第11話『転校生・織川律さんによる監禁⑥』
勝負の週末はあっという間にやって来た。
僕の家から自転車でおよそ四十分。街の中心部から少し離れた郊外の、立派な庭付き一軒家。
それが織川さんの住んでいる家である。
「ようこそいらっしゃいました坂木さん! 今日は誠心誠意おもてなしさせていただきますね!」
インターホンを押したら秒と待たずに扉が開く。待ち構えていたのは部屋着らしい白のワンピースに身を包んだ織川さんだ。
「いやいや、バイトに来たんだから。もてなされるわけにはいかないよ」
「何を仰います。大事な友達が厚意で手伝いに来てくれたんですから、こちらも礼を尽くすのは当然のことです」
他愛ないやり取りを交わしつつ、僕は玄関の扉をちらっと確認する。
防犯性能の高い最新式の電子錠に、扉自体も頑丈な金属製。力尽くで破ることは極めて難しい代物だ。
また、建物本体は頑丈そうな鉄筋コンクリート製だった。庭に面した大きなサッシ窓はあったが、ガラスだからいつでも破れるなんて夢は持たない方がいいだろう。強化ガラスという前提で想定しておく。
「それにしてもびっくりしたよ、ずいぶん立派な家だね。一人暮らしっていうからマンションとかアパートを想像してたんだけど」
「そちらも悩んだのですが、やっぱり庭がないと落ち着かなくて」
「そっか。織川さんの家ってすごく広い庭があったもんね」
もし集合住宅だったら大きな騒ぎが起きれば近隣住民に勘付かれる。しかし、郊外の一軒家であればその心配はない。僕にとっては間違いなく不利な環境といえる。
だが――そこまで過度に恐れることはない。
庭付きの一軒家などそう簡単には建てられない。すなわちこの家は既存の物件だったということである。実際、下調べに地元の不動産情報サイトを検索してみたところ、今年の三月までここが貸家として登録されていた痕跡があった。
(なお、三月とはちょうど僕がこの街に引っ越した時期でもある)
残念ながら、物件の間取りなどの詳細情報はもう非公開となっていたが、それでも二か月前までここは何の変哲もない普通の物件だったのだ。
ならば、そう大がかりな改装をする時間的猶予はなかったはずだ。
少なくともミステリ小説に出てくるカラクリ屋敷のように、奇想天外な仕掛けは存在し得ない。常識的な警戒をして動いていればそう致命的な事態にはなるまい。
「玄関で立ち話もなんですし、どうぞ上がってください」
「うん、おじゃまします」
「昼の準備ができていますので、作業の前にまずはお食事といきましょう」
織川さんがそう言ってリビングへと僕を案内する。
確かに「軽食を用意していますので食事はこちらでどうぞ」と言われていた。おにぎりかサンドイッチあたりが用意されているのかと思いきや、
テーブルに用意されていたのは――重厚感漂う鉄製のすき焼き鍋だった。
桐箱に収められた霜降り牛肉が、僕のような庶民にはあまりにも眩しい。
「軽食……?」
「まだこちらにもありますよ」
キッチンの方に行った織川さんは大型の冷蔵庫を開け、そこから抱えるほど大きな刺身舟を取り出した。盛られているのは頭の付いた真鯛と伊勢海老。どちらもハレの日につきものの縁起物だ。
織川さんはテーブルの椅子を引きながらニコニコと笑う。
「坂木さんが肉派か魚派か分からなかったので、どちらも用意しておきました。さあどうぞご着席を」
「この食事に見合う労働力を提供できる自信がちょっとないんだけど」
「これは報酬ではなく、坂木さんに対するほんの気持ちです」
織川さんは僕の肩を押して強引に椅子へ座らせる。
「坂木さんが食べてくれなければ、私一人では食べきれずに捨ててしまうだけですよ? 一緒に食べてはいただけませんか?」
「それは……さすがに勿体ないかな。じゃあ、気が引けるけどいただくよ」
「気後れなんかせず、どうぞお腹一杯食べてくださいね?」
ちなみに、僕はここで何かしらの薬物を盛られる心配はしていない。
何かを盛られるときはだいたい雰囲気で分かる――というのもそうなのだが、織川さんはそういうタイプではないのだ。
彼女が僕に対して抱く感情は、ペットに対するそれに近い。
餌付けで懐かせようとはするだろう。場合によっては調教めいたこともしてくるかもしれない。だが、薬物で強制的に手中に収めるということはしない。きっとそれは彼女の流儀に反する。
相手の癖を冷静に把握すれば自ずと警戒すべき事柄は絞れる。
僕は一時的に警戒を解いて、豪華絢爛な食事に舌鼓を打つことにする。美味しいだろうとは思っていたが、箸を付けてみると想像の倍以上は美味しくて目を丸くしてしまった。
そして、織川さんはそんな僕の表情を満足げに見つめながら白米を食べていた。まだ彼女はおかずに手を付けていないのに。
「坂木さん。こんな食事を毎日のように食べたくはありませんか?」
ここでジャブが放たれる。
これは遠回しに織川さんへの永久就職を提案しているのだろう。だが、もちろん僕はそれに正面から応じない。わざと半歩ずらした回答で返す。
「そうだね。そのくらいリッチになれるよう、頑張って勉強していいところに就職しないと。まあ、毎日ここまで豪華なご飯を食べてたらすぐ太っちゃいそうだけど」
「……そうですね。確かにこれを毎日は健康によくありませんね」
望む回答ではなかったか、織川さんの返答には一瞬の沈黙が挟まった。
きっと今、織川さんはフラストレーションを溜めている。このまま平穏に何事もなく帰れるとは思えない。
「――ごちそうさま。本当に美味しかったよ、ありがとう」
「お粗末様です」
食事を終えると、織川さんはいそいそと食器を片付け始めた。僕も一緒にやろうとしたが、
「備え付けの食洗器がありますので、洗い物にそこまで手間はかからないんです。ちょっと濯ぐ程度で。それより坂木さんにはやってもらいたい仕事がありまして」
「どんな仕事?」
「ええと……恥ずかしながら、そこに積んである段ボールがありますよね?」
確かにリビングの壁際にはたくさんの段ボールが積んであった。
それぞれにマジックで『防災』とか『不急』とか『雑』などと書かれている。
「そのあたりの品々は、とりあえず当面は使いそうにない品ばかりなんです。リビングにずっと置いておくのも見栄えがよくないので、物置の方に移してもらえましたら」
「ん……結構重いね」
手近な段ボールを一つ抱えてみると、なかなかの重さだった。男子の人手が欲しいというのはあながち嘘ではなかったのかもしれない。
「物置はこちらです。案内しますね」
織川さんは食器回収の手を止め、僕を廊下へと誘う。
廊下をしばらく進むとその突き当りに――地下へと通じる階段があった。
「この階段の先です。降りるときは足元に気を付けてくださいね」
「……地下の物置? なんだか少し珍しいね」
「この家の元の持ち主さんがワイン愛好家だったそうで、そのワインセラー跡をそのまま物置として使っているんです。では、よろしくお願いしますね」
そう言うと織川さんはキッチンの方に戻っていった。
間違いない。仕掛けてくるならこのタイミングだ。
僕は段ボールを抱えつつ、慎重に物置への歩を進める。地下といえど照明は灯っているから明るいが、螺旋状に曲がった階段は数歩先も見えないため、未知の洞窟に潜っているような気分になる。
そして――降りきった先には扉があった。
重々しい鉄扉である。
だが注目すべきは、扉の素材よりも開閉方式だった。
(予想と違うな……)
一度物置に入ったが最後、外部からロックされて閉じ込められると思っていた。
だが、扉はコの字型のハンドルを手前に引いて開くだけのごくシンプルな開き戸だった。試しに開けて扉の側面を確認してみるが、やはり閂やラッチといった開閉を制限するための部品はどこにもついていない。
特殊な施錠装置が外付けされている様子もない。扉自体に年季も入っているから、織川さんが住む前から使われていたものだろう。
ここまで単純なドアの開閉を塞ぐなら扉をガムテープで密閉するとか、扉の前にとびきり重いものを置くとか。そういう物理的手段しかない。
しかし、それなりに警戒していればそんな悠長な手段は容易に防げる。
なんなら扉の手前には三角形のドアストッパーも置かれている。これを使えば扉を開きっぱなしにして、隙を晒さず安全に作業を進めることが可能だ。軽く踏んでみた感じ、強度に問題も見られない。
(仕掛けてくるのはここじゃなかった……?)
首を捻りつつも、ひとまず僕は頼まれた仕事をこなすことにした。
鉄扉をストッパーで開けたままに固定して、段ボール箱を運び込む。運び込んだらリビングに戻って、また次の箱を運び込む。
その間、織川さんは食器を軽く濯いで食洗器に並べる作業に勤しんでいた。怪しい素振りはどこにもない。
そんな調子で、リビングの段ボールを半分ほど運び込んだころ――
「お待たせしました。奥の方の箱はもっと重いので、二人で一緒に運びましょう」
織川さんも荷運び作業に合流してきた。
防災用の長期保存水がびっしり詰められた段ボールで、なるほど二人がかりでも手こずる重さだった。
階段では僕が一段先に降りて下から荷物を支え、織川さんが上からそれを補助する。
おっかなびっくり足並みを揃えて階段を乗り切り、ようやく物置部屋に着こうとしたとき――
「あっ!」
「わっ!」
織川さんがドアストッパーに足を躓かせ、姿勢を大きくよろつかせた。
一緒に荷物を持っている僕もそれに巻き込まれ、なんとかバランスを取ろうとたたらを踏む。織川さんが前によろめけば僕は後ろに後退し、左によろめけば僕も同じ方向に移動してカバー。
「……ふぅ」
ギリギリ転ぶ寸前で二人とも踏みとどまり、物置の中で同時に安堵の溜息をつく。
「すみません。私の不注意で危ないところでした……」
「大丈夫。怪我がなかったから結果オーライだよ。でも次からは気を付けよう」
二人でゆっくりと床に荷物を置いた、そのとき。
織川さんが躓いた際にドアストッパーが外れたようで、ゆっくりと重々しく鉄扉が閉じた。
「あ。ストッパーを嵌め直しますね」
それを見た織川さんが物置内に転がっていたドアストッパーを拾い、閉じた鉄扉を再び固定しに向かう。
僕は背筋に嫌な汗を感じた。
問題ない。あの扉にはロックを可能とする仕組みなど一切備わっていなかった。内側から押せばすぐに開くはずだ。
「……あれ? あれ?」
しかし無情にも僕の嫌な予感は的中してしまった。
織川さんが鉄扉のハンドルを握って力を込めている。なのに、扉は一向に開く様子を見せない。
「申し訳ありません。どうも扉の立て付けが悪いようで、坂木さんも一緒に押してもらえませんか?」
「……うん」
僕はコの字型のハンドルに手をかけ、織川さんとともに力を込める。
だが、ビクともしない。何の施錠機構もないはずの扉が完璧に封じられている。
――そのトリックは一目瞭然にも程があるものだった
「困ってしまいましたね……? 二人で一緒に力を込めているのに全然開かないなんて。これじゃあ私たち、この狭い物置でいつまでも二人っきりですよ……?」
織川さんは、明らかに扉を『引いて』いた。
凄まじい力で。僕が扉を押し開けようとする以上の力で。
「――ああ、坂木さん。どうして扉が急に開かなくなってしまったんでしょう? 坂木さんなら理由が分かるのではありませんか?」
猟奇的な笑みをたたえ、織川さんは僕にそう問いかける。
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