第87話 無冠は、まだ揃わない
雪だったものの前に立つ三人……リュカ、カゲトラ、バルド。その背中は確かに頼もしく、視聴者の胸に希望の火が灯った。
とはいえ、その希望は、彼ら自身の胸の奥では別の形をしていた。
こちらから攻撃することが、できない。それが、三人が抱えた最大のジレンマだった。
たしかに対峙している状態では、雪は敵のような存在にみえる。しかし、彼はリュカたちの認識では巫女と呼ばれ、女王陛下と並ぶ、不可侵の存在。
彼らが育ってきた世界の常識では、巫女様に刃を向けるなど、絶対にありえない。それは禁忌であり、冒涜であり、何より……心が拒む。
たとえ、今の彼が別の何かに変わっていたとしても。
(……攻撃なんて、できるわけないじゃないか……)
リュカは歯をきつく食いしばる。久遠と和久からコピーした影と霧の複合スキルを駆使するも、雪の放つ圧に押し返され、形を保つだけで精一杯だった。
(巫女様に刃を向けるなど……拙者には、到底……)
カゲトラの刀は震えていた。恐怖ではない。斬れない、否や……絶対に切ってはならないという、武士としての矛盾が腕を縛っていた。
(殴れば……殺めることは可能。三人で掛かれば、相討ち覚悟なら……倒せる。だが……)
バルドは拳を握りしめたまま、あと一歩が踏み込めなかった。彼の拳は、命を奪うためではなく、守るためにある。
そして……三人とも理解していた。もし本気で攻撃すれば、雪だったものを殺めることは可能だ。
しかしそんなことを、誰も望んではいない。
望むはずがない。ルーセントもレインも四戒仙も兵士の誰一人……こんな切羽つまった状況だというのに殺気を放っていなかった。
それは、この者がどれだけ必要とされ、愛されているかの証。だからこそ、彼らが選ぶべき道はひとつ。意識を刈り取り、行動不能にする。
それが最善。それが唯一の救い。
とはいえ、今の雪だったものに、それが通じるのか。その確信は、誰にも解らなかった。むしろ、押されている。じわり、じわりと、三人の足が後退していく。
雪だったものは、一歩も動かない。ただ、存在するだけで、三人の集中力と魔力を削り取っていく。まるで、そこに立つだけで世界を支配するかのように。
(……くそ……! どうすれば……どうすればいいんだ)
リュカの胸の奥で、焦りが渦を巻く。とはいえ、その焦りは恐怖からくるものではない。
(攻撃できねぇ……巫女様に刃なんて向けられるわけねぇ……でも、このままじゃ……全員、潰される)
影が震える。霧が薄れていく。魔力の流れが、雪だったものの存在に吸われるように乱されていく。
(……考えろ、リュカ。お前はいつだって、仲間の穴を埋めてきただろ……あいつらがいないなら、代わりに道を探せ。代わりに突破口を見つけろ。代わりに時間を稼げ……)
胸が焼けるように痛む。それでも、リュカは歯を食いしばった。
(……守るんだよ。あの子たちを……巫女様を……! 仲間を……! それが俺たち無冠の灯。その名にかけて……折れるわけにはいかねぇ)
雪だったものの圧に押され、三人の魔力がじわりと削られていく。リュカの焦りが胸を焼き、カゲトラの刀が震える中……バルドもまた、拳を握りしめたまま、一歩を踏み込めずにいた。
(……巫女様……戻ってくだされ……)
その祈りは、ただの願望ではなかった。バルドにとって巫女とは、神聖そのもの。女王陛下と並び、国の魂を支える存在。
その巫女に拳を向けるなど……僧侶として、男として、絶対に許されない。
(巫女様に拳を振るうなど……この身が砕けても、してはならぬこと……)
胸が軋む。拳が震える。だがそれは恐怖ではない。
(だが……このままでは……皆、押し潰される……巫女様も……このままでは……壊れてしまわれる……)
雪だったものの存在が、魔力を吸い、精神を削り、世界の理を歪めていく。その圧に耐えながら、バルドは必死に思考を巡らせた。
(殴れば……倒せる。三人で掛かれば、命を賭せば……巫女様を止めることはできる……)
しかし、その先にあるのは……お互いの死。
(このエリアを救うためとはいえ……絶対に、それが真理とは違う。この国を救うために、巫女様を殺めるなど……本末転倒……我ら無冠の灯は……守るために拳を振るのが信条)
胸の奥から、熱いものが込み上げてくる。
(巫女様……どうか……どうか、戻ってくだされ……この拳は、あなたを救うためにある……決して、あなたを傷つけるためではない)
祈りにも似たその想いは、雪だったものに届かない。それでも、バルドは拳を下ろさなかった。
攻撃できない。殺せる力はあるのに、殺す気持ちが湧かない。ただ、守るために立ち続ける。
雪だったものの圧に押され、三人の魔力がじわりと削られていく。
リュカの焦りが胸を焼き、バルドの祈りが震える中、カゲトラは、刀を握る手に力を込めながら、ただ静かに歯を食いしばっていた。
(……頼む……意識だけでも……)
その言葉は、ただの願いではない。武士としての誇りと、巫女への敬意と、仲間を守る覚悟が入り混じった、魂の叫びだった。
(巫女様に刃を向けるなど……武士として、断じて許されぬ所業……この刀は、守るために振るうもの……巫女様を傷つけるためのものでは、断じてないでござる)
胸の奥が軋む。刀が震えるのは恐怖ではない。斬れぬという矛盾が、武士としての魂を締めつけていた。
(されど……このままでは……巫女様ご自身が、巫女様を喰らうてしまう……この身が盾となり、刃となり、道を切り開くが武士の務め……だが……巫女様を斬るなど……できるはずもなし)
雪だったものの存在が、魔力を吸い、精神を削り、世界の理を歪めていく。その圧に耐えながら、カゲトラは必死に思考を巡らせた。
(意識さえ戻られれば……巫女様は、本来の巫女様に戻られる……どうか……どうか、戻ってくだされ……拙者の刀は、守るためにあるでござるよ)
その祈りは、風にも届かず、闇にも届かず、雪だったものにも届かない。それでも、カゲトラは刀を下ろさなかった。
攻撃できない。殺せる力はあるのに、殺す気持ちが湧かない。
ただ巫女を、仲間を、守るために立ち続ける。三人の胸に渦巻くのは、恐怖でも絶望でもない。
攻撃できないという、どうしようもない葛藤だった。
雪だったものの圧に押され、三人の足がじわりと後退する。刀が震え、拳が軋み、影と霧が薄れていく。
それでも攻撃はできない。巫女に刃を向けるなど、彼らの常識ではありえない。
心が拒む。魂が拒む。
そして……その拒絶の裏で、三人の胸に同じ想いがよぎった。
(……こんな時、あいつらがいてくれたなら……)
まず思い浮かぶのは、彼らのリーダーを勤めるクラウ。冷静沈着、不動の騎士。どんな状況でも声を荒げず、ただ一言で戦場を整える鋼の男。
彼が一歩前に出れば、どんな混乱も収束する。その盾のような存在感が、今ほど恋しい瞬間はなかった。
(クラウなら……迷わず道を示してくれるのに……)
次に脳裏をよぎるのは、ストレイ。空間魔法を操り、失われた神聖魔法すら扱う、あらゆる魔術に精通した魔術のエキスパート。彼がいれば、雪だったものの存在そのものの圧を解析し、突破口を見つけてくれたはずだ。
(ストレイ……お前の頭脳が、今ほど必要な時はない……)
そして、フェルマ。
時を巻き戻すほどの秘薬……エリクサーを調合できる、非凡な才能をひめた調合錬金術師。
かの薬は、死をも覆す奇跡を生む。その薬があれば、いまの雪の状態をもしかしたら戻せるかも知れない。
(フェルマ……頼む、今だけでも……)
そして三人は、互いの存在を思い出す。
前衛を張る侍……カゲトラ。同じく前衛で盾となる騎士……クラウ。その二人の間を縫うように戦う、本来は風を操る吟遊斥候のリュカ。そして、毒、麻痺、再生阻害などの状態異常薬を駆使して戦況を覆す錬金薬剤師のフェルマ。
後衛から戦況を支える司令塔の魔術師……ストレイ。全体を守る結界と回復を担い、バックアタックされた際は、前衛として活躍もできる戦闘僧侶のバルド。
この六人が揃ってこそ、彼らは無冠の灯。冠なき者たちが灯す、確かな光。
だが、今は……ここには三人しかいない。
雪だったものの圧倒的な存在感が、じわじわと三人を追い詰めていく。
攻撃できない。殺せる力はあるのに、殺す気持ちが湧かない。ただ、守るために立つしかない。
(……あいつらがいてくれたら……)
(……六人なら、絶対に折れなかったのに……)
(……無冠の灯は、六人で一つなんだ……)
胸の奥に、痛いほどその事実が響いていた。




