第10話『転校生・織川律さんによる監禁⑤』
和原さんとの刺激的な昼食を終えて教室に戻ると、織川さんはクラスの女子たちと楽しそうに談笑していた。
「ええ。中学までは弓道部に所属しておりました。こう見えて結構上手かったんですよ」
「えーカッコいい! 射つとこの動画とかある?」
「でもうち弓道部なくない?」
「ないもんね弓道場」
「そうなんですか……残念です。できれば続けたかったのですが」
「待って確か市のスポーツ公園のどこかにあったよ弓道場」
もし僕だけに執着して他のクラスメイトたちを蔑ろにするようなら彼女の今後が心配だったが、そこは杞憂だったようだ。
(よかった。これならすぐクラスにも馴染むかな)
願わくば健全に楽しい青春を過ごして、僕への執着なんか綺麗さっぱり忘れ去って欲しい。もとより織川さんのように素敵な女子が、僕に想いを寄せる理由なんて欠片もないのだ。ふと熱が醒めて正気に戻る日が来たっておかしくない。
僕がそんなことを考えているうち、織川さんは女子たちと連絡先を交換し始める。
「ね、なんでアイコンが首輪なの?」
「五歳の頃にお別れしてしまった……とても大切な子との思い出なんです」
なお余談ではあるが、僕が幼い頃に繋がれた犬小屋は織川さんが物心付く前に亡くなった老犬のものだった。僕らが遊んでいた五歳当時は、彼女の家にペットなどいなかったと思う。
「そうなんだ……すごく可愛がってたんだね」
「はい。本当に、すごく」
女子たちの会話を聞き流しつつ、僕は手持ち無沙汰なので黒板をとりあえず綺麗にする。自分の席が織川さんに群がる女子たちに占拠されているので仕方ない。
そのまま壁にもたれてスマホをいじったりする悲しい数分が過ぎ、ようやく人が掃けてきたころ僕は席に戻る。
「では午後もよろしくお願いしますね坂木さん」
間髪入れず織川さんが机を寄せてくる。
体育や移動教室でもあれば逃れられたのだが、残念なことに今日は終日教室オンリーである
織川さんは再び僕に肩をくっつけ、小声でヒソヒソと囁く。
「ところで少し相談があるのですが、聞いていただけますか?」
「……うん、どんな相談?」
聞くには聞くが必ずしも要望に応えられるとは限らない――そんな警戒心たっぷりの答えは不自然が過ぎるのでぐっと呑みこむ。
「実は私、こちらで一人暮らしを始めたばかりなんです」
「えっ。家族の人たちは?」
「東京での仕事などいろいろありますので。もとより今回の引っ越しは、私個人の都合でしたし」
高校生で親元を離れて一人暮らしとは。フィクションみたいな話である。
だが、一人暮らしと聞くともう嫌な予感しかしない。
「それでですね。引っ越し自体はもう済んだのですが、まだ荷解きや家具の配置が完全には終わっていなくて」
「うん」
「重い家電や家具の移動で、人手が欲しい状況なんです。できれば男の人の」
「うん」
「でも、知らない男の人を家に上げるのは少し怖いので……もしよければ坂木さん。アルバイトとして力を貸してはいただけませんか?」
見え透いた虎口への招待に等しかった。
「申し訳ないけど、僕はそんなに力仕事に自信がないよ。帰宅部だし。悪いけど他を当たってもらえたら……」
「ご協力いただけないと?」
「ごめん。そういうことになるかな」
「アルバイト料は弾みますよ?」
織川さんは聖母のような微笑みとともに、例の茶封筒を再び机上に持ち出した。
「金額の問題じゃないんだ。僕の体力的に難しいって話で」
「分かりました。では、明日はこの倍の厚さを積みましょう」
「いやそうじゃなくて」
「それでもだめなら明後日は三倍の高さに積みましょう」
「青天井のポーカーみたいな圧のかけ方をしてくるね」
たぶん脅しではない。織川さんは僕が折れるまで毎日本当に現金攻めをしてくる。
もしそんな非常識な現金の持ち込みがバレれば、僕も織川さんもタダでは済まない。全校からあらぬ噂を立てられるに違いない。
(仕方ない……)
僕は腹を括った。
織川さんも和原さんと同じく、生半可な対応で逃げ切れる相手ではない。
彼女の異常行動を沈静化させるには、今回もまた全身全霊で臨む必要があるだろう。
「500円」
僕は短く告げ、淀んだ織川さんの瞳をまっすぐ見据える。
挑むは虎口。果たして鬼が出るか蛇が出るか。
「たぶんその程度の働きしかできないと思うから、バイト代はワンコインで十分だよ」
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