第91話 抱えたまま、運命へ
ストレイの胸にぎゅっとしがみついたまま、うたたは震える声で呟いた。
「ストレイ……っ、こわ……い……っ」
その言葉とは裏腹に、腕の回し方はあざといほど自然で、ただ掴むだけではない。胸元に頬を寄せ、指先はそっと服をつまみ、さらに身体を預けるように密着してくる。
それは、あざとさの暴力だった。
「っ……!」
しかしストレイは、そんな計算された可愛いさに気づくはずもなく……ただ、表情を一瞬で固まらせていた。
冷静沈着な彼の頬が、みるみるうちに赤く染まっていく。
「う、うたた、さ……さま……っ ま、待て……いま……転送妨害魔法を展開しないと……」
震える声で必死に言葉を絞り出し、手を動かそうとする。
「や……だめ……離れたくない……」
うたたはさらに腕を伸ばし、今度はストレイの首にそっと手を回してしがみついた。
「っっ…………!!」
ストレイは、耳まで真っ赤になり、即座に転移阻害魔法の術式を展開しようとしていたのに、呼吸が乱れ、喉が詰まり、視線は泳ぎ、心臓は暴れ馬のように跳ねまわる。
(ち、近い……っ……うたた様……そんな……そんな抱きつき方……っ む、無理……集中……でき……っ)
魔力の制御どころではなかった。
純情なストレイは、うたたのあざと可愛い一挙一動に完全に飲み込まれ、阻害魔法どころか、思考すらまともに働かなくなっていた。
一方のうたたの胸の奥では、まったく別の思考が吹き荒れている。
(……この状態で、どこか知らない場所に転送されたとしても……)
うたたはストレイの胸に顔を埋めながら、その温度と鼓動を確かめるように袖を握る指先をぎゅっと強めた。
(この状態なら……絶対一緒に転送される……)
甘くて重い思考が渦を巻く。
(たとえ……人里離れた無人島でも……知らないダンジョンの中だろうと……あたしとダーリンの魔法があれば……どうにでもなるし……)
ストレイの首に手をまわし頬をすり寄せる仕草は、守ってほしいというより……絶対に離す気がないという意思表示そのものだった。
(……こんなにも素敵なダーリンなんだもん……世界中の女が次から次へと狙ってくる……)
その瞬間、うたたの瞳に、静かで強い光が宿る。
(なら……いっそ……二人きりで……)
その思考は、甘くって重い地雷系女子特有の独占欲に満ちていた。
ストレイはそんな内心を知る由もなく、ただ魔法陣を展開しようとしては、うたたの身体の柔らかさに負けて震え続けていた。
その様子を横目で見ていた紫乃が、ふいに斗花の袖をつまんだ。
「斗花……っ、こわ……い……っ」
かすかに震える声。次の瞬間、紫乃は身を寄せるように、斗花の胸へとしがみつく。
「お、おいっ!?」
不意打ちの近さに、斗花の身体がびくりと跳ねた。
腕の中の紫乃は、いつもの賢者の顔などどこにもなく……ただ、この時ばかりは少女のように、ぎゅっと彼女にしがみついている。
「……斗花、固いですわよ?」
かすかに頬を寄せながら、囁くような声。
「うるせえ! 鍛えてんだよ! ……って、もう降ろすぞ!」
慌てて距離を取ろうとする斗花。
「や……だめ……離れたくない……」
小さく、甘く。逃がさないように、しがみつく力がほんの少しだけ強くなる。
「うぜぇ!! なんなんだよお前は!!」
顔を真っ赤にして叫びながらも、斗花の腕は決して緩まない。むしろ、その温もりを確かめるように無意識に支えを強めている。
ふとっ、紫乃は表情を戻し、静かな声で告げた。
「……この状況では、このまま抱えられていた方が安全ですわ。ドローン、回収しておきます」
「急に素に戻るな!! お前……ほんとに賢者なのかよ……」
呆れたように言いながらも、斗花の声はどこか柔らかい。
紫乃はわずかに肩をすくめ、そして……ほんの少しだけ視線を揺らした。
「それと斗花……少し、耳に入れておくことがあるの」
「……あ?」
「もう少しだけ、近くに。……そのままでは、届きませんわ」
一瞬の間……斗花は小さく舌打ちすると、視線を逸らしたまま。
「……チッ……わかったよ。落とさねぇから、ちゃんと掴まってろ」
そう言って、紫乃の体をそっと抱え直す。顔が、耳元へと近づく。それは、触れそうで触れない、吐息の距離。
そのわずかな隙間に……言葉にできない熱が、静かににじんでいた。
「私の賢者脳が告げてますわ。この転送、おそらく鏡宮の秘匿転移装置の仕業……まさか完成してるなんて」
耳元で囁くような紫乃の声。吐息がかすかに触れるたび、斗花の意識が妙に引き寄せられる。
「そして、かなりの高確率で転送先は、謎に包まれた世界樹と名高いユグドラシルとみますわ」
落ち着いた声音とは裏腹に、紫乃の指先はほんの少しだけ、斗花の服を掴む力を強めていた。
「このまま、あの方々と一緒に転送された方が鏡宮のミラーパレスの謎を暴くまさに好機」
理路整然とした分析。けれど、その身体は離れる気配もなく、むしろわずかに寄り添うように預けられている。
「英雄であるあの方々を奪いに来るのは必然、あのカリギュラももしかしたら……まさかね?」
そこで、斗花が小さく息を吐いた。腕の中の軽さと温もりを、確かめるように抱き直す。
「……だったら、なおさらだろ」
低く、ぶっきらぼうな声。けれどその響きには、揺るがない強さがあった。
「お前がそう言うなら行く。全部まとめてぶっ飛ばして、謎も危険も……オレがどうにかしてやる」
紫乃を支える腕に、ほんの少し力がこもる。
「だから余計なこと考えんな……ちゃんと掴まってろ」
ぶっきらぼうで、不器用で。それでも、真っ直ぐな言葉。
紫乃はそのまま、わずかに目を細めた。体を預ける重みが、ほんの少しだけ増す。
「……ええ。頼りにしておりますわ、斗花」
静かな信頼を含んだ声。
「うるせぇ!!」
即座に返る照れ隠し。けれど……その腕は、先ほどよりも確かに優しく、そしてしっかりと紫乃を抱きとめていた。
その横では夜々が、白目を剥いたまま気絶しているフェルマを抱きしめたまま、ひたすら硬直していた。
しかし、床の揺れが強まるにつれ、夜々はハッと我に返る。
「……落とすわけには……いきません……」
そう呟くと、フェルマを胸の奥へと そっと深く抱え直した。
その腕は驚くほど優しく、まるで壊れ物を扱うように丁寧で、フェルマの身体をしっかりと守るように包み込む。
その温もりに反応したのか……フェルマのまつげが、かすかに震えた。
「……ん……ぅ……?」
揺れと転送の気配に、フェルマがゆっくりと目を開ける。
そして、視界いっぱいに飛び込んできたのは、夜々が心配そうに覗き込む、距離ゼロの優しい瞳。
さらに、頬に触れるのは、夜々の胸元の柔らかな感触。
「…………っっっ!!」
フェルマの顔が一瞬で真っ赤になり
「きゅぅぅぅ……っ」
ふたたび白目を剥いた。
「……あ……」
夜々は、ほんの少しだけ残念そうに目を伏せる。
けれどすぐに、落とさないようにと、フェルマをもう一度、丁寧に抱え直した。
その仕草は、まるで大切な宝物を守るようで……どこか、胸が温かくなるほど優しかった。
「……大丈夫です……フェルマ様。何が起ころうと……私が、守りますから」
夜々の静かな声が、白目のままのフェルマの耳に、そっと届いていた。
十八階ボス部屋は、もはや戦場ではなく、抱っこされた者と抱っこしている者の羞恥と混乱が渦巻くカオス空間と化していた。
そして……転送陣の光が、四組を包み込む。




