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第12話『転校生・織川律さんによる監禁⑦』

 織川さんは薬物のような搦め手を好まない。主従関係を叩きこむためにはもっとストレートな手段でくる。

 僕の読みそのものに何ら間違いはなかった。ただ、投げ込まれてきたストレートの球速だけがこちらの想定を遥かに上回っていた。


 なんたる失策。

 これまでの慰謝料チラ見せや青天井バイト代のせいで見誤っていた。織川さんの強みは実家の財力であると。最終的にはその資金力をもってこちらに屈服を迫ってくるであろうと。

 僕は馬鹿だ。織川さんほど強烈な支配欲求の持ち主が、そんな手段で満足するわけがないではないか。家の財産をばら撒いて僕を従わせたところで、それは織川さんの力ではない。あくまで実家の力であって、彼女が本質的な意味で僕を従属させたことにならない。


 だが、今この状況は違う。

 この瞬間、彼女は他ならぬ己自身の鍛錬によって磨き上げたフィジカルで僕を追い詰めている。窮地ではあるが、癖を満たすため努力を惜しまないその姿勢には敬意を表したい。


「……織川さん。確かに、いきなり扉が開かなくなってしまったのはとても不思議だ。でも、今は好奇心よりも脱出を優先すべきだよ。もっと力を込めて扉を押そう」

「はい、かしこまりました」


 とはいえ、尊敬に値する相手であろうとここで折れるわけにはいかない。

 僕はまずもっとも単純な脱出手段に挑む。織川さんとの力比べだ。彼女がハンドルを引く力を上回って僕が扉を押し切れば、この物置から普通に解放される。

 やたらと扉が開かなかった件については「錆び付いてたのかな?」とでも惚ければいい。

 僕はタックルのごとく姿勢を低くし、両掌を扉に突っ張って全体重をかけてみるが、


「くっ……!」


 まったく扉は開かない。地に根を張ったような織川さんの安定感を崩せない。こちらが踏ん張って息を切らしても、彼女はまだまだ涼しい顔だ。


「私、幼少より弓道をやっておりまして。体幹には少しばかり自信があるんです。知っていますか? 弓というのは腕力だけでなく、全身で引くことが大事なんですよ――もちろん、それでも坂木さんのような男の子ほど力持ちではありませんけどね?」


 織川さんの方も徐々に息が荒くなってくるが、たぶん疲労由来ではない。興奮由来だ。

 身を低くして扉を押し続ける僕の背中に、ぱさりと織川さんの長髪が降ってくる。僕の背をくすぐるように流れていくその感触は、飼い主が愛しい子犬の背を撫でるそれを思わせた。


「坂木さん。ここまで押してみてダメなら、扉が閉まった原因究明に動いた方がよくはありませんか?」


 降伏勧告のように織川さんが言う。

 ここで僕が一言「織川さんが閉じてるよね?」と指摘したらどうなるだろう。きっと、こんな顛末を辿ることになる。


 ――織川さんが閉じてるよね?

 ――ええ、実はそうなんです

 ――冗談が過ぎるよ。さ、もう外に出よう

 ――冗談でこんなことをすると思いますか?


 容易に想像できる。黒ずんだ瞳で僕を凝視する織川さんの顔が。


 ――理解っているのでしょう? 私が『本気』だと


 そんな展開になってしまえば、織川さんはもう何も取り繕わなくなる。品行方正なお嬢様の仮面を投げ捨て、パワータイプな本性を剥き出しに僕を支配しようとしてくる。あるいは今日中に貞操が危ういかもしれない。


 だけど。

 和原さんのときと同じで――彼女たちはいつも回りくどい。

 特殊な癖を持っていることを自白も同然に匂わせながらも、決して自ら明言はしない。後戻りできない最後の指摘だけは、必ず僕の方から言わせようとする。


 なぜか。決まっている。告白というのは怖いものだ。それはどんな癖を持っていたって変わらない。

 そう思えば、さっきからずっとハァハァ言っている織川さんもなんだかいじらしく思えてくる。


 僕は深呼吸して扉から手を離した。諦めたわけではなく、次なる現状打破の手を探るために。


「スマホは圏外だね」


 今更ながらにポケットからスマホを取り出して確認してみる。地下なので当たり前のように電波が届いていなかった。まあ期待もしていなかったが。


「でも坂木さん、不幸中の幸いとでも言いますか、さきほど運んだ防災物資の中には、食糧も簡易トイレもエアマットレスもあります。ワインセラー跡だけあって空調設備もありますから、快適な室温も維持できます。このまま誰も助けに来ずとも、何ヶ月かは二人で生活できますよ」

「それは何より。命の心配はないってことだね」


 あまりにも用意周到すぎて故意感がさらに増す。ここまで胸がときめかない同棲展開も珍しい。


「ところで織川さん。二人がかりで扉を押してみても駄目だったけど、勢いを付けた体当たりとかはどうかな? 二人で一緒に助走してから扉にぶつかってみるとか」

「いけません」


 扉の番人のように立ち塞がりながら織川さんが目を剥いた。


「この扉は頑丈な鉄製なんですよ? 後先考えずに体当たりなどをして、怪我でもしてしまったらどうするのですか。助けが呼べない以上、お医者さんだって呼べないのです。怪我のリスクのある言動は厳に慎むべきかと」


 試しに聞いてみただけだ。乗ってくれるとは思っていない。

 織川さんをハンドルから遠ざけることができれば扉を開けることもできようが、彼女は常に扉を背に護っている。


(……正直、長引かせるのはまずい)


 実際のところ、何ヶ月も僕らがここに閉じ込められるとは思わない。

 今日の夜にも僕が戻らなければ、失踪扱いで騒ぎになるだろう。そしてこの家の庭には僕の自転車が残されている。今時の警察ならスマホの位置情報履歴だってすぐ確認できる。


 つまり――明日か明後日には、警察と僕の両親と織川さんの両親が揃ってここに踏み込んでくるかもしれないのだ。若い男女が二人、鍵もかかっていない地下室で共同生活をしている現場に。


 そうなれば終わりだ。

 互いの社会的破滅を避けるためには、遅くとも今日の夕方までにはここを脱出しなければならない。


「『扉が閉じた原因』が分かれば、きっと今すぐにでも扉は開きますよ?」


 そのリミットを分かっていて、織川さんも懐柔を試みてくる。

 だが――屈するわけにはいかない。

 癖をこじらせた悪辣な暴走に成功体験を与えてしまったら、織川さんの歯止めがなくなる。将来的にもっと大きな過ちを犯してしまう。


 故に、僕は彼女を犯人だと指摘しない。

 その上でこの密室から無事に脱出してみせる。


 それが今回の事件を大事にせず、鈍感にやり過ごすための必要条件だ。

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