第220話 疑惑の果ては、ただの事故
半ば連行される形で空いていた小会議室へ連れて来られたリゼットは、長机の真ん中にひとり座らされていた。
正面にはレネ、花恋、斗花。
少し離れて萌黄。
背後の壁際には冴月が立ち、義那と和久は扉の両側を固めている。
どう見ても、事情を聞くための配置ではない。
逃亡を防ぐ尋問の配置だった。
「それでは、第一回!」
レネが勢いよく片手を上げる。
「リゼットとクラウさんの間に、いったい何があったのかを聞く会議を始めます!」
「わぁ、会議だったんだ!」
萌黄が素直に拍手する。
「もえもえ、これは会議じゃなくて尋問だよ?」
花恋が小声で訂正すると、萌黄は納得したように手を打った。
「なるほど! だからリゼットさんだけ、一人で向こうに座ってるんだね」
「納得しないで」
リゼットは淡々と返したものの、内心では脱出経路を探し続けていた。
しかし、扉の前には義那と和久。そしてこの部屋には窓はなく、天井の換気口も人が通れる大きさではない。
何より、ここで逃げれば疑惑を深めるだけだった。
レネが机へ両手をつき、身を乗り出す。
「それで? クラウさんとどこで会ったの?」
「廊下」
「廊下のどこ?」
「居住区画から正面玄関へ続く通路」
「何してたの?」
「警戒放送を受けて移動していた」
「それだけ?」
「それだけ」
リゼットは表情を変えずに答える。
内容自体は、嘘ではない。
自室から飛び出し、廊下を走り、クラウとぶつかった。それ以上のことは起きていない。
しかし、すべてを話してもいなかった。
「ふうん……」
義那の金色の瞳が、妖しく細められる。
室内へ薄い狐火が灯り、その光がリゼットの影を揺らした。
「嘘は申しておらぬ。じゃが、本当のことをすべて話してもおらぬな」
リゼットの瞳が、わずかに動く。
和久も鼻先をひくつかせると、部屋へ漂わせていた霧を指先へ集めた。
「呼吸は乱れてへんし、脈もほとんど変わっとらん。さすがS級やね。せやけど、クラウはんの名前が出た時だけ、ほんのちょびっと体温が上がったで?」
「部屋が暑いだけ」
「うちの霧は、部屋全体の温度差を読めるんよ。暑いんやったら、みんな同じように上がるはずやろ?」
「…………」
「ほら、また黙った。怪しいなぁ」
和久は悪戯っぽく笑う。
花恋も頬へ指を添え、甘い声音で追撃した。
「それに、警戒放送を聞いて廊下を走っていただけなら、どうして服があんなに乱れてたのかなぁ?」
「着替えを急いだから」
「着替えてたんだ?」
「そう」
「何から?」
「……普段着から、戦闘用の服へ」
「その服、普段着と同じじゃない?」
一拍置いてから放たれた花恋の指摘に、リゼットの返答が止まる。
「あ、今ちょっと困った顔したよ? 図星かなぁ?」
「していない」
「するじゃん、そういう顔。思ったより可愛いんだね?」
「からかわないで」
「え、別にいじってないよ? 本当のことを教えてほしいだけ」
花恋は無邪気な小悪魔を装ったまま、まったく逃がす気がなかった。
斗花が腕を組み、核心へ踏み込む。
「で、クラウとぶつかったのか?」
「……そう」
「倒れかけたところを、抱き留められた?」
「そう」
室内の空気が一段変わる。
レネの目が大きく見開かれ、花恋の口元へ楽しそうな笑みが浮かぶ。萌黄だけは「やっぱりぶつかったんだ!」と、自分の推測が当たったことへ素直に喜んでいた。
「抱き留められて、それから?」
冴月の声が、背後から静かに届く。
リゼットは振り返らない。
振り返らなくても、冴月がどのような表情をしているのか、空気だけで十分に想像できた。
「……すぐに離れた」
「嘘じゃ」
義那が即答する。
「すぐやないね」
和久も続ける。
「体感時間の話」
「苦しい言い訳やなぁ」
リゼットのこめかみに、目に見えない汗が浮かび始める。
直接接触したクラウの魔力情報が、《幻想写界》へ記録された。
その事実を説明するには、自分が他者の能力を借り受けられることを明かす必要がある。
さらに、なぜ接触を意識したのか追及されれば、イロハの完全変身能力を密かに複製し、異界の男たちへ変身できるか試そうとしていたことまで話さなければならなくなるかもしれない。
(……いよいよ、《幻想写界》のことを話すしかない?)
リゼットが覚悟を決めかけた、その時。
会議室の扉が、三度ノックされた。
室内の視線が、一斉に入口へ集まる。
「入るぞ」
扉を開けたのはルーセント、その隣には京華。そして、二人の後ろには、どこか落ち着かない様子のクラウが立っている。
「なぜ、クラウ殿が……」
冴月の声が、一段低くなるのを、ルーセントは軽く肩をすくめた。
「廊下での件について、本人から説明があるそうだ。リゼットが会議室に連れていかれるのを見て、心配になったらしい」
京華も小さく頷く。
「クラウ殿、すぐ私たちに相談してきたんだぞ。なにか勘違いされているんじゃないかって」
促され、クラウが部屋へ入る。
室内に集まった女性たちの視線を一身に受け、勇猛な騎士であるはずのクラウの顔が、見る間に赤く染まっていった。
「その……先ほど、廊下で起きたことについて、俺から説明させてほしい」
クラウは、リゼットへ深く頭を下げる。
「まず、リゼット殿。本当に申し訳なかった」
「……あなたが謝ることではない。前を確認しなかった私にも責任がある」
「いや。だが、俺は……その……」
クラウの言葉が止まる。
何度も口を開こうとするが、声が続かない。そのたびに顔は赤みを増し、ついには耳まで染まっていった。
そんなクラウの様子に、冴月は胸の奥が、ひとつ小さくきしむのを感じた。
まるで、見たくない場面を見てしまったような、ほんのわずかな痛みが、静かに胸を刺す。
「何があったの?」
レネが急かす。
クラウは覚悟を決めるように息を吸った。
「廊下の角を曲がった際、リゼット殿とぶつかった。彼女が後ろへ倒れそうになったため、咄嗟に腕と背中を支えたんだ」
「それで?」
「その……強く引き寄せすぎて、抱き締めるような形になった」
女性たちの視線が、リゼットへ集中する。
リゼットは何も言わず、机の一点を見つめていた。
「さらに、彼女の衣服が少し乱れていて……身長差もあったから……俺は、その……」
クラウは拳を握り、顔を真っ赤にしたまま頭を下げる。
「胸元の肌を見てしまった! 本当に、すまない! 決して故意ではなかったんだ!」
「…………」
室内へ、重い沈黙が落ちた。
義那の狐耳がぴくりと動く。
和久は霧の流れを読み、何度か目を瞬かせた。
「……嘘、ついとらんね」
「うむ。隠してもおらぬ」
義那も、どこか拍子抜けしたように頷く。
レネはクラウを見て、次にリゼットを見た。もう一度クラウへ視線を戻し、信じられないように尋ねる。
「それだけ?」
「……ああ」
「本当に?」
「それ以外は、何もない!」
和久の霧は反応しない。
義那の狐火も揺らがない。
クラウは、完全に本当のことを話していた。
「はぁ!? それだけ!?」
レネの叫びが、小会議室を震わせた。
「二人揃ってあんなに顔を赤くして、リゼットなんて服まで乱してたのに、ただ廊下でぶつかって抱き留められただけ!?」
「……あと、見られた」
「そこは大事件だけど!」
レネは頭を抱える。
これまで頭の中で膨らませていた数々の可能性が、盛大に崩れ落ちていった。




