第211話 警報より気になる、相棒の異変
その隣では、萌黄が周囲の空気を不思議そうに見渡していた。
クラウとリゼットが現れた瞬間、斗花の眉が跳ね上がり、花恋が息を呑み、レネに至っては明らかに全身を硬直させていた。
三人の雰囲気が一斉に変化したことだけは、萌黄にも分かる。
しかし、その理由までは今ひとつ理解できていなかった。
(えっ、なになに? どうしたの、みんな?)
萌黄は上空を見上げ、それからクラウとリゼットへ視線を移す。
確かに、二人とも顔が赤い。
リゼットは服を直している。
クラウはなぜか彼女の方を見ようとしない。
(あっ! もしかして廊下で全力疾走して、思いっきりぶつかったとか? それで服が乱れて、二人とも恥ずかしくなった? うん、それならありそうじゃん!)
恐ろしいほど正解に近いところへ辿り着いた萌黄だったが、その推測を恋愛的な出来事へ結びつける発想がなかった。
(でも、それだけでみんな、あんな顔するかな? 斗花さん、すごいびっくりしてるし、花恋たんは目がいつもの倍くらい開いてるし……レネさんなんて、魂が口から飛び出しかけてない?)
萌黄は首を傾げる。
その間にも周囲の者たちは戦闘準備を進めているため、さすがの彼女も声に出して尋ねることはせず、両手の手甲を打ち合わせながら、疑問符だけを頭の上へ増やしていった。
花恋は花恋で、表情を保つのに精一杯だった。
(えっ!? 何あれ、どういうこと!?)
動揺のあまり、心の中から小悪魔的な余裕が完全に消え去っている。
先ほどまで食堂では、レネや斗花、萌黄とともに、六人の男たちの誰が最も格好よいかという話で盛り上がっていた。
その中でもクラウは、《無冠の灯》を率いるリーダーであり、強さだけでなく仲間を守る意志と包容力を併せ持つ、まさしく物語の騎士を思わせる存在として高く評価されていた。
そのクラウが、女子会を断って自室に戻ったはずのS級冒険者リゼットと一緒に現れた。
しかも、ただ並んでいるだけではない。
リゼットは襟元を直しており、クラウは彼女から露骨に視線を逸らし、二人の顔には同じ種類の赤みが残っている。
(待って待って。リゼットさんって、ずっと自室にいたんだよね? クラウさんも別の滞在区画にいたはずじゃない? いつ会ったの? どこで会ったの? それで、どうして二人揃ってそんな顔してるのかなぁ?)
普段の花恋なら、二人のところへ歩み寄り、甘い声で尋ねていたかもしれない。
『何かあったの? ……そんなに顔を赤くしちゃって、怪しいんじゃない?』
そして相手の反応を眺め、図星ならさらに追及する。
しかし今は警戒態勢の最中であり、そんな真似をする余裕はない。
花恋は香術を発動するための香水瓶を指先へ挟みながら、表情だけはどうにか平静を装った。
(……あとで聞く。絶対に聞くからね? 別にいじり倒すつもりはないよ? ただ、あの二人に何があったのか、ちょっと詳しく教えてもらうだけ。うん、それだけだから)
心の中ですでに追及を決定している時点で、まったく穏やかではなかった。
しかし、この場で最も大きな衝撃を受けていたのは、斗花でも花恋でもない。
リゼットの相棒であるレネだった。
「…………」
レネは無言のまま、クラウとリゼットを凝視していた。
S級冒険者としての訓練が、その表情を辛うじて平静に保っている。所属不明の飛翔体が接近している以上、護衛任務と警戒を放棄することなどあり得ない。
それでも、頭の中では、すでに警戒放送を上回る勢いで別の警報が鳴り響いていた。
(……はあぁぁ!?)
まず浮かんだのは、それだった。
その直後、二人の様子をもう一度確認する。
リゼットの上着は、明らかにいつもの整え方ではない。
襟元には慌てて直した痕跡があり、片方の袖もわずかに捩れている。腰の留め具も本来より少し位置がずれ、灰色の長髪さえ普段より乱れていた。
他人であれば、緊急放送を受けて急いで飛び出してきたのだろうと考える。
しかし、なんといってもS級冒険者のリゼット・ヴェイルである。
どれほど切迫した状況でも、一呼吸の間に装備を整え、必要な情報を収集し、最短の動線を選択する女だ。敵地の中で眠りから叩き起こされた時でさえ、髪一本乱さずに行動を開始したことがある。
そのリゼットが、衣服を乱したまま人前へ出ている。
しかも隣には、異界の男であるクラウ。
さらに、二人とも揃って顔が赤い。
(えええええええっ!?)
レネの内側で、二度目の絶叫が響き渡った。
リゼットへ通信を送った時、彼女は部屋を出るのが遅れていた。
理由を尋ねると、「装備の確認に手間取った」と答えた。
その時点で珍しいとは思ったが、緊急事態だったため、それ以上深く考えなかった。
しかし今の姿を見てしまえば、先ほどの返答まで違う意味に聞こえてくる。
(ちょっと待って。装備の確認に手間取ったんじゃなくて、服を着るのに手間取ったってこと!? それで部屋を出た直後にクラウさんと会ったの!? いや、でも、会っただけで二人ともそんな顔にはならないよね!? 何したの!? 何されたの!?)
想像だけが、恐ろしい速度で膨らんでいく。
リゼットは恋愛に疎い。
男の話題にも関心がないような顔をしていた。
少なくとも、レネはそう思っている。
確かに装甲リムジンの中では、異界の男たちについて話している最中、珍しく頬を染めていた気もする。食堂で女子会が始まった時も、リゼットだけは自室へ戻っていた。
あれは、興味がないからではなかったのか。まさか、誰かと待ち合わせしていたのか。
そして自分たちが恋の話で盛り上がっている間に、相棒だけが一足先に、クラウとの何かを進展させたというのか。
(嘘でしょ!? リゼットだよ!? 私が男の人について質問しただけで、『任務と無関係』って顔をしてたリゼットだよ!? そのリゼットが、私の知らないところで何してるの!?)
レネは叫びたかった。
今すぐリゼットの両肩を掴み、クラウとどこで会い、何があり、なぜ服が乱れ、どうして二人揃って赤くなっているのか、最初から最後まで問いただしたかった。
とはいえ、空には所属不明の飛翔体が迫っている。
世界迷宮庁直属のS級冒険者として、この状況で任務を忘れるわけにはいかない。
レネは奥歯を噛み、無理やり正面へ視線を戻した。
(それに……リゼ、食堂に来た時と同じ服だよね? 情報整理するのに、服を脱いだり着替えたりする必要って……ある?)
数秒と耐えられず、また横目でリゼットを盗み見る。
しかし、さすがに相棒のレネでも……リゼットがイロハの完全変身能力をこっそり入手し、ひそかに試していたという真実には辿り着けなかった。
ちょうどその時、クラウとリゼットの視線が一瞬だけ重なった。
二人は揃って顔を赤くし、ほとんど同時に目を逸らした。
(はぁぁぁぁぁっ!? 今の何!? ねえ、今の何なの!?)
レネの表情は動かない。
しかし、握り締めた拳だけが小刻みに震えている。
そんな彼女を見た萌黄は、警戒態勢を保ったまま、ますます不思議そうに首を傾げていた。
(レネさん、どうしたんだろ? 寒いのかな?)
斗花は斗花で、二人の間に何があったのかを考え、花恋は後でどのように聞き出すかを組み立て、レネは相棒へ問いただしたい衝動と必死に戦っている。
女子会の四人は誰一人として声を上げず、正面上空へ向けて完璧な警戒態勢を維持していた。
少なくとも、外見だけは。
その内心では、接近中の所属不明飛翔体と同じか、それ以上の衝撃が、今まさに猛スピードで駆け巡っていた。




