第78話 すべては、聖域の中心へ
目の前にいる六人の女性たちを見ているだけで、どうしようもなく胸の奥がざわつく。
理由もわからず、鼓動が速くなる。それが何を意味するのか、彼らの理解は追いついていなかった。
「コード・ルーセント。白蛇紋を宿す特異個体……光の制御と、戦闘指揮を担う」
いつものように冷静に名乗りながらも、ルーセントの視線は、カゲトラの佇む姿に一瞬だけ吸い寄せられていた。
(……これが、本当の男……その姿)
その立ち姿、言葉の重み、そして何より、あの静かな眼差し。心の奥に刻まれた美麗の記憶が、微かにざわめく。
(完成している……ゼロが……いいえ、私たちが目指していたものが、既に……)
「コード・レイン。統率型。命令と制圧を司る……今は、共に闘うことを選択するわ」
レインの声は変わらず冷ややかだったが、その内心は静かに波打っていた。
(この者たちの傍にいると……なぜ、こんなにも心が乱れるの……)
バルドの穏やかな声が、耳に残る。あの巨体から放たれる包み込む気配が、なぜか心地よくて……。
(……制御できぬ感情など、初めて……私としたことが……どうした)
その隣で、京華が雷をまといながらも、少しだけ頬を染めた。
「京華。雷狼の力を宿す『驚』を司る者……さっきは、ちょっと……その、熱くなりすぎた」
言葉を選びながらも、視線はカゲトラの方へと向いていた。
(なんで……あんな変な喋り方なのに、こんなに心が跳ねるの……?)
雷よりも早く動く彼の足取り。ふとした何気ない動作に、胸がきゅっと締めつけられる。
(この……心臓がばくばくするのは……なに?)
「義那。幻狐の力を宿す『疑』を司る者……幻術と、ちょっとした心理戦が得意よ。さっきは、見破られて悔しかったけど」
義那は、リュカを見つめながら、唇を噛んだ。
(あの男……私の幻を、笑ってすり抜けた)
悔しさと、妙な高揚感が胸を満たす。
(あれが男だっていうの……? なら、もっと……知りたくなるじゃない)
「久遠。影虎の力を宿す『懼』を司る者……睨みと気配遮断が主な術。……次は、負けない」
久遠の声は低く、いつも通りだった。しかし、その金の瞳は、バルドの横顔を何度も盗み見ていた。
(睨みが通じなかった……それだけじゃない)
あの穏やかな気配に、心が揺れた。
(こんな感情、知らない……なにこれ)
「和久です。霧狸の『惑』を司る者。霧と幻で、ふわっと包むのが得意なの……でも、今日はちょっと、包まれた側だったかも」
和久は、リュカの方をちらりと見て、ふわりと笑った。
(あの人、目が合うとすぐ逸らすのに、なんでか気になる……)
霧の中で、すれ違ったときの声、風の音、そして……あの照れた顔。
(なんか、かわいい……って、なに考えてるの、あたし……)
彼女たちの胸の奥で、何かが芽吹き始めていた。
それは、戦闘でも任務でもない、もっと曖昧で、温かくて、未知の感情……まだ知らぬそれは、ときめきという名の、初めての揺らぎだった。
九人の呼吸が、はからずも重なる。名を交わしあっただけで、空気が随分と和らいだ気がした。
とはいえ、空には未だ収まらぬ白銀の光柱が立ち昇り、純白の結晶が舞い落ちるほどに異変は進行していた。
地脈の震えは止まず、ユグドラシルの方角からは、低く唸るような音が絶え間なく響いている。
その異様な気配に、誰もが再び表情を引き締める。そんな中、ルーセントが一歩前へ出て、静かに口を開いた。
「私とレインが先行して、広場に入る。その後に四戒仙が続いてくれ、まずは状況を確認する」
その声は冷静で、しかしどこか、これまでよりも柔らかな響きがあった。
「白銀坂 雪……それが、今回のターゲットの名だ。御子様とも呼ばれている……まずは、私たちが接触する」
その一言に、リュカの肩がぴくりと震えた。
「……巫女様……だって?」
思わず漏れた声は、大きく震えていた。リュカの脳裏に、忘れることの出来ない記憶がよみがえる。
彼らの故郷……召魂の巫女によって生み出される男たち。神の歯車 (ディオス・ギア)たちの国。
巫女様こそが至高なる存在。女王陛下と並び称される、神の意志をこの世に降ろす者。
その巫女様のことを、彼は決して忘れたことがなかった。それこそ、彼の十八番の唄が巫女様をたたえる賛歌なのだから。
「その方は……この国で、とても大事な方なのか?」
リュカの震えを帯びた問いに、ルーセントとレインは、即座に頷いた。
「当然だ。白銀坂 雪は、この地において最も重要な存在の一人。その身に宿すものは、我らの計画の核心にして、世界の均衡を左右する鍵」
「御子様に何かあれば、この地は……いや、世界そのものが揺らぐ」
その応えの確かさに、リュカは息を呑んだ。バルドもまた、数珠を握る手に力を込め、目を伏せる。カゲトラは、静かに刀の柄を握り直す。
巫女様が絡んでいる事件。それは、彼らの常識からすれば国の存亡に直結する一大事。その重みを知るがゆえに、三人の表情からは一切の迷いが消え、ただ静かに、深く胆を据える音が聞こえるようだった。
とはいえ、そこにはひとつだけ、微かなすれ違いがあった。
バルドが掛けた翻訳の魔法……それは、異なる言語を通して意思を通わせるための術式だったが、言葉の奥にある文化や信仰のニュアンスまでは完全には伝えきれない。
「御子様」という言葉が、彼らの中で「巫女様」として変換されたのも、その微細な揺らぎによるものだった。
けれど、認識に違いはあれど……白銀坂 雪が、このミラーパレスという王国において、最上級に大切な存在であることに、疑いの余地はなかった。
その事実だけは、言葉を超えて、確かに共有されていた。
レインもまた、隣で頷きながら言葉を継ぐ。
「貴公たちは、しばし隠れて様子を見ていてくれ……なにかあれば、頼む」
その一言に、三人は無言で頷いた。言葉はなくとも、その瞳には確かな意志が宿っていた。
彼女たちの背を見送りながら、三人はそれぞれの胸に、得体の知れぬざわめきを抱えていた。
リュカが、ふと呟く。
「……行かして、いいのかな」
その声には、名残惜しさと、どこか焦りのようなものが混じっていた。
「……いつでも飛び出せるようにしておくでござる」
カゲトラが静かに応じる。その手は、すでに刀の柄に添えられていた。
「いや、ちょっと待って」
リュカが何かを思い出したように、ぱっと顔を上げた。
「そういえば、さっきの戦いで……久遠と和久のスキル、コピーしてたんだった。影と霧、両方使えば、俺たち全員、姿を隠せるかも」
「それは……可能なのか?」
バルドが目を細める。
「やってみる価値はあるさ」
リュカは軽く笑い、両手を広げる。
「影纏いと霧隠れ、合わせ技」
彼の足元から黒い影が広がり、同時に淡い霧が立ち上る。
影は三人の足元を這い、霧はふわりと包み込むように彼らを覆っていく。光を吸い込む影と、輪郭をぼかす霧が重なり、三人の姿は徐々に空気に溶けていった。
「……これは……」
カゲトラが驚きに目を見張る。
「まるで、気配すら消えておる……」
「視認困難どころか、霊的な遮断すら感じる……」
バルドが低く唸るように言った。
「よし、これならバレずに動けるはず。林の影から広場全体が見える場所がある。そこまで移動しよう」
リュカの声だけが、霧の中からふわりと届いた。
三人は音もなく、聖域を囲む横手の林へと身を滑らせていく。
白銀の結晶が舞い落ちる中、彼らの気配は、まるで風と影と霧に溶けるように消えていった。
聖域の広場は、今や異様な緊張に包まれていた。
中心には、インクラインの朱音を除く四名が不安と焦燥感を抑えきれず並び立ち、雪を囲むように、コード・ミラーとラインの二小隊が待機していた。すでに魔力障壁の展開は完了しており、全員が厳重な警戒態勢を取っている。
そこへ、二つの影が駆け込んできた。
「ルーセント様、レイン様、応答がなく心配しておりました」
ミラーとラインの隊長が駆け寄り、敬礼を行う。
「状況は?」
レインが短く問う。隊長の一人が一歩前に出て、即座に報告を始めた。
「地脈の逆流が進行中。『御子様』を中心として、魔力の異常な集中が確認されています。現在、封印層の結界が不安定化。最悪の場合、エリア全体の崩壊も……」
その言葉に、ルーセントの視線が自然と広場の中心へと向かった。




