第95話 世界が息を止めた、その先で
そしてフェルマを除く七人はようやく周囲を見渡し、次の瞬間……全員の動きが止まった。
広場中の視線が、困惑と衝撃を隠しきれないまま、転移してきた四組へ向けられていた。
倒れ伏していたルーセントとレインは、辛うじて上体を起こした姿勢のまま、まるで時間が止まったかのように口を開け固まっている。
四戒仙は揃って目を見開き、普段は達観した表情を崩さない彼女たちでさえ、「理解が追いついていない」という顔を隠せていない。
六十名の兵士たちは、うずくまったまま、声を上げるでもなく、ただその場で石像のよう固まっていた。
固唾を飲んで見守る、その沈黙の奥には、このリバースアース特有のある感情が確かに渦巻いていた。それは、まずこの世界では見ることのない逞しく、立派な男が二人。そしてもう一人は、意識がないのか、それは大事そうに抱えられている。
そんな、男達が急にこの場に現れたのだ。それでなくても、リュカやカゲトラ、バルドといった鏡宮が理想とする漢が、三人も突然現れた直後のことだった。
立て続けの出来事に、広場の空気は凍りつき、誰もが言葉を失っていた。そこには、驚愕、混乱、理解不能な感情が渦を巻いていた。
そして、「こんなあり得ない光景が、生きているうちに見られるとは思わなかった」という、呆然とした感情。
誰も声を出せず、動けず、二人の男と、夜々の腕に抱かれているフェルマを見つめることしかできなかった。
そして、インクラインの四人も完全に口を開けたまま動けなくなっていた。
空は、瞬きを忘れたように目を見開き、風花は手を口元に当てたまま固まっている。
萌黄は肩を震わせ、花恋は今にも声を漏らしそうなほど表情を揺らしていた。
目の前の光景が、あまりにも現実離れし過ぎていて四人が四人とも、言葉を失っていた。
お姫様抱っこを解いたばかりの四組……そのなかでクラウ、ストレイ、夜々の腕に抱かれているフェルマ。この世界ではほとんど伝説級の存在である逞しい過去の世界にいた男性。
インクライン四人の視線は自然とそこへ吸い寄せられ、胸の奥で静かに波紋が広がっていく。
驚き。戸惑い。理解が追いつかない感覚。けれど、誰ひとり声を上げることなく、ただ息を呑んだまま……その場に立ち尽くしていた。
クラウ、ストレイ、冴月、紫乃、斗花、夜々は、思わず背筋を伸ばし、顔を引きつらせる……ただ、ひとりを除いて。
うたた。彼女だけは、広場の向こうにインクラインの姿を見た瞬間、表情がふっと変わった。
特に、自分と同じ歳で、可愛らしさでは負けていない花恋と萌黄の魔法学校の同期生の姿を見た瞬間……動いた。
ぱしっ。
うたたは、ストレイの腕をぎゅっと掴みそのみ身を寄せる。
その動きは、まるでエサを取られまいとする小動物のようで、けれど瞳の奥には、甘くて鋭い光ががきらりと輝いていた。
「……ダーリン……ねぇ……あの子たち、可愛いわよね……?」
囁く声は甘いのに、どこか刺さるような温度を含んでいる。
ストレイは一瞬で顔を真っ赤にし、掴まれた腕をどうしていいかわからずそのまま固まった。
「えっ、あ、あの……っ!? う、うたたさま……っ?」
うたたはさらに身を寄せ、ストレイの腕に自分の指を絡める。
「ねぇ……離れないでね。だって……こんなに……ダーリン一途なあたしを……まさか、捨てないよね」
その声音は甘く、けれど確かな重みが混じっていた。
花恋と萌黄は、その様子を見て思わず息を呑む。
うたたはちらりと二人を見て、にこりと微笑んだ。けれどその笑みは、「この人は絶対になにがあっても渡さないわよ」 と静かに告げる、地雷系女子特有の甘いのに重い圧を含んでいた。
その一方で、うたた以外の六人は同時に悟る。
これは、確実に誤解されている。いや、誤解どころではない。説明不能の地獄が今まさに始まる。
大前提として、そもそも、ここはどこで、この人たちは誰なのか。
そんな予感を裏付けるように、広場全体が、言葉を失った静寂に包まれていた。
広場を包んでいた重たい沈黙を、最初に破った者がいる。
「クラウ! ストレイ! 無事だったかぁぁ!!」
リュカの、明るく弾ける吟遊詩人特有のよく通る声だった。
彼は満面の笑みで手を振りながら七人に駆けよる。その声は、さっきまでの戦闘の余韻を吹き飛ばすほど軽やかで、まるで再会を祝う旅芸人のようだった。
「いやぁ~よかったよかった! 再会は難しいかと思って……」
しかし……言葉が途中で途切れ、リュカの足も、ぴたりと止まる。
クラウの隣に立つ冴月。その佇まいは、まるで空気そのものを澄ませているようだった。背筋はまっすぐ、視線は静かに研ぎ澄まされ、至高の御方もかくやという気品と、凛とした美しさが周囲の空気をひとつ上の世界へ引き上げていた。
その横では、ストレイの腕に絡みつくように身を寄せるうたた、冴月とは対照的な甘さで、まるで場の色彩を変えてしまう。伝説のおとぎ話に語られる、ファンシーなお城から抜け出したお姫様……そんな柔らかい光をまといながら、ストレイの腕にそっと指を絡める仕草は、見る者の胸をくすぐるほど可憐だった。
斗花の隣に立つ紫乃は、まるで絵画の中から抜け出したような完璧さだった。高貴な家柄を思わせる気品と、揺るぎない自信がその立ち姿だけで伝わってくる。風が吹けば、その一瞬すら美として成立してしまうほど彼女の髪も衣装も優雅に揺れている。
そして斗花自身も、ただ立っているだけで周囲の温度が変わるような存在感を放っていた。炎の神聖騎士を思わせる威圧感と、内に秘めた熱。紫乃の気高さと並ぶと、まるで炎と宝石が並び立つような迫力があった。
こうして並んだ四人は、どこを切り取ってもただの尊き御方では済まされない気品、甘さ、威厳、熱……それぞれが違う色を放ちながら、広場の空気を圧倒するほどの存在感を放っていた。
リュカの笑顔が、みるみる引きつっていく。
「……あ、あれ……? なんか……すごい……人たち……と一緒……なのか……?」
声が裏返り、目が泳ぎ、肩が震え始める。
さっきまでの陽気さはどこへやら、リュカは完全に腰が引けていた。
リュカが固まったまま視線をさまよわせていると、ふと、夜々の方へ目が吸い寄せられた。
まばゆいばかりの銀。
夜々の揺れる髪が、光を受けて淡く輝く。
その髪の色は、フェルマの国では特別な存在だけに許された証。
先ほどまで戦っていた、雪だったものも白銀の輝きをみせているが、そこに佇む女性も負けず劣らずの光を放っている。
王家か、神殿か、あるいは選ばれし巫女様の血筋か。いずれにせよ、誰もが頭を垂れるべき尊き色。
リュカは思わず息を呑んだ。
「えっ……銀髪の御方が……もう御一人も? ってことは……この方……とんでもなく尊い……至高の御方?」
しかし、次の瞬間。
「…………んぐ」
フェルマが、完全に白目を剥いたまま、夜々の胸元に顔を埋める。お姫様抱っこ継続のまま。
リュカの顔が、さらに引きつる。
「ちょ、ちょっと待って!? そんな尊い人に……抱えて……って!? フェルマ!? しかも白目で……!? えっ……えっ……?」
夜々はそんな混乱をよそに、静かに皆へ向き直った。
「フェルマ様は、まだ意識が戻っていません。このまま抱えていた方が……私も動きやすいので」
淡々とした声。けれどその腕は、宝物を守るように優しい。
フェルマは当然返事などできず、胸元に顔を埋めたまま、かすかに喉を鳴らすだけだった。
「……ひゅ……ぅ……」
その情けない音に、リュカはついに膝を震わせた。
「……尊いのか……やばいのか……どっちなんだ……これ……」
広場の空気が、またひとつ凍りつく。
リュカの混乱がまだ空気に残る中、カゲトラとバルドが、ようやく状況を飲み込みながら前へ出た。
「クラウ殿、ストレイ殿……無事で何よりでござる」
「これも、女神さまのお導き……無事でなにより」
二人は安堵の笑みを浮かべ、クラウたちに声をかけようと一歩踏み出す。
その瞬間だった。
七人に近い広場の中心で、ずっと沈黙していた雪だったものが、ぴくり、と肩を震わせた。
誰もが気づく。空気が、変わった、と
次の瞬間。
「オおぉぉォおオオオッッ!!!!!」
雄叫びが、聖域広場を揺らした。
地面が震え、空気が震え、広場にいた全員の心臓がつかの間止まる。
クラウも、ストレイも、斗花も、夜々も。冴月も、うたたも、紫乃も、フェルマ(白目)も。
そして、元から広場にいた面々も、転移してきた面々も全員が、完全に凍りついた。
カゲトラは刀の柄に手をかけ、バルドは思わず数珠を構える。
インクラインの四人は、声にならない悲鳴を漏らし、身を起こしていた兵士たちが一斉に崩れおちる。
リュカはというと
「しまった……!? 大人しくなったから油断した……急に、なにが起きた!?」
雄叫びを上げた雪だった者は、荒い息を吐きながら、ゆっくりと顔を上げる。
その瞳は、深淵を宿したままだったが、そこから怒りとも、驚愕とも、絶望ともつかない感情の波が、渦となって漏れでていた。
広場の空気が、再び張りつめていく。




