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空の上の神様 〜台湾で祀られる零戦パイロット、杉浦茂峰の物語〜  作者: はまゆう


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序章・炎の空、白い帽子

揺れていた。


激しい機銃掃射で、機体はまるで発作のように震えていた。コックピットの中は焦げ臭い。計器類が壊れ、高度計の針が狂ったように回っている。最も恐ろしかったのは、操縦桿を握る右手に伝わる感触だった——まるで生きた獲物の痙攣のように、機体が細かく震えていたのだ。


杉浦茂峰は、自分がもう長くないことを理解していた。


二十歳──正確には二十歳と十ヶ月と三日。零式艦上戦闘機三二型の操縦席に座るこの若い兵曹長は、戦友の誰よりも「飛ぶこと」を愛していた。生まれは茨城県水戸市。幼い頃から空を仰ぐのが習慣だった少年は、予科練の試験に飛び込み、誰よりも早く操縦を覚えた。


「おい、杉浦。お前は空の申し子だ」


教官はそう言って笑ったものだ。


その申し子も今、この台湾・台南の空で死のうとしている。


——一九四四年十月十二日、午前十時頃。


朝の七時。発進のベルが鳴ったのは、確かその頃だった。


「緊急発進! 敵機大編隊、台南へ向かう!」


慌ただしい足音。エンジンの始動音。南国の朝焼けの空に、黒い点が無数に広がっている——アメリカ軍のグラマンF6Fヘルキャット戦闘機の群れだった。連合軍のフィリピン上陸を前にした大規模な制空作戦。台湾全土の飛行場が叩かれるという情報は、すでにもたらされていた。


杉浦は決して無謀な男ではなかった。誰よりも冷静で、誰よりも機体の扱いに細心の注意を払った。けれどもその日、彼は出撃前の自分の様子を「予感」として後から思い出すことになる。


白い帽子を深くかぶり直した。


「——行くぞ」


雲一つない晴天だった。戦いにこれほど適した空はなかった。


そして、地獄のような戦闘が始まった。


零戦——無論、それは優れた機体だった。軽量で旋回性能が高く、初期の頃は連合軍パイロットを震え上がらせた。しかし一九四四年の終わりになると、その優位性はほぼ失われていた。アメリカのグラマンF6Fヘルキャットは、防御力もエンジン出力も零戦を大きく上回っていたのだ。


杉浦の機体は、いわゆる「三二型」。武装は二十ミリ機関砲二門と七点七ミリ機銃二挺。決して非力ではないが——すでに時代は変わっていた。


戦闘は一方的なものだった。


味方機が次々と撃ち落とされていく。無線からは絶叫と断末魔が響く。杉浦は必死に機首を振り、背後を取られまいと繊細な操縦を繰り返したが、三機のヘルキャットに捉えられた。


曳光弾が、左右から襲いかかる。


機体に衝撃。けたたましい警報音。火災警報灯が赤く瞬く。杉浦は咄嗟に機体を急降下させた。エンジンが悲鳴を上げる。火が——尾翼から吹き出した。


黒煙を引きながら、零戦は高度を失っていく。


杉浦は高高度からの脱出を試みた。酸素マスクの下で、唇を噛み締める。落下傘はある。飛び降りるなら今だ。しかし——


眼下に広がるのは、点々と家並みの見える集落だった。


「……海尾」


地図で見たことがある。台南の郊外にある、小さな漁村と農地が混ざったような集落だ。水田が広がる。人々が住んでいる。家族がいる。子供がいる。台所の煙が立ち上る。朝の支度の真っ最中だろう。


杉浦は操縦桿を握り直した。


考えた。一秒か、二秒か、あるいはもっと短い間だったかもしれない。


炎の中、彼は機体を逸らした。


集落を避けるように——左に、左に。機体は言うことを聞かない。むしろ降下のスピードが増すばかりだ。それでも彼は無理やり機首を旋回させ続けた。左翼の端で民家の屋根を掠めるほどに、ぎりぎりのコース取り。


集落の人々は空を見上げていた。


黒煙を引き、尾翼から炎を吹く零戦が、真っ逆さまに落ちてくると思った。絶叫。逃げ惑う人影。


しかし、その機体は——


途中で軌道を変えたのだ。


まるで生きているように、あるいは誰かが操っているように——いや、誰かが操っていたのだ。焼けただれるような熱の中で、誰かが、まだ操縦桿を離さずにいた。


「あっ」


一瞬、集落の誰かが声を漏らした。


零戦は集落の中心をわずかに外れ、郊外の芋畑に激しく地面を打った。炸裂。炎の柱が上がる。


爆発が起こる前に、一つの影がコックピットから投げ出された。


落下傘。


開いた。白い花のように、それは広がった。


「あのパイロットは——助かったのか?」


誰かが呟いた。


その時だった。


頭上をグラマンが一機、通り過ぎた。いや——通り過ぎる気配を見せて、旋回していた。黒い機体がUターンし、ゆっくりと、まるで獲物を狙うように、落下傘に向かって機首を下げた。


機銃が唸った。


二十ミリ弾が白い傘の布地を引き裂いた。影が——小さな影が、宙で数度もんどり打って、落下した。


地上に響く、重い音。


しばらくして、村人が駆け寄った。倒れている青年の軍服——帽子はなく、白いパイロットスーツには無数の穴が開いていた。


誰かが軍靴を脱がせた。


靴の中の白布に、墨で書かれていた——


「杉浦」


それだけだった。


その日、海尾の集落は焼けずに済んだ。零戦の燃え殻は畑の隅にあった。民家には一軒も被害はなかった。どの家も、ガラス一枚割れていなかったのだ。


村人たちは知っていた。


あの若い日本の軍人は——


最後の瞬間に、自らの命よりも先に、村を選んだのだ。


これが、杉浦茂峰兵曹長——後日、少尉に特進——というたった二十歳の青年の、最期の物語である。


けれども。


この物語は、終わらない。


終わらせてはいけないのだ。



その夜のことである。


海尾の集落に住む、ある老婦人が夢を見た。


白い帽子をかぶった、若い軍人の姿だった。背筋の伸びた、目鼻立ちのくっきりとした、それでいてどこか優しい眼差しの青年だ。彼は彼女の枕元に立ち、微笑みながらこう言ったという。


「私は、あなたたちを守りたくて、あそこに落ちたのです」


老婦人は目を覚ました。全身に鳥肌が立っていた。


それがあまりにはっきりとした姿だったので、夫に話した。すると夫も「私も同じ夢を見た」と答えた。


噂はすぐに集落中に広まった。


白い帽子の軍人が、夢に現れる——そういう「見た」という者が、次々と現れたのだ。奇妙なことに、その姿は誰が見ても同じだった。つまり、若くて、澄んだ目をしていて、慇懃に礼儀正しい、日本の海軍士官。


杉浦茂峰という名前は、すでに台湾の人々の記憶に刻まれていた。軍靴の名前が誰のものかを伝えていたからだ。


「あの青年は、自分が死ぬのがわかっていて、村を避けた」


「俺たちを助けるために、畑に落ちたんだ」


「あの人がいなければ、今頃この家はなかった」


口々に語られ、夜毎に繰り返される夢の話はやがて「奇跡」と呼ばれるようになった。


「あの人は、もうここに住んでいるんだよ」


誰かがそう言った。


誰も否定しなかった。


戦争は終わった。日本は負けた。多くの台湾人の間には、複雑な思いがあった。日本に敵意を持つ者もいれば、感謝する者もいた。しかし、海尾の集落だけは違った。


彼らは考えることをやめなかった。


「あの青年は——ただの敵兵じゃなかった」


そして、時は流れる。


一九四五年、一九五五年、一九六五年——。


杉浦が死んでから四半世紀が経とうとする、ある年のことだった。


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