第214話 愛は、人型兵器になって降りてくる
地上の誰もが驚愕に包まれる中、ただ一人。
紫乃だけは、額へ手を当てたまま目を閉じていた。
(やはり……)
結界へ激突するのではないかという心配は、最初からしていなかった。
あの機体が、本当に紫乃の予想する人物によって造られたものならば、正面から防壁へ挑むような非効率的な真似はしない。
事前に鏡宮の防衛機構を可能な限り調査し、認証形式を解析し、必要ならば結界そのものに侵入者ではないと認識させる。
それくらいのことをする。
いや。
紫乃のもとへ一刻も早く駆けつけるためなら、それ以上のことさえ平然とやってのける。
(すみれ……あなたという娘は……)
紫乃は、ゆっくりと息を吐いた。
所属不明機が絶対防壁を通過したことに驚いているのではない。
恐れていた予想が、あまりにも正確に現実へ近づいていることに頭を抱えていた。
結界を通過した謎の飛翔体は、ミラーパレス本棟へ向かってなおも直進していた。
『対象、高度二百。急速に降下中』
エコーの報告に、前庭へ集まった全員が再び身構える。
このままの速度と角度で進めば、ミラーパレス正面区画へ激突する。
コード・ミラーが一斉に防御障壁を展開し、コード・ラインは非戦闘員を守るために後方へ下がる。
斗花が拳へ炎を集め、花恋は香術の術式を組み、萌黄も身体強化を最大まで引き上げた。
レネとリゼットは左右へ分かれ、相手が着地した瞬間に挟撃できる位置を取る。
「全員、衝撃に備えろ!」
ルーセントの号令が響く。
しかし、高度百五十メートルへ達したところで、飛翔体の挙動が変化した。
機体周囲を包んでいた光が反転し、前方へ向かって放出される。空を引き裂いていた轟音が急激に低くなり、後方へ長く伸びていた魔力の尾も短く収束していった。
『対象、減速を開始』
「地上へ近づきすぎたからか?」
リュカが機体の動きを見据えながら呟く。
速度は確かに低下している。
しかし、通常の飛行機械が着陸へ移行する際の動きとは異なっていた。
回転翼のように見えていた構造が停止する。
左右の翼が持ち上がり、いくつもの装甲板が細かく分割される。
「……なんだ?」
京華が眉をひそめた。
飛翔体の内部から、巨大な機械音が響き始める。
装甲と装甲の間から紫色の魔力光があふれ、複雑に折り畳まれていた構造体が、次々と位置を変えていく。
機体の前部が中央から左右へ割れ、その内側に隠されていた頭部がせり上がる。
左右へ伸びていた翼は折れ曲がり、関節を持つ二本の腕へ。
後部装甲は中央から分離し、長く強靱な二本の脚へ。
推進器は背中へ移動し、巨大な光の翼を思わせる形で展開されていった。
「変形……している?」
冴月が呆然と呟く。
飛翔体は空中で、その姿を大きく変えていた。
航空機でも、戦闘用魔道具でもない。
両腕と両脚を持ち、人間を模した頭部を備える、巨大な人型機動兵器。
全身を覆う装甲は深い紫と淡いすみれ色に彩られ、その境界を縫うように、白銀の魔導回路が美しく輝いている。
戦闘兵器らしい鋭利な輪郭を持ちながら、各所には花弁を思わせる優雅な意匠が施されていた。
その色彩を目にした瞬間、紫乃は完全に凍りついた。
深い紫は、紫乃を象徴する色。
淡いすみれ色は、すみれ自身の色。
二つの色が絡み合うように配された機体は、誰のために造られ、誰の想いによって動いているのかを、これ以上ないほど雄弁に物語っている。
「……嘘でしょう?」
紫乃の唇から、乾いた声がこぼれる。
だが、悪夢……あるいは一人の少女にとっての最高の夢は、まだ終わっていなかった。
人型へ変形した機体の胸部装甲が開き、その中央から、巨大な紋章がせり出す。
ひとつは、紫乃が愛用する扇子と同じ意匠。
優雅に広げられた扇を中心に、知恵と星を象徴する細やかな紋様が刻まれている。
その周囲を囲んでいるのは、五星姫を支える選ばれし百人の精鋭集団《百花繚乱》を示す花々の紋章だった。
紫乃の扇子。
百花繚乱の紋様。
もはや誰が搭乗しているのか、疑う余地など残されていない。
「紫乃……」
冴月が、何とも言えない表情で隣を見る。
「まさかとは思うが、あれは……」
「何も言わないでくださいまし」
「だが、胸にお前の扇が描かれているぞ」
「見れば分かりますわ!」
珍しく声を荒らげた紫乃だったが、次の瞬間、機体胸部の下側に刻まれた文字が目に入り、完全に言葉を失った。
紫とすみれ色の装甲を背景に、白銀の光を放つ大きな文字が、前庭にいる全員から見えるよう堂々と刻まれている。
『Shino-sama’s smile is my fuel.』
その直下には、わざわざアースリバース日本の文字へ翻訳された一文まで添えられていた。
『紫乃お姉様の笑顔が、私の燃料』
「…………」
紫乃の思考が止まった。
冴月も黙り込む。
斗花は口を開けたまま機体と紫乃を交互に見つめ、花恋は珍しくからかいの言葉さえ浮かばない様子で目を瞬かせている。
胸部の文字を読み終えた萌黄は、紫乃の固まった横顔をちらりと見て、花恋の袖をそっと引いた。
「……ねぇ、ねぇ、かれんたん。すみれ、また……やっちゃってるね」
花恋は声を出さずに、眉だけで「見れば分かるわよ」と返す。
「でもさ……胸に刻むって……これは、さすがに重いよね?」
萌黄がひそひそと囁く。花恋も同じく小声で返す。
「重いどころか……魔術学校の頃より、さらに壊れてる気がするんだけど」
萌黄は困ったように笑いながら、機体の文字をもう一度見上げた。
「でも……すみれって、紫乃先輩のことになると、いつもこうだったじゃん。ノート借りただけで三日くらい幸せそうだったし」
花恋は口元を押さえ、声が漏れないようにしながら返す。
「それは覚えてるけど……まさか機体に刻むレベルまで行くとは思わないでしょ……」
萌黄はこっそり肩をすくめる。
「……すみれだよ?」
花恋は小さくため息をつき、紫乃の固まった背中を見つめた。
「……先輩、すみれの破壊力でHP削られてるよね」
萌黄は「なんならMPもごりごり削れてそうだよ……」と小さく頷いた。
そして、レネは先ほどまでクラウとリゼットの関係へ向けていた意識を完全に奪われ、今度は巨大人型兵器を見上げたまま固まっていた。
リゼットも、未知の技術を分析することすら忘れ、胸部へ刻まれた文章を見つめている。
クラウたち《無冠の灯》に至っては、この世界では紫乃への愛情を巨大兵器へ刻む文化があるのか、それとも今だけが特別なのか判断できず、誰一人として言葉を発することができなかった。
ルーセントの白雷も、京華の雷も、義那の狐火も。
先ほどまで戦場を満たしていたあらゆる魔力が、困惑に合わせるように揺らいでいる。
絶対防壁を接触記録すら残さず通過し、空中で巨大な人型へ変形した謎の機体。
その胸には紫乃の扇子と百花繚乱の紋様。
そして、『紫乃お姉様の笑顔が、私の燃料』という、あまりにも個人的で、あまりにも重い宣言。
世界最高峰の冒険者たちと鏡宮の精鋭兵たちが、敵の大軍を前にした時以上の緊張をもって沈黙する。
人型機体は背中の推進器を噴射し、地上数十メートルの空中で静止した。
その頭部が前庭へ向けられる。
次の瞬間、胸部に搭載された外部拡声機が最大出力で起動した。
『お姉さまあああああああっ!!』
聞き覚えのある少女の声が、ミラーパレス全域へ轟き渡る。
紫乃の肩が、大きく跳ねた。
『お待たせいたしました!!』
巨大人型兵器が空中で片膝を折り、まるで主君へ忠誠を捧げる騎士のような姿勢を取る。
胸の扇子と百花繚乱の紋様が輝き、その下に刻まれた愛の宣言まで、無駄に眩しい光を放った。
『五十分と三十七秒もお待たせしてしまい、誠に、誠に申し訳ありません!!!』
すみれの歓喜に満ちた謝罪が、絶対防壁を越え、ミラーパレスの森を越え、遠くの空へまで響いていく。
前庭に集まった全員が凍りついた。
その沈黙の中心で、紫乃は片手で顔を覆い、消え入りそうな声で呟いた。
「……本当に、一時間以内に来ましたの、ね」




