山さんは肩で大きく溜息をついてから、少しばかり気恥ずかしそうに語り始めた。
「こないだ、うちのクラスの女子でカラオケに行ってね。なんか途中から恋バナに話題がシフトしたの」
「……うん?」
話は分からないがとりあえず相槌を打つ。
「これがまた意外に盛り上がっちゃって。次から次にみんな甘酸っぱい話を語ってくれちゃって。アタシも聞き役で楽しんでたんだけど……急に話題を振られちゃって」
「うん」
「でもアタシってほら、そういう話にちっとも縁がないじゃん? だけど盛り上がった場をシラけさせるわけにもいかないじゃん?」
「うん」
この時点で小宮山さんの顔は耳まで赤くなっていた。
「だからっ! 子供の頃のアレまで遡るしかなくて言ったのっ! 今でも本気にしてるとかそういうわけじゃ全然ないからっ!」
申し訳ない小宮山さん。
子供の頃のアレなんて存在しないんだ。僕らの関係をどれだけ遡っても虚無しかないんだ。
「それだけ! キャッチボール再開!」
グローブをばちんと叩いて小宮山さんが叫ぶ。
その迫力に負けて僕は反射的にボールを放った。微妙にコントロールが狂った。
「あはは、どこに向けて投げてんの」
横に逸れたボールを小宮山さんが追って拾う。
そのまま野手みたいな動きで僕にボールを投げてこようとして――ふいに腕を止めた。
「あのさ、透太」
「……何?」
「あの約束のこと、覚えてた?」
僕は言葉に詰まった。咄嗟に何と答えるべきか分からなかったのだ。
もちろんイエスと答えてはならない、妄想を肯定してしまう。だが、安易に否定してもよいのか。彼女にとってそれは『事実』なのだ。かといっても曖昧に誤魔化すのも実質的にほとんどノーと変わらない――……
「とりゃっ!」
そのとき、小宮山さんが大暴投を放った。
僕の頭上を大きく超えて、ボールがグラウンドの隅へと転がっていく。
「ごっめーん! ミスったから拾ってきて!」
小宮山さんは舌を出しておどけたように笑った。
ボールを拾ってきた後、質問の続きが聞かれることはなかった。
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