第204話 次の検証対象は、逃げれない
白雷が放たれた瞬間、イロハは横へ避けるのではなく、床を強く蹴って正面から踏み込んだ。雷槍が肩口をかすめ、戦闘服の一部を焦がしたものの、今度はルーセントの懐へ潜り込むことに成功する。
同じ身体なら、同じ技を使える。
イロハは右手へ魔力を集中させ、身体に刻み込まれていた術式をなぞるように拳を突き出した。
「《白雷穿牙》!!」
至近距離から、白銀の雷槍が放たれ……しかし、ルーセントは何事もなかったかのように反応する。
半歩だけ軸足を引き、上体を沈めると、先ほどイロハが見せた動きよりも遥かに小さな挙動で雷槍をかわす。そのままイロハの手首を掴み、流れるように重心を崩すと、足を払って床へ投げ落とした。
「うわぁっ!?」
背中から落下する寸前、イロハは全身から白雷を弾けさせ、掴まれていた腕を強引に振りほどく。その勢いで空中で身をひねり、どうにか両足で着地するが、安堵する暇は一瞬たりともなかった。
すでに目の前には、本物のルーセントが立っていた。
「技の選択は悪くない。だが、お前の《白雷穿牙》は、発動の直前に肩がわずかに上がる癖がある」
「初めて使った技なのに、そこまで見抜くんですか……」
「敵はお前の成長を待ってはくれん」
「今の敵、上官なんですけど!」
「訓練中は敵と思え。甘えは命取りだ」
拳と拳が激突し、二人の間で白銀の雷が炸裂する。姿形はそっくりで、身体能力も魔力量も、扱える技もほぼ同等。
条件だけを並べれば互角のはずだった。とはいえ、現実はまるで違う。
ルーセントが何百、何千という戦場で磨き上げてきた間合いの読み、魔力を解放する一瞬の判断、あえて攻撃を外して次の一手へ繋げる戦術的な組み立て、そういった経験の層までは、完全変身能力でも再現できない。
イロハの身体はルーセントと同じ形をしていても、戦いで培った重みだけは、決してコピーできなかった。
そして、更にやっかいなことにイロハが身体に刻まれた技をひとつ繰り出す間に、ルーセントはその技の弱点を見抜き、対処法を組み立て、さらに自分の技を改善してくる。
同じ武器を持っているからこそ、習熟度の差が残酷なほど明確に現れていた。
「ほら、足が止まっているぞ!」
「止めたくて止めてるんじゃない!」
「判断が遅い!」
「上官の学習が速すぎる!」
「言い訳をする暇があるなら動け!」
「この鬼教官があああああっ!!」
イロハの悲鳴が、白雷の轟音にも負けず、訓練場いっぱいに響き渡った。
その情けない叫びを耳にしたルーセントは、追撃の拳を振り抜く直前、金色の眉を吊り上げる。
「私の姿で、そんな情けない声をあげるな!」
白雷をまとった拳が、イロハの鼻先すれすれを通り過ぎる。
圧だけで前髪が激しく揺れ、イロハの顔から血の気が引いた。
「胸を張れ! 顎を引け! たとえ追い詰められても、ビシッとせい!」
「中身は私なのに、外見へ要求しないで……」
「今のお前は、どこからどう見ても私だ! 私の威厳に関わる!」
「そんな無茶な……」
同じ顔をした上官から、自分の顔で情けない姿をさらすなと叱られる。
理不尽としか言いようのない状況に、イロハの金色の瞳へ、ついに大粒の涙が浮かび始めた。
それでもルーセントは攻撃の手を緩めるどころか、涙を見た瞬間、さらに声を張り上げる。
「泣くな! 少なくとも私の顔で泣くなら、もっと雄々しく泣け!」
「雄々しい泣き方なんて知らないし」
「ならば、それも今から教える」
「それは絶対、完全変身能力の検証に必要ないいいいっ!」
二人のルーセントが白銀の雷をまとい、訓練場を縦横無尽に駆け回る。
一方は、己の新たな弱点を発見するたびに目を輝かせ、それを即座に克服しながら攻撃を激化させる本物の戦闘教官。
もう一方は、まったく同じ顔を涙で濡らしながら、必死になってその猛攻から逃げ続ける不運な変身能力者。
観覧区域からその光景を見守っていた京華は、堪えきれずに腹を抱えて笑い、久遠はイロハへ向けて静かに手を合わせた。
「……能力の再現率は、極めて高い」
「ぶはははっ! そこじゃねぇだろ! 見ろよ、同じ顔で追い回してんぞ!」
「うむ。とはいえ、戦闘経験までは再現できない。それに、変身対象の技術を引き出すには、本人の精神と反射を身体へ適応させる訓練が必要。重要な検証結果だ」
「お前、冷静だなぁ」
「誰かが記録しなければ、イロハの犠牲が無駄になる」
「……まだやられてなんかいない!」
久遠の言葉を聞きつけたイロハの抗議が、訓練場の反対側から飛んでくる。
その一瞬の余所見を、鬼教官が見逃すはずもなかった。
「戦闘中に意識を逸らすな」
「えっ——ちょ、待っ……!?」
「《白雷連衝牙》!」
「新しい技を増やさないでえええええっ!」
無数の白雷が訓練場を埋め尽くし、二人分のルーセントの姿を白銀に染め上げる中、イロハの切実な悲鳴は、ミラーパレスの分厚い隔壁を越えそうな勢いでいつまでも響き続けていた。
白銀の雷がようやく消え去った訓練場には、嵐の通り過ぎた後のような静けさが訪れていた。
床には無数の亀裂が走り、訓練用の防壁は何枚か黒く焼け焦げ、空気には白雷が弾けた際に生じた独特の匂いが残されている。その中心では、完全変身を解除して元の姿へ戻ったイロハが、両手と両膝を床についたまま、肩で大きく息をしていた。
「お、終わった……今度こそ、本当に終わった……?」
乱れた髪の隙間から、恐る恐る顔を上げる。
その正面では、あれだけ激しく戦い続けたにもかかわらず、ほとんど呼吸を乱していないルーセントが、戦闘記録の表示された端末へ視線を落としていた。
「ひとまず、今日の検証は終了だ。完全変身による身体能力と魔力量の再現率は、どちらも想定を大幅に上回っている。ただし、技の出力に精神が追いついていない。明日からは基礎制御を中心に」
「今日は終わり。それだけ聞ければ十分……」
明日という不吉な言葉が聞こえた気もしたが、イロハはそれ以上考えることを放棄し、そのまま床へ倒れ込んだ。
仰向けになった彼女の口から、魂まで一緒に抜けていきそうなほど長い息がこぼれる。
「もう二度と、ルーセント上官には変身しない……」
「何を言う。これほど効率よく私の技を学べる機会はないぞ」
「学んだのは、上官に追い回される恐怖だけ……」
「恐怖を克服することも、立派な訓練だ」
「恐怖を与える本人が言わないで……」
イロハが力なく抗議する一方、観覧区域の端では、もう一人の検証対象であるヒフミが、誰にも気づかれないように少しずつ出口へ近づいていた。
イロハの完全変身と同じく、ヒフミにも新たな能力が発現している。
自身を中心に重力の方向や強度を変化させ、対象の動きを封じ、あるいは通常ではあり得ない軌道へ弾き飛ばす力。駐車場では京華に対して無意識に用いたものの、正確な効果範囲も、最大出力も、連続使用の限界も判明していない。
つまり、ヒフミもまた検証という名の模擬戦へ駆り出される可能性が、極めて高かった。
床で燃え尽きているイロハの姿を見れば、逃げるという選択は賢明に思える。
ヒフミは足音を立てないよう慎重に歩き、訓練場の出入口まであと一歩というところへ辿り着く。
「……気づかれてない」
小さく呟き、扉の開閉装置へ手を伸ばした、その瞬間だった。
背後から伸びた二本の手が、ヒフミの左右の肩を同時にがっしりと掴んだ。




