第217話 女王は、アクシデントさえ交渉材料にする
巨大人型機動兵器《魔導天使ラブレイザー・オルタ》の足元では、いまだ混乱の余波が残っていた。
「もう一度だけです! 今度は高度を半分にしますので、どうかお姉様の腕へ……」
「却下ですわ!」
「では三メートル! 三メートルなら愛の力があれば……」
「高さの問題ではありません」
「二メートルで手を打ちます!」
「交渉に持ち込まないでくださいまし」
斗花の腕の中でなおも再会のやり直しを求めるすみれを前に、紫乃は頭を抱えていた。
鏡宮が誇る絶対防壁への無断侵入。
警告信号の無視。
正体不明機としてミラーパレス全域を緊急警戒態勢へ移行させ、挙げ句の果てには、紫乃への愛情を全面に押し出した巨大人型兵器を前庭へ着陸させた。
どれかひとつだけでも、厳重な事情聴取を受けて当たり前の問題である。
すみれが何の理由で、なぜ連絡もなしにミラーパレスへ来たのか。それを自分の口から説明し、警戒態勢へ移行させたことを謝罪した上で、鏡宮側が被った損失についても話し合わなければならない。
(どこから説明すればよいのです……?)
紫乃は徹夜明けとは思えないほど冴え渡る賢者脳を総動員し、この事態へどう落とし前をつけるべきか考えていた。
すみれは自分の要請に応じて来た。その点については、紫乃にも責任がある。とはいえ、一時間以内に到着しろとは一言も頼んでいない。
所属情報を送信せず、警告にも応答せず、鏡宮の防壁を解析して素通りしてよいなどとは、もちろん許可もしていなし、頼んでもいない。
まして、紫乃の扇子と《百花繚乱》の紋様、その上『紫乃お姉様の笑顔が、私の燃料』などという文言を巨大兵器の胸へ刻めと頼んだ覚えは、天地がひっくり返ってもしていなかった。
(すみれの能力は必要です。ですが、最初の交渉でこちらの立場を悪くすれば、今後の発言力へ響きますわ。まずは警戒態勢を招いたことへの謝罪を行い、侵入方法については機密情報を開示する代わりに……)
紫乃が交渉の道筋を組み立て始めた、その時だった。
ミラーパレスの正面扉が、音もなく開き、それまで混乱と困惑に包まれていた前庭の空気が、一瞬で引き締まった。
兵士の一人が声を上げたわけではないし、ルーセントが号令を発したわけでもない。
ただ、その女性が姿を現しただけで、コード・ミラーとコード・ラインの兵士たちは一斉に姿勢を正し、四戒仙も自然と道を開けていた。
鏡宮美麗。
世界樹ユグドラシルを内包するミラーパレスの主にして、鏡宮財閥を率いる女王。
その数歩後ろには、感情の読めない仮面のような表情をしたエコーが当然のように付き従っている。
美麗は、前庭へ降り立った巨大人型兵器をゆっくりと見上げた。
深い紫と淡いすみれ色に彩られた機体。胸部に輝く紫乃の扇子と《百花繚乱》の紋様。そして、誰の目にも明らかな愛の宣言。
美麗の視線はそれらを悠然となぞったあと、機体の足元に立つ紫乃へ向ける。
紫乃も、頭を抱えていた手を下ろす。
二人の視線が、真正面から重なった。
どちらも微笑んではいない。かといって、露骨な敵意があるわけでもない。
美麗の眼差しは氷のように冷たく、それでいて新たな獲物を見つけた炎のような熱を帯びていた。
紫乃の瞳にもまた、相手の思惑を一言一句たりとも見逃すまいとする、賢者の鋭い光が宿っている。
誰も言葉を発しない。
静かな視線だけで、二人の間にはすでに、幾つもの交渉と牽制が交わされていた。
「お、お姉様と鏡宮の総帥が……」
斗花に抱えられているすみれが、興奮したように身を起こす。
世界最高峰の頭脳と、ミラーパレスを統べる鏡の女王。
その二人が正面から見つめ合う光景は、紫乃お嬢様最推しのすみれにとって、あまりにも刺激が強かった。
「この場面は記録しなければ……いえ、百花繚乱の緊急特別回線を開き、全員でお姉様の……むぐっ!?」
何かを叫び始める寸前、斗花の大きな手が、すみれの口を塞いだ。
「今は黙っとけ」
「むぐむぐっ!」
「お前が口を開くと、話が余計ややこしくなる」
「んむぅぅっ!」
「抗議はあとで聞いてやるから、今は本当に黙ってろ」
すみれは不満そうに手足を動かしたものの、斗花の腕から逃れられるはずもない。
美麗はそんな二人へ視線を向けた。
斗花にお姫様抱っこされ、口まで塞がれているすみれ。
美麗の瞳が、ほんのわずかに細められる。
しかし、何も言わない。
その視線はすぐにすみれを通り過ぎ、少し離れた場所で立ち尽くしているレインへ向けられた。
「レイン」
「——っ!」
ただ名前を呼ばれただけだった。
それなのにレインの身体は、雷に打たれたように大きく強張った。
先ほどまで《鏡界障壁〈ミラーフォートレス〉》の絶対性を豪語していた彼女は、所属不明機へ何の抵抗もなく通過を許した。
防壁に損傷はない。
出力低下もない。
接触記録さえ残っていない。
つまり、何が起きたのかすら解明できていない。
鏡宮の頭脳を名乗る自分が、主の目前でこれほど完全に出し抜かれた。その事実を、美麗が見逃しているはずはなかった。
レインは軍装の脇で拳を握り、深く頭を下げる。
「美麗様……申し訳ございません。《鏡界障壁》は正常に稼働していました。しかし、対象の侵入を認識できず、解析情報も取得できておりません。これは私の……」
「ふふっ」
美麗の小さな笑い声が、レインの謝罪を遮った。
責める声ではない。
失望した様子もない。
だからこそ、レインはかえって恐る恐る顔を上げる。
美麗は巨大人型兵器を見上げ、どこか楽しそうに微笑んでいた。
「こうして賢者様のブレインが、わざわざ私たちのもとへ来てくれたのよ。しかも、こんな素敵な機体と一緒に」
美麗の視線が、機体の胸部へ刻まれた文章を捉える。
『紫乃お姉様の笑顔が、私の燃料』
それを素敵と評するべきなのか。
その場にいる者たちの間へ、何とも言えない空気が広がった。
しかし、美麗は意に介さない。
「これは、チャンスよね?」
「……チャンス、でございますか?」
レインは怪訝そうに顔を上げた。
本来ならば、防衛機構を突破されたことは重大な失態である。
その侵入方法を解明し、ただちに欠陥を修正しなければならない。機体と操縦者を拘束し、どのように認証を欺いたのか尋問することさえ、決して不自然ではなかった。
しかし、美麗が見ているものは失態ではない。
絶対防壁を傷つけることなく通過し、エコーの監視網に接触情報すら残さなかった技術。
そして、それをわずか一人で構築した少女の頭脳。
「ええ、チャンスよ」
美麗はレインへ穏やかな眼差しを向ける。
「分からないのなら、教えてもらえばいい。欺かれたのなら、次は欺かれない仕組みを一緒に作ればいいの。あなたの《鏡界障壁》と、彼女が持つ技術。その二つを組み合わせれば、今まで以上の防衛機構を築けると思わない?」
「それは……」
「失敗を恥じる必要はないわ、レイン。未知の技術が自ら扉を叩き、目の前まで来てくれたのだもの。鏡宮の頭脳なら、それを追い返すのではなく、すべて学んで自分のものにしなさい」
レインの瞳が揺れる。
責められると覚悟していた。
しかし、美麗は失態を罰するのではなく、すみれという未知から学び、《鏡界障壁》をさらに進化させろと促している。
それはレインの誇りを傷つける言葉ではない。
むしろ、鏡宮の頭脳として貴女なら出来るわね?っと道を示す言葉だった。
「……承知いたしました。必ずや、この侵入方式を解明し、《鏡界障壁》をより強固なものへ進化させてみせます」
「期待しているわ」
美麗は満足そうに頷くと、今度は紫乃へ向き直った。
紫乃の背筋を、嫌な予感が駆け抜ける。
美麗がレインへ語りかけている間に、その意図は理解していた。
所属不明機による不法侵入。警戒態勢へ移行したことで生じた損失。絶対防壁の情報を外部から解析したという、情報保安上の重大問題。
美麗は、それらすべてを交渉材料へ変えようとしている。
「ユグドラ・フロンティアのこれからの未来のために、世界最高峰の頭脳が自ら協力を志願してくださる。とても素敵なことだわ」
美麗は優雅な微笑みを浮かべる。
そして、大勢の戦闘員、世界迷宮庁のS級冒険者、五星姫、さらには異界の英雄たちまで集う前で、逃げ道を塞ぐように問いかけた。
「そうでしょう……賢者殿?」
「…………」
紫乃の内心で、盛大な舌打ちが響いた。
(この女……!)
表情には出さない。とはいえ、美麗が仕掛けた手の意味は、痛いほど理解できた。
ここで否定すれば、すみれは鏡宮の防衛網を無断で解析し、所属を隠したまま侵入した危険人物となる。
紫乃に呼ばれたという事情があっても、すみれが行ったことはあまりに無謀だった。
事前の連絡はない。侵入許可も取っていない。警告信号にも応答していない。
しかも、ミラーパレスの全部隊を緊急展開させた。
その責任を厳密に追及されれば、紫乃も庇いきれない。
しかし、ここですみれがユグドラ・フロンティアの発展へ協力するため、自ら訪れたのだと認めれば、今回の侵入は『性急すぎた協力者の到着』として処理できる。
すみれは罰を免れる。
その代わり、美麗は世界最高峰の情報処理能力を持つ少女を、ミラーパレスの事業へ正式に引き込める。
しかも、その承諾を紫乃自身の口から引き出せるのだ。




