第76話 刃なき戦い、その果てに
静寂を切り裂くように、凛とした声が響いた。
「貴公たちは……何故、我が王国の地にいる? いったいどうやって、このエリアに侵入した、と?」
声の主は、漆黒の軍装をまといしレイン。その声音には、怒気も苛立ちもない。ただ、正当な問いかけと威厳があった。
命令を下すことに慣れきった者の声。それだけで、空気が一段と重くなる。
三人は、まるで雷に打たれたかのように固まった。
初めて……人族の女性に、真正面から声をかけられた。しかも、それがこの世の理を体現したような存在からだとあっては、言葉が出るはずもない。
リュカは口を開こうとしたが、喉がひゅっと鳴っただけで、声にならなかった。バルドは数珠を握りしめたまま、目を伏せ、祈るように沈黙を守る。カゲトラは刀の柄に手を添えたまま、まるで石像のように固まって動けない。
誰一人として、ルーセントやレインの顔をまともに見ることができなかった。その気配が、あまりにも高貴すぎる故に。
「……なぜ、目を合わせぬ?」
レインの声が、さらに一段低くなる。その問いは、まるで刃のように鋭く、三人の心を刺した。
「い、いや、ちがっ……」
リュカが慌てて顔を上げようとするが、視線が自然と逸れてしまう。
その仕草が、レインには別の意味に映った。
「……ふむ。答えられぬ理由があるということか」
その瞳が細められ、冷たい光が走る。
「ならば……捕らえて、喋らせるまで」
レインが指を鳴らした。
「四戒陣、展開。包囲せよ」
その瞬間、空気が一変した。雷が走り、影が揺れ、霧が舞い、幻がきらめく。
四戒仙が一斉に動き出し、三人を取り囲むように展開する。
リュカたちの背に、冷たい汗が伝った。言葉を交わす間もなく、戦の幕が、静かに上がろうとしていた。
雷が走るたび、空気が震える。バルドの目の前に立つのは、雷狼の力を宿す女性、京華。そして、その隣には、漆黒の軍装をまとった至高のレイン。
「拙僧は……そなた達のような……尊き御方と戦う気はない……」
そう口にしながらも、バルドの胸は静かに高鳴っていた。京華の雷撃がかすめるたび、肌が焼けるような熱を感じ、レインの冷ややかな視線が触れるたび、背筋が凍りつく。
(な、なぜ拙僧は……このような……神話の世界に出てこられるような御方と……)
彼女たちの動きは、まるで舞のように美しいのに、一撃で命を奪う力を秘めていた……まともに喰らえばであったが。
京華が接近するたび、彼女の銀狼の尾がふわりと揺れ、雷の残光が頬をかすめる。
そのたびに、バルドの心臓は、どくん、と跳ねた。
(これは……修行が足りぬ……いや、これは……試練……南無)
レインが指を鳴らすたび、空気が重くなる。その威圧感に、思わず目を伏せたくなる。しかし、バルドは意識することなく彼女のスキルをレジストして、ただ静かに立ち続けた。
銀光が閃き、狐火が舞う。
ルーセントと義那……まさに尊き御方、もしかしたら至高の名にふさわしい、神々しき存在。
(な、なぜ拙者が……このような御方たちと刃を交える羽目に……!?)
義那の幻術が揺れるたび、空間が歪む。その中をすり抜けるたび、ふわりと香る甘い匂いに、思わず意識が乱れそうになる。
ルーセントの拳がかすめるたび、空気が焼ける。その熱が頬を撫で、鼓動が跳ね上がる。
(拙者は……女人を何があろうと斬らぬと誓った身……されど、これは……試練……いや、拷問では……?)
義那の瞳が揺れるたび、狐耳がぴくりと動くたび、心がざわつく。ルーセントの怒気が爆ぜるたび、背筋が粟立つ。
(拙者の心、静かなるがゆえに……惑わされぬ……はず……はず)
そう己に言い聞かせながらも、カゲトラの耳はほんのり赤く染まっていた。
(まだまだ、修行が足りぬ、拙者まことに無念ながら未熟なり)
霧の中、音を頼りに移動する度に、久遠の影が伸び、和久の霧が揺れる。
(な、な、なんで俺……こんな麗しき方々と、戦ってるんだ……!?)
久遠の睨みを目にした瞬間、心臓が大きく跳ねた。あの金の瞳に見つめられると、まるで心の奥を覗かれているようで、思わず視線を逸らしてしまう。
和久の霧の中、ふわりと彼女の尾が頬をかすめた。その瞬間、リュカの顔は真っ赤に染まる。
(ち、近い! 近いってば! 息、かかってるし!)
余裕の笑みを浮かべながらも、それは張り付いているだけで内心は大混乱。
リュートの弦を弾く指が、かなり震えていた。
(ああもう、なんで俺、こんな尊き御方と戦っているんだよおおお……!)
それでも、旋律を弾くのは止めない。
風のように、霧の中を舞いながら、彼はただ、心臓の高鳴りをごまかすように、旋律を紡ぎ続けた。
雷鳴が遠ざかり、狐火が消え、霧が晴れていく。
戦場は、奇妙な静寂に包まれていた。
四戒仙とルーセント、レイン……六人の誇り高き戦士たちは、誰一人として倒れていない。とはいえ、勝利の女神は、明らかに彼女たちに微笑んでは、いなかった。
彼女たちの動きは、すでに鈍っていた。呼吸は乱れ、視線は揺れ、心は焦りに満ちている。
それでも、男たちは……とどめをさす事がない。
バルドは、ただ静かに構えを解き、祈るように立ち尽くす。カゲトラは、刀を抜かぬまま、風のように間合いを制し続ける。
リュカは、軽やかに舞いながらも、決して意識を刈る攻撃を放たない。
(なんで拙僧が……このような尊き御方に、拳を振るわねばならぬのだ……)
(拙者、女人を斬らぬと誓った身……もちろん……当て身などもってのほか)
(いやいやいや、俺、絶対に手出しできないって! 此方から手を出す?……無理無理無理!)
それぞれの胸に、葛藤が渦巻いていた。戦えば勝てる。だが、勝ちたくない。
いや、手を出してしまったら、何か大切なものを失ってしまう気がする。
そんないつ終わるとも解らない行き詰った只中。レインの瞳がわずかに揺れた。
「…………!」
彼女の意識に、鋭く、そして静かに入り込む声があった。
『コード・レイン、緊急念伝。こちら、コード・エコー……戦闘中であることは心得ている』
その声は、音もなく、確かに届いた。
エコーの念伝……コード同士の精神回路を通じた、絶対の通信。
『最重要ターゲットの白銀坂 雪に異常事態発生。魔力濃度、急激に上昇。地脈の流れが逆転を始めている』
レインの眉がぴくりと動く。その瞬間、戦場の空気が変わった。
彼女の瞳が、わずかに見開かれ、その視線が、ユグドラシルがそびえ立つ空を見上げる。
そこには、聖域の方角から、異様な白銀の光が立ち昇っていた。




