第223話 SHINOは、いつの間にか教義になる
紫乃の都合はなかったことにされ、すみれの講義は何事もなかったように再開された。
すみれが新たな理論を示すたびに、レインが驚き、ミストが感嘆し、ライラが素直な称賛を送る。
「その発想はなかった」
「すみれ殿、見事です!」
「これなら警戒網の負荷を大幅に削減できます!」
「ふふん。当然ですわ」
褒められるたびに、すみれの胸はさらに張られていく。
そして、称賛を受けるたび、彼女は必ず紫乃の方へ視線を向けた。まるで、褒められている自分を見てほしいと訴える子供のように。
紫乃が小さく頷けば、すみれの説明はさらに熱を帯びるのに、少しでも視線を逸らせば、また悲しげな顔を向けてくる。
結果として紫乃は、自分の仕事へ手をつけることもできず、すみれの講義を最初から最後まで目をそらすことなく、聞き続ける羽目になっていた。
「では、ここまでの理論をひとつの運用体系へ統合したものが、こちらですわ!」
すみれは勢いよく立ち上がる。
背後の投影画面へ、五つの大きな文字が浮かび上がった。
『S・H・I・N・O』
「……嫌な予感がしますわ」
紫乃が目を細める。
紫乃の言葉を聞き逃すはずもないのに、すみれは聞こえなかったふりをして、最初の文字を指し示した。
「Sは、スペシャル!」
画面の『S』が紫色に煌めく。
「すべての問題から特別なる解を見つけ出す、選ばれし知性を意味します!」
「なるほど。確かに、先ほどの理論は既存技術から特別な解を導き出していた」
レインが真剣に頷く。
「Hは、ハイパー!」
続いて『H』が、すみれ色の光を放つ。
「限界を超え、常識の遥か先まで思考を加速させる、超越的演算能力」
「高速演算と並列処理の象徴ですね!」
ライラが感動したように言う。
「Iは、インテリジェンス!」
「知性、ですか」
ミストが画面を見つめる。
「いいえ、ただの知性ではありません!」
すみれは大きく両腕を広げた。
「世界に散らばるあらゆる情報を読み解き、正しい形へ導く究極の叡智ですわ」
「究極の叡智……」
ミストの瞳にも、敬意の光が宿る。
「Nは、ネクサス!」
四文字目が輝く。
「人と人、知識と知識、世界と未来、そのすべてを繋ぐ中心点! 偉大なる知性は孤立するのではなく、すべてを結びつけ、より高次の可能性を生み出すのです!」
「防衛機構を個別に強化するのではなく、情報共有によって全体をひとつへ繋ぐ……先ほどの統合理論そのものだ」
レインは、もはや完全にすみれの説明へ引き込まれていた。
「そして、最後のOは……オラクル!」
最後の文字が光を放ち、五文字すべてが紫とすみれ色に輝き始める。
「現在を見通し、未来を予測し、迷える者たちへ進むべき道を示す神託者」
すみれの背後で、五つの言葉が統合される。
『Special』
『Hyper』
『Intelligence』
『Nexus』
『Oracle』
「特別にして超越的な叡智を持ち、あらゆる知識と人々を繋ぎ、世界の未来を指し示す至高の神託者」
すみれは感極まったように胸の前で両手を組み、紫乃へ熱い眼差しを向ける。
「それこそが、SHINO!」
小会議室へ、すみれの声が高らかに響き渡った。
「すなわち、紫乃お姉様は世界の理! 知性の頂点! そして、わたくしたちを正しき未来へ導く至高なる存在なのですわ」
「…………」
紫乃は何も言うことができず、光輝く文字を見つめていた。
途中までは、統合防衛体系を説明していたはずだった。それが、いつ、どこで、なぜ自分を至高の存在として崇める話へ変わったのか。
論理の飛躍が大きすぎる。しかし、レインたちは違った。
「なるほど……SHINOとは、単なる技術体系の名称ではなかったのか」
レインが、深く納得したように頷く。
「個々の技術を繋ぎ、世界全体を最適な未来へ導く思想。その体現者こそが、賢者・九条紫乃……」
「素晴らしいです!」
ライラが立ち上がり、目を輝かせる。
「紫乃様ほどの叡智を持つ御方が、私たちの未来を示してくださる。これほど心強いことはありません!」
「今まで、賢者様のことを優れた冒険者であり交渉者としてしか認識していませんでした」
ミストも、紫乃へ敬意のこもった視線を向ける。
「しかし、すみれ殿の説明を聞いて理解しました。紫乃様は、世界に散らばる知性を繋ぐ中心点なのですね」
(何を理解しましたの!?)
紫乃は内心で叫んだ。
とはいえ、すみれの説明には、巧妙に事実が織り交ぜられている。
紫乃が複数の勢力を繋ぎ、状況を整理し、未来の方針を示してきたことは事実。
すみれの効率化理論が、紫乃の考え方から大きな影響を受けていることも、まったくの嘘とは言い切れない。
そこへ単語に大仰な意味を加え、聞き手の称賛を少しずつ紫乃へ向ける。
技術への感動。
すみれへの信頼。
そのすみれが絶対の敬意を寄せる紫乃。
すみれは、三人が気づかないほど自然に階段を作り、いつの間にか紫乃への崇敬へ辿り着かせていた。
(……この茶番劇は何ですの?)
そう思う一方で、紫乃はすみれの手腕に改めて感心していた。
《百花繚乱》の構成員、その半数以上を自ら見いだし、スカウトしたのはすみれである。
それぞれ異なる能力と価値観を持つその道では優秀な者たちへ言葉を変え、彼女たちが何を求め、何を誇りとしているのかを見抜き、その心を掴んできた。
今も同じだった。
レインには、より完全な防衛機構を築く未来を。ミストには、情報を統合する合理性を。ライラには、新たな可能性を実現する高揚を。
それぞれが最も心を動かされる言葉を選び、最終的にすべてを紫乃への称賛へ結びつけている。
(さすが、《百花繚乱》の半数以上を勧誘しただけのことはありますわね)
紫乃は、素直に感心する。
(これが、わたくし自身のことでなければ、もっと喜べましたのに……)
紫乃の困ったような、称賛すればいいのか、解らない困惑した表情に、すみれは完全に調子に乗った。
「レイン様、ミスト様、ライラ様。皆様も、ようやく紫乃お姉様の偉大さをご理解いただけたようですわね」
「ああ」
レインは真剣な表情で頷く。
「賢者殿の思考を防衛体系へ取り入れることは、鏡宮のそしてユグドラ・フロンティアの未来にとって大きな意味を持つだろう」
「紫乃様の思想を、より多くの方へ伝えるべきです!」
「私も賛成です」
ライラとミストも続き、すみれは満足そうに全員を見回した。そして、その瞳へ新たな野望の光を宿す。
「決めましたわ!」
「何をですの?」
紫乃の声へ、警戒の響きが混じる。
「このユグドラ・フロンティアに……」
すみれは椅子の上へ片足を乗せ、紫乃から即座に「行儀が悪いですわ」と叱られて慌てて床へ戻したあと、改めて両腕を大きく広げた。
「一大教団を立ち上げます!」
「立ち上げません」
「名称は……《紫乃至高叡智礼賛教導会〈シノ・サプリマシー〉》!」
「立ち上げません!!」
すみれは紫乃の制止を無視し、熱弁を続ける。
「教義はただひとつ! 紫乃お姉様の叡智を学び、そのお言葉を胸へ刻み、いただいた笑顔を明日への燃料として、世界の正しき未来へ進むこと」
「どこかで聞いた燃料ですわね!」
「もちろん、入信は自由です。ただし、お姉様の素晴らしさを理解すれば、最終的には世界中の誰もが自ら入信を希望するでしょう」
「希望しません!」
「本部はユグドラ・フロンティアへ置き、聖堂中央には紫乃お姉様の扇子を象った巨大な御神体を……」
「すみれ!」
紫乃の堪忍袋の緒が、ついに切れた。
「いい加減になさい! わたくしを勝手に教祖へ祭り上げないでくださいまし!」
「教祖ではありません、お姉様」
すみれは真剣な顔で訂正する。
「至高なる開祖にして、永遠の大賢聖ですわ!」
「悪化しています!」
紫乃の怒声が、小会議室を揺らす。
なのに、その横で拍手が響いた。
レインだった。
「素晴らしい構想だ」
「レイン!?」
続いてミストも立ち上がり、静かに拍手を送る。
「紫乃様の思考法が広く共有されれば、ユグドラ・フロンティア全体の判断力向上にも繋がります」
「教団という形式は、情報共有組織としても有効かもしれません!」
ライラに至っては、満面の笑みで拍手喝采していた。
「私、設立時の防衛担当へ立候補します! 聖堂を建設するのでしたら、警備計画も必要ですよね!」
「もちろんですわ! ライラ様には、聖堂守護騎士団の初代団長をお任せいたします!」
「光栄です!」
「ミスト様には教義を世界へ届ける伝導情報局長を!」
「承知しました」
「そしてレイン様には……」
「待ちなさい!」
紫乃は机を両手で叩き、勢いよく立ち上がった。その視線は、すみれではなくレインへ向けられている。
すみれが暴走することは、今に始まったことではない。ライラとミストが場の勢いに流されることも、まだ理解できる。
しかし、レインは鏡宮三柱の一人。
美麗から絶大な信頼を寄せられ、ミラーパレス全域の防衛を預かる鏡宮の頭脳である。
「レイン……」
「何だ、賢者殿」
レインは、至って真面目な顔で紫乃を見返す。
紫乃は目元を押さえ、精神的な疲労をにじませながら問いかけた。
「鏡宮三柱の一角である貴女が……本当に、そんなことでよろしいのですか?」
「問題ない」
レインは迷うことなく答えた。
「むしろ、紫乃殿の叡智を体系化し、ユグドラ・フロンティアの発展へ活用することには大きな意義がある。教団という名称に抵抗があるなら、研究会、教導機関、思想共有組織へ改めてもよいが……」
「根本から間違っていますわ!」
「では、《紫乃至高叡智研究会》ならば?」
「名前を変えればよいという問題ではありません!」
「《SHINO未来教導機構》」
「却下です!」
「《大賢聖紫乃様と歩むユグドラ未来会》」
「長くなっていますわ!」
紫乃の怒声と、すみれたちの楽しそうな提案が、小会議室の外まで響き渡る。
結局、この日。
《紫乃至高叡智礼賛教導会〈シノ・サプリマシー〉》の正式設立は、本人の全力によって辛うじて阻止された。
しかし、すみれ、レイン、ミスト、ライラの四人による非公式の研究会が、紫乃の知らないところで密かに発足したかどうかは……また別の話である。




