第96話 祈りは、まだ消えていない
光柱が消え、転移の余韻が広場にまだ残っている、その直後……雪だった者が、世界の終焉を告げるような雄叫びを上げた。
「ガアアアアガアッッ!!!!!」
その声は、空気を裂き、地面を震わせ、広場にいた全員の心臓を、一瞬で掴み潰すほどの圧を持っていた。
クラウとストレイは、転移直後で状況が飲み込めないまま、反射的に身構える。
「な、なんだ……あれは……」
「魔力反応……異常すぎる……」
雪だった者から吹き荒れる魔力は、暴風のようにその場を制圧していた。
その時、クラウの身体が、半ば自動的に動いた。
《誓剣の誇 (オース・ブレイヴ)》
胸の奥で、静かに、しかし確かな誓いが燃え上がる。守らねば、冴月様を……そして、この場にいる尊き御方たちを……その想いが、彼の剣に力を宿す。
クラウの足元に淡い光が走り、筋肉が軋み、魔力が脈打ち、身体能力と防御力が劇的に跳ね上がる。
まるで伝説の円環の聖騎士と呼ばれる戦士に匹敵するほどのオーラが、クラウの周囲に立ち昇っていく。
「クラウ殿……!? その力は……」
隣に立つ冴月が、突然の凄まじい圧の気配に思わず声をあげる。
ストレイもまた、神聖魔法の詠唱に入ろうとしていた。彼の周囲に淡い光の紋が浮かび上がる。
まさに、雪だった者に膨大な彼らの力が降り掛かろうとしていた。
「やめろッ!!」
リュカの絶叫が響き渡った。
「……その御方は……この国の巫女様だ!!」
カゲトラとバルドも同時に叫ぶ。
「攻撃してはならぬ!!」
「巫女様に刃を向けるなど……断じて許されぬぞ!!」
その言葉に、クラウの瞳が大きく揺れた。誓剣の光が、急激に弱まる。
「……巫女……様……だと?」
ストレイも詠唱を止め、光紋を消す。
あわや衝突という瞬間……二人の力は、寸前でかき消えた。
雪だった者は、叫びに呼応したかのように、ゆっくりと、禍々しい気配を漂わせ始める。
クラウとストレイの力が寸前で止まり、広場に張りつめていた空気が、ほんの一瞬だけ揺らいだ。
中心に立つ……雪だった者。その瞳は依然として、深淵を秘めた空洞だった。光も、感情も、何ひとつ映していない。
しかし……そこに、いま迄にはなかった変化が現れていた。その空洞の奥から、温かい波動がふわりと漏れ出している。
暴風のように荒れ狂っていた魔力とはまるで違う、柔らかく、静かで、触れれば溶けてしまいそうなほど優しい気配。
「……これは……癒し……の力?」
バルドが思わず呟く。彼のような僧侶でさえ、その波動の正体を即座に掴めないほど純粋な力だった。
雪だった者の身体から、淡い白い光がゆっくりと広がっていく。
それは……白印の癒し。
雪が、その者の内なる精神の狭間で、メアを守るために必死に発動させた彼が本来持つ力。
その残り香ともいえる癒しの波動が、いま彼の瞳があったところから、まるで守らねばならない存在を探すように漏れ続けていた。
「……あれが……巫女様の……本来のお力であるのか?」
バルドが息を呑む。癒しの波動は、広場の空気をそっと撫でるように広がり、荒れ狂っていた魔力の暴風を静かに押し返していく。
クラウは剣を握りしめたまま、その光を見つめていた。
「……これは……誰かを……守ろうとしている……?」
ストレイもまた、詠唱を止めた手を胸元に当て、震える声で呟く。
「こんな……純粋な癒しの魔力……初めて感じる……」
雪だった者は、空洞の瞳のまま、ただ静かに光を放ち続けていた。
その姿は、恐ろしくもあり、どこか哀しく、そして……ここにいる誰もが、必死に守ろうとした者の残滓そのものだった。
雪だった者の身体から漏れ出ていた白い癒しの光は、ほんのわずかな時間、広場の空気を温めていた。
しかし……その光は、まるで、守りたいという想いが尽きかけているかのように、すぐに薄れ始めた。
癒しが消えるにつれ、雪だった者の魔力は再び膨れ上がり、その圧は凶悪さに塗り潰されていく。
空気が震え、地面が軋み、広場全体が再び暴風の中心へと変わっていく。
「……まずい……」
最初に異変を察知したのは、ここにいる中では、ずば抜けた魔術の力を誇るストレイだった。
彼の瞳が鋭く細まり、メガネの奥で魔力の光が瞬く。
「魔力の質が……変わっていく……これは……暴走……?」
ストレイは震える手をどうにか、落ち着かせて空間魔法の詠唱に入ろうとする。しかし、彼は深く息を吸い、胸に手を当て、まるで祈るように頭を下げた。
「……巫女様。大変失礼いたします……」
その声は、戦場のただ中とは思えないほど真摯で、まるで神殿での儀式のように静かだった。
「その身に、我が空間魔法を掛けさせていただきます。どうか……お許しを」
ストレイは巫女様……彼らと同じ男性であることに少なからずの疑問を感じてはいたが、大切な仲間であるリュカたちが、このタイミングで嘘を言うわけがなく、それはこの国では、当たり前の事実なのだろう。
そう考えるとこれだけの尊き御方が集結していることにも納得がいく。しかし、いまはそんな事を推察しているよりも、この事態を解決することが先決だ。
彼は、尊き御方と呼ばれる女性、そのなかでも、女王陛下とならび称される巫女様に対して絶対的な信仰を持つ青年であった。そのため、雪だった者へ向けて、丁寧すぎるほどの謝罪を行う。
たとえ相手が、男性であり、どうしてそうなったか解らない暴走状態であったとしても、無断で魔法を向けることは、彼にとっては冒涜行為以外の何ものでもなかった。
だからこそ、その謝罪の言葉は彼にとっては絶対に必要なことだった。
「《空間定位 (スペース・サーチ)》」
ストレイの足元に淡い魔法陣が広がり、空間の層が静かに震え始める。
彼は雪だった者の位置と魔力の流れを探るため、空間そのものへ意識を伸ばしていく。
その表情は真剣そのもの。巫女様を傷つけず、しかし暴走を止めるための最善を探る……そんな想いがにじんでいた。
雪だった者の魔力は、癒しが消えたことで再び荒れ狂い、空洞の瞳がゆっくりとストレイたちへ向けられる。
しかしその奥で、何かが……祈りの気配にも似たものが揺れていた。
ストレイの足元に広がった魔法陣が、淡い光を帯びながら空間を震わせる。
「……《空間定位》……発動」
彼の声は震えていたが、その瞳は巫女様……雪だった者を真っ直ぐに見据えていた。
空間の層がめくれ、雪だった者の魔力の流れが、ストレイの意識へと流れ込んでくる。
そして、ストレイの表情が、ゆっくりと、しかし確実に青ざめていった。
「……これは……っ」
クラウが息を呑む。
「ストレイ、何が見えた……?」
ストレイは唇を震わせながら、しかし切羽詰まった声で告げた。
「……巫女様は……この世の悪意を集めたなにかに取りつかれている……」
その言葉に、広場の空気が凍りつく。
ストレイは続けた。まるで巫女様の名誉を守るように、慎重に、丁寧に。
「だけど……その内側には……まだ……まだ、確かに……」
彼の声が震え、胸に手を当てる。
「聖なる輝きが残っている……完全に堕ちたわけではない……」
その言葉に、クラウも、冴月も、紫乃も、斗花も、夜々も、そして広場にいる全員が息を呑んだ。
雪だった者の身体から溢れる魔力は、先ほどよりもさらに凶悪さを増している。
癒しの光が消えかけていることで、悪意の部分だけが膨れ上がっているのだ。
しかし……その奥底で、かすかに、かすかに、まるで、助けを求める祈りのように白い光が瞬いていた。
「……巫女様は……戦っておられるのです……内側で……必死に……」
ストレイの声は震えていたが、その瞳は揺らがなかった。
彼は巫女様という在り方を、どれほど姿が変わろうとも、どれほど魔力が荒れ狂おうとも信じていた。
「……まだ……救える……」
その言葉は、広場にいる全員の胸に、小さな希望の灯をともした。




