第228話 恩を返す前に、最高顧問になっていた
彼らの脳裏には、これまで出会ってきた女性たちの姿が次々と浮かぶ。
五星姫、インクライン、鏡宮の者たち、猫娘たち、そしてこの世界のS級冒険者であるファントム・ヴェールの二人。
さらに、元の世界では想像もできないほどの料理を自らの手で作り、惜しみなく提供してくれる料理人たちの存在もあった。
誰か一人だけではない。
彼女たちは皆、それぞれに強い力と揺るぎない信念を持ち、時に積極的すぎる好意で男たちの心臓へ多大な負担を与えてくることも否定できなかったが、それでも……彼女たちのために力を尽くしたいという思いは、六人の中に等しく芽生えていた。
「恩を返さずに去るというのは、俺にはできない」
「俺も」
リュカが迷わず答える。
「猫娘たちと、また演奏するって約束したしな。まだ聴かせてない曲も山ほどある。それに、こっちの音楽ももっと知りたい」
「ボクも残るよ。ユグドラシルの素材を、危険なまま放置することはできない。薬として使える形へ整えたい」
「拙者も、己の刃が必要とされる限り、力を貸す所存。ニャル殿に師事するとも約束したでござる」
「拙僧も同じだ」
ストレイも、静かに頷いた。
「帰還手段の研究は続ける。だが、そのためだけに生きるつもりはない。この世界の魔術や科学を学びながら、私たちにできることをするべきだと思う」
六人の視線が、最後にクラウへ集まる。
クラウは、仲間たちの答えを受け止めたあと、ゆっくりと頷いた。
「なら、当面の方針は決まりだな」
祖国への忠誠を捨てたわけではないので、元の世界へ帰る方法は探す。
帰還の可能性を、自分たちから閉ざすつもりもない。しかし、帰ることだけを目的にはしない。
今は、この世界で学び、この世界で出会った者たちを守る。
虫の大群の正体を突き止め、ユグドラ・フロンティアの行く末を見届け、自分たちへ向けられた信頼と好意へ力の限り応える。
それが、《無冠の灯》の出した暫定的な答えだった。
「……まあ、女性との距離感については、別途考える必要があるけどな」
リュカが苦笑する。
クラウの顔から、わずかに血の気が引いた。
「それは後にしよう」
「でも、後回しにして大丈夫か? クラウなんて、また囲まれるかもしれないぞ」
「縁起でもないことを言うな」
「フェルマも、今夜あたり夜々さんに寝顔をまた見られるんじゃないか?」
「やめてくれない?」
「ストレイは、うたたさんに自分の気持ちを聞いてみるべきだよな」
「なぜだ。魔力の相性がよいだけだろう?」
「まだ言ってるのかよ!」
リュカの声が個室へ響き、男たちの間へ明るい笑いが広がる。
故郷へ戻れない不安が消えたわけではない。これから何が起きるのかも分からない。
それでも、六人はようやく、自分たちの意思で進むべき方向を決めることができた。
明日とも知れぬ量産型の一冒険者としてではなく。
誰かに必要とされ、その期待へ自ら応える者として、ミラーパレスに留まり、この世界のことを学びながら、自分たちにできることを探していく。
それはあくまで、無冠の灯の六人が自分たちの意思で選んだ、当面の方針であるはずだった。
しかし、その結論を聞いたフェルマは、何かを思い出したように「あっ」と声を上げると、それまで大切そうに味わっていた色鮮やかな果実水のグラスを勢いよく卓上へ戻した。
「そういえば、ボク……十理会の人たちから、今後建造されるポーション開発部門に協力してほしいって頼まれてるんだ」
あまりにも自然に告げられたため、最初は誰も言葉の重大さに気づかなかった。
クラウが取り皿へ伸ばしかけていた手を止め、ストレイが眼鏡の奥で目を瞬かせる。カゲトラとバルドはほぼ同時に顔を上げ、肉料理へ豪快にかぶりつこうとしていたリュカも、大きく開けていた口をそのままに固まった。
「……ポーション開発部門?」
聞き返したクラウに、フェルマは待っていましたとばかりに身を乗り出した。その頬には興奮が浮かび、普段は薬草や素材について語る時にしか見せない少年のような輝きが、今は隠しようもなく瞳にあふれている。
「うん。ただの部門じゃないよ。世界樹ユグドラシルから採取される未知の素材を研究して、医療用から冒険者用まで、あらゆる霊薬を開発するための研究施設を造るんだって。それも、ユグドラ・フロンティアだけじゃなくて、世界各国から調薬師や錬金術師、薬学者を集めた、世界最大規模の施設にするって!」
「それは……途方もない話だな」
「でしょ!?」
クラウの感嘆に、フェルマはますます声を弾ませた。
「研究棟だけでもいくつ造るのか分からないし、素材保管庫には魔力濃度や温度を個別に調整できる設備を入れて、危険な薬品を扱うための隔離区画まで用意するらしいんだ。しかも、ボクが必要だと思う機材や設備があれば、予算の許す限り検討するって……そんなことを言われたら、興奮するなって方が無理だよ!」
身振りを交えて語るフェルマの姿には、世界を越えてなお衰えない調薬錬金術師としての情熱があった。
未知の素材を前にすれば効能を確かめたくなる。異なる技術を目にすれば組み合わせを試したくなる。その純粋な探究心こそ、仮初めとはいえエリクサーを完成へ導いた原動力であり、十理会が彼を手放すまいとする最大の理由なのだろう。
ところがフェルマは、そこまで勢いよく語ったところで、不意に声を潜めた。
「……本当は、正式に決まるまで誰にも言っちゃ駄目って言われてるんだけどね」
「では、なぜ話した」
ストレイが至極当然の疑問を向けると、フェルマは悪びれた様子もなく笑った。
「だって、ボクたちは仲間じゃないか。仲間同士で隠し事はなしだよね?」
「機密保持とは、仲間内であれば無視してよいという意味ではないぞ」
「大丈夫。ここにいるみんなが黙っていれば、漏れてないのと同じだから」
「その考え方は、調薬における安全基準としても非常に危うい気がするのだが……」
真顔で指摘するストレイから逃れるように視線を逸らしつつ、フェルマは頬を掻いた。それでも興奮そのものは抑えられないらしく、すぐに口元が緩み始める。
「それでね……最高顧問として、ぜひ力を貸してほしいって言われたんだ」
今度こそ、室内から完全に音が消えた。
卓上では温かな料理から白い湯気が立ち上り、食欲を誘う香りが漂い続けている。それにもかかわらず、誰一人として食事へ手を伸ばそうとはしなかった。
リュカがゆっくりと料理を皿へ戻し、恐る恐る尋ねる。
「フェルマ、今……最高顧問って言った?」
「言ったよ。おかしいよね!?」
返ってきたのは謙遜というより、本人の心からの困惑だった。
「ボクなんて、向こうじゃ頑張ってもB級冒険者になれるかどうかって程度だよ? 調薬錬金術師としてだって、研究院に所属しているわけでもない、ただの一調薬師にすぎない。それなのに、世界最大規模のポーション開発部門で最高顧問なんて……あり得ない話だよ!」
「いや、仮にもエリクサーを精製できる者を、一調薬師とは呼ばんだろう」
クラウが苦笑交じりに諭したものの、フェルマの認識は簡単には変わらない。
彼らの故郷には、人智を超えた技術を持つ錬金術師が存在する。国家の支援を受け、何十年、何百年という時間を研究へ費やす長命種へ進化した賢者すら希少とはいえいる。
そんな環境で生きてきたフェルマにとって、自分はどこまで行っても発展途上の若輩者であり、世界を代表する研究機関の頂点へ据えられるなど、現実味を持って受け止められる話ではなかった。
しかし、この世界から見れば、ユグドラシルの素材を初見で見極め、失われた命すら呼び戻し得る霊薬へ昇華した彼こそ、世界中の研究者が喉から手が出るほど欲しがる存在である。
その認識の隔たりこそが、フェルマの戸惑いを生んでいた。
「……待て」
その時、クラウが何かへ思い至ったように眉を寄せた。




