第224話 剣では斬れない、女心という難敵
九重すみれによる、襲撃と見紛うほど派手な来訪。
そして、クラウが女性たちに囲まれ、本人の意思とは関係なく誰の肌を見るのか選ばされかけた、通称……女子包囲事件。
そんな二つの騒動から、一夜が明け、新生ミラーパレスは、表面上だけを見れば、いつもの落ち着きを取り戻していた。
コード・ミラーとコード・ラインは通常の警備体制へ戻り、外周へ展開されていた迎撃設備も待機状態へ移行している。
もっとも、防衛部門の内部では別の嵐が吹き荒れていた。
レイン、ミスト、ライラの三人は、すみれが《鏡界障壁〈ミラーフォートレス〉》を通過した手法の解析へ没頭し、従来の防衛機構を一から見直し始めている。
そこへユグドラ・フロンティアの開放準備、各国との調整、世界樹素材の管理、新たに加わった異界人たちの待遇まで重なり、鏡宮 美麗と九条 紫乃、そして十理会を中心とする者たちの仕事は増える一方だった。
それでも、停滞してはいない。
幾つもの問題を抱え、時には盛大に脱線しながらも、新生ミラーパレスは確かに未来へ向かって舵を取り始めていた。
《無冠の灯》の六人にとっても、それは同じだった。
この世界へ転移して以来、彼らは息つく間もなく次々と出来事に巻き込まれてきた。
正体も知れぬ迷宮である黒の回廊へ不本意な転移の末に放り込まれ、そこで彼らの世界ではまずありえない、女性の生命を賭した戦いを経験し、その直後には五星姫との邂逅が待ち受けていた。
さらに、人生で初めてとなる女性をお姫様抱っこするという全くの予想外の展開が訪れ、続けざまに世界樹ユグドラシルの聖域へ空間転移。
彼らの基準では男性ではあるが、唯一無二である巫女様と同等の雪。それが魔の領域に変貌し戦闘となり、どうにかして彼が元に戻る瞬間に立ち会い、メンバー全員ではないが、猫娘たちの救出劇にも身を投じることになった。
そして何より、自分たちがこの世界に存在するだけで、多くの女性たちへ計り知れない衝撃を与えているという事実を、ようやく受け止めつつあった。
目の前の危機へ対処するだけで精一杯だったため、六人だけで落ち着いて話をする時間が、まるて取れていなかったのも事実。
この世界で、今後どのように過ごすのか。元いた世界へ帰る手段はあるのか。仮に帰還方法が見つかった時、本当に全員が帰ることを望むのか。
鏡宮や五星姫、そして自分たちを受け入れてくれた者たちと、どのような関係を築いていくのか。
それらは、いつか誰かが決めてくれる問題ではない。
《無冠の灯》として、六人の意思で考えなければならないことだった。
そこでリーダーであるクラウは、ひとまず外部の者を交えず、六人だけで話し合うことを提案した。
場所として借りたのは、ミラーパレスの食堂に併設された個室。
小宴会にも使える広さはあるものの、中央に置かれた円卓は六人で囲むのにちょうどよく、外部へ会話が漏れないよう守秘管理は徹底されており、防音術式まで施されていた。
食卓には、御厨料理長からの心尽くしの料理が並んでいる。
香ばしく焼き上げられた肉と、地下森林領域で採れた野菜の盛り合わせ。
透き通った出汁の香りが穏やかに広がる汁物。
炊き上がったばかりの白い米に、出来立ての柔らかなパン。
川魚を甘辛い調味料で柔らかく煮た料理に、瑞々しい香草を添えた小鉢。
さらに、バルドが興味を示していた香辛料を使い、異界の味覚へも合うよう調整された煮込み料理まで用意されている。
「長い話になるでしょうから、まずは腹ごしらえを」と、御厨料理長が自ら献立を考えてくれたらしい。
知らない世界の料理でありながら、どこか故郷を思い出させる温かさがあった。
六人は料理長の気遣いへ感謝し、それぞれ席についた。
ただし……円卓の正面に座るクラウだけは、心尽くしの料理を前にしても、食欲を失いかけていた。
「……クラウ、大丈夫か?」
リュカが心配そうに声をかける。
クラウはゆっくりと顔を上げた。
いつもならば、どれほど過酷な戦いの後でも、仲間の前ではリーダーとして毅然と振る舞う男である。
深手を負っても弱音を吐かず、魔物の大軍を前にしても仲間を鼓舞し、自分が苦しい時ほど周囲を安心させようと笑みをみせる。
そのクラウが今は、頬をわずかにこけさせ、目の下へ薄い影まで作っていた。
昨日、何があったのか。
詳しい話を聞いていない者たちにも、彼が女性関係の何かへ巻き込まれたことだけは分かっている。
「大丈夫だ」
クラウは答えた……とはいえ、その声に力はない。
「どう見ても大丈夫じゃないだろ」
リュカは料理を口へ運びながら、明るく笑った。
「初見の魔物の大群に囲まれた時だって、そんな顔してなかったぞ。昨日、何されたんだよ?」
「……聞かない方がいい」
「ええ? そんなこと言われたら、余計に気になるじゃん。ほら、俺たちだけなんだし、少しくらい話してみろって」
「リュカ」
クラウが低い声で名前を呼ぶ。
「な、何だよ」
「俺は昨日……女性たちに囲まれた」
「この世界に来てから、わりといつものことだろ?」
「逃げ場のない小会議室でだ」
「それは、まあ……大変そうだけど」
「全員から、自分の肌を見ないかと迫られた」
リュカの食事する手が止まった。
円卓のほかの者たちも、揃って動きを止める。
カゲトラが静かに目を伏せ、バルドは手にした数珠を握り締めた。フェルマは飲みかけていた水を置き、ストレイも何か聞き間違えたのではないかという顔でクラウを見る。
「……それは、本当か?」
リュカが先ほどまでの軽さを失い、恐るおそる尋ねた。
「ああ」
「何人くらいに?」
「覚えていない。気づいた時には、周りのほとんどが同じことを言っていた」
「うわぁ……」
「花恋殿や萌黄殿なら、まだ日頃から冗談を好むことも理解できる。レネ殿や四戒仙の方々も、俺の反応を見て楽しんでいたのかもしれない」
クラウの声が震える。
「だが……冴月殿まで、真剣な顔で迫ってきたんだぞ!」
その魂からの叫びに、リュカは何も言えなくなった。
「しかも、最後にはルーセント殿までだ!」
「……あの、白雷の御方が?」
「そうだ!」
クラウは思わず円卓へ両手をついた。
食器が小さく揺れたものの、彼にはそれを気にする余裕もない。
「武人として一切の隙がなく、戦場ではあれほど凛々しく、我々の世界ならば至高の御方にも匹敵するであろう冴月殿とルーセント殿が、だぞ! 俺の目を真っ直ぐ見ながら、『私のも見ろ』だの、『私のでも見たいか』だのと……!」
クラウの顔へ、昨日の記憶が蘇った。
壁際へ追い込まれ、逃げ場を失ったクラウへ向けて、女性たちはまるで包囲網を狭めるように一歩ずつ近づいていった。
冴月は真剣すぎるほどの眼差しで彼を見据え、花恋は甘く小悪魔めいた笑みを浮かべ、萌黄は悪意など一切ない純粋な好奇心で参加を表明し、レネと四戒仙たちは楽しげな声を上げながら状況を面白がり、斗花は豪快に胸を張って前へ進み出る。
そして、最後に止めてくれる唯一の存在だと思っていたルーセントが、頬を染めて口にした最後の一言。
「俺に、どうしろというんだ……!」
敵に包囲されたのならば、剣を振るえばよい。仲間を守るためなら、命を懸ける覚悟もある。
しかしながら、自ら肌を見せようと迫ってくる尊き女性たちを相手に、剣を抜くことなどできるはずがない。
拒絶して傷つけるのも恐ろしい。
かといって受け入れれば、男として取り返しのつかない何かを失うような気がする。
あらゆる戦場を切り抜けてきたクラウの経験は、昨日の状況では何ひとつ役に立たなかった。
リュカは茶化すために開きかけた口を、静かに閉じた。
「……悪かった」
「分かってくれればいい」
「それは、俺でも無理だ」
リュカは真顔で頷いた。
「戦いなら逃げ道を探せるけど、それは……どこに逃げればいいのか分からない」
「その通りだ」
「拙者も、考えるだけで平常心を保てる自信がないでござる」
カゲトラが重々しく同意する。
女人を傷つけないことを己の誓いとしている彼にとって、クラウの置かれた状況は、敵の大軍へ単身で挑む以上の難題だった。
「南無……」
バルドは短く唱え、数珠をなぞる。
「拙僧ならば、心を無にして祈ることしかできぬ」
「それができれば苦労はしなかった」
クラウは深く息を吐き、冷めかけた汁物を口へ運んだ。
すると、フェルマが心底から共感するように、小さく頷く。
「……分かる」
全員の視線がフェルマに集まった。




