第98話 戦場で深まる、それぞれの距離
ストレイの言葉が広場に落ちた瞬間、空気がぴんと張り詰めた。
「……まだ……救える……」
その静かな宣言のあと、ストレイは眼鏡の位置を正し、巫女様……雪だった者の魔力の流れを再度読み取る。
彼は皆へ向き直り、眼鏡の奥の瞳に静かな決意を宿した。
「……その前に、巫女様の暴走を少し抑えておく」
それと同時に彼の足元に淡い光の魔法陣が展開する。重々しさではなく、どこか儀式めいた荘厳さをまとった光。
「《神聖拘束魔法 (ルーン・バインド・オブ・アーク)》」
詠唱とともに、光の鎖が天へと伸び、雪だった者の周囲にふわりと降り注ぐ。
鎖は暴走する魔力を締めつけるのではなく、優しく包み込むように絡みつき、動きを緩やかにした。
雪だった者の魔力が荒れ狂う音が、ほんの少しだけ静まる。
ストレイは軽く息を吐いた。
「よし。これで……この拘束は一時間は持つ。それまでに巫女様を元に戻す」
ストレイは淡々と説明するが、その表情はどこか余裕があった。
「なので、急ぎつつも落ち着いていこう。急いで失敗してはなんにもならないし、失敗は許されない」
そして、ストレイは本題へ戻った。
「巫女様を元に戻すには……フェルマのエリクサーがあればどうにかなるかも知れない。あれは生命の根源へ直接触れる唯一の薬……巫女様の内側に残る聖なる輝きを呼び戻せるのは、あれしかない」
その名が出た瞬間でも、夜々の腕の中で失神しているフェルマは、ぴくりとも動くことなく抱えられたままだった。
カゲトラは、刀の柄に手を添えたまま、武士らしい静かな気迫をこめて言う。
「……見事な見立てでござる、ストレイ殿。拙者、武の道に生きる身なれど……魔力の理にも通じておる。巫女様の内側の二重の気配……その説明で腑におち申した」
その声音は、武士の礼節と魔術師の洞察を併せ持つ、重みのあるものだった。
続いて、バルドが数珠を握りしめたまま、僧侶らしい低く重厚な声で頷く。
「……うむ……ストレイ殿の判断、まこと尊きもの……巫女様の魂の揺らぎを見抜くとは……まさしく無冠の灯の司令塔よ。その洞察、戦況をくつがえす」
その言葉は、拳闘士のような肉体を持ちながらも、僧侶としての威厳をふくんだ響きがあった。
そして、なぜか……リュカが胸を張り、どや顔で言い放つ。
「そりゃそうよ! ストレイをなんだと思ってんのさ! 無冠の灯の頭脳よ!? 当然しょ!」
クラウがすかさずツッコむ。
「なんでお前が偉そうなんだ。それにお前が言うと軽く聞こえるんだが……」
「えぇ〜!? なんでよクラウ!?」
リュカが抗議し、クラウはいつものやり取りに呆れ、冴月が彼らの掛け合いにくすりと笑い、紫乃は優雅に微笑み、斗花が目を輝かせて、夜々が「ふふっ」と笑う。
その光景を見て、クラウはふっと息を吐いた。
「……やっぱり無冠の灯は、全員揃ってこそだな」
その言葉に、緊張に満ちていた広場に、ほんの一瞬だけ柔らかな笑いが広がった。
そして夜々は困ったように眉を寄せる。
「……この状態で、その……どうやって起こしましょうか……」
夜々の腕の中で、まだ失神したままのフェルマのその表情は……どう見ても幸せそうだった。
彼女の胸元に顔を埋め、まるで夢の中で極楽にでも辿り着いたかのような安らぎを見せている。
その姿に改めてまじまじと目を向けた瞬間、リュカ、カゲトラ、バルドの三人は同時に固まった。
「……あれ……あれ……いいのか?……いいのかっ……!?」
リュカが慌てた声で叫ぶ。
夜々のくの一衣装は、フェルマを抱えることで少し乱れ、肌の露出が多いその立ち姿はいつも以上に妖艶で、確かな色気を放っていた。
思わず凝視してしまったリュカは顔を真っ赤にし、思わず後ずさる。
「ちょ、ちょっと待って……あれは……あれは、フ、フェルマには刺激が……いや、俺にもだけど! 強すぎるって!」
カゲトラも刀を抱えるようにして視線を逸らした。
「ぬぅ……! あの御方……その装束……拙者、武士なれど……あのような艶姿……直視すれば心が乱れるでござる」
バルドは数珠を握りしめ、僧侶らしい重厚な声で震えながら言った。
「……その……僧侶として……いや、男として……視線を向けるのが……試されている」
夜々は、リュカ・カゲトラ・バルドの三人が、同時に真っ赤になって視線を逸らすのを見て、小さく瞬きをした。
寡黙なくノ一である彼女は、普段から必要以上に言葉を発しない。しかし、ふと、自分の装束に視線を落とした。
フェルマを抱えることで必要以上に乱れてしまっている黒装束。肩口がわずかにずれ、腰のあたりの布が緩み、くノ一特有のしなやかな曲線がいつも以上に露わになっている。
そのことに気づいた瞬間……夜々の白い頬が、ふっと赤く染まった。ほんのわずか。けれど、普段の彼女を知る者なら、それがどれほど珍しいかが分かるほどの赤み。
その姿を見た男達は……全員、絶句した。
「~~~~っっ!!?」
リュカは両手で顔を覆い、耳まで真っ赤にして後退る。
「そ、その……! 拙者、直視できぬ……」
カゲトラは刀を抱えるようにして視線を地面へ落とす。
「……その……僧侶として……いや、男として……これは……耐え難い」
バルドは数珠を握りしめ、祈るように天を仰いだ。そして、普段は冷静沈着なクラウでさえ、夜々の頬の赤みに気づいた瞬間、耳まで真っ赤になった。
「よ、夜々殿……そ、その……装束が……乱れて……い、いや、違う……その……とにかく……」
真面目すぎる純情な騎士は、言葉を失ってしどろもどろになる。
夜々はそんな反応を見て、さらに頬を赤くし、視線をそっと逸らしたが、その仕草がまた男達の心臓を撃ち抜いた。
一方でストレイは……夜々の姿を見ても赤面すらしない。しかし、それは鈍いからでも、すでにうたたに骨抜きにされているからでもない。
彼は女性耐性ゼロの純朴男子ゆえに、黒の回廊で初めて、その妖艶なくノ一衣装姿を見た瞬間、冥界ドラゴンやオーガキングに出合い頭に遭遇したほどの脅威を感じた。
(……これは……絶対に直視してはいけないやつ……)
そして、自分にだけ……認識阻害の魔法を夜々の姿が、のっぺりとしたゴーレムに見えるように、こっそりと唱えた。
そのおかげで、今もストレイは平然としていられた。
「夜々さま、その……フェルマの脈は安定していますか? 魔力の流れは……あ、かなり乱れていますね」
完全に色気という概念が遮断されている。
クラウはその横顔を見て、深くため息をついた。
(……本当に純粋なやつだ……いや、純粋すぎて危険を察知して自衛してるのか……?)
もし認識阻害を解いたなら……ストレイが真っ先に失神していたのは間違いない。
すっ……。音もたてずに、そんなストレイの前にうたたが、無言で立ちはだかった。
夜々の姿が完全に視界から消える位置。その動きは静かで、しかし圧があった。
可憐な動作でくるりと振り向き、計算された可愛さでストレイを見上げる。
「ダーリン……あっち見なくていいよ。ねぇ……見なくても……いいよね……?」
その声は甘く、けれど奥に鋭い棘を潜ませていた。
瞳は、「ストレイは私だけのもの」 と静かに、しかし強烈に主張している。
ストレイはぽかんとした。
「えっ……? う、うたたさま……? 私はただフェルマの状態を……」
「うん、知ってるよ。ダーリンは優しいから……でもね……」
うたたはストレイの腕にそっと触れた。
その指先は震えるほど繊細で、けれど絶対に離さないという強い意志を秘めている。
そして……甘く微笑む。
「ストレイが見ていいのは……あたしだけでいいの。 ね……ダーリン?」
その瞬間、ストレイの胸がどくんと跳ねた。
(……うたたさま……なんで……こんなに……可憐で可愛い……)
認識阻害で夜々がゴーレムに見えている今、ストレイの視界に映るのは、最優先でうたただけ……彼女がそうなるように誘導していた。
そのため、ストレイのうたたを想う気持ちは加速する一方だった。
「う、うたたさま……あ、あの……その……わ、私は……」
そこに真っ赤になって固まるストレイと、その様子に満足気なうたたという構図が出来上がっていた。
クラウはその様子を見て、静かに目を逸らした。
(……これは……俺が口を出すべきではないし……できるわけがない……ストレイならできる……がんばれ)
真面目すぎる騎士は、根拠がないまま心の中でそっと親友を応援していた。
一方リュカは、状況が理解できないまでも、陽気な吟遊斥候らしい笑みを浮かべる。
「……ストレイ、もう完全にロックオンされてるねぇ……あれは逃げられないやつだよ……うん……」
しかしその声には、仲間をからかうだけじゃない、ちゃんと見守る優しさがあった。
そして、カゲトラとバルドも、夜々を見られずに赤面しながら、同時に激しくうなずくのであった。




