第203話 もう一人の私が、私を強くする
リゼットが自室で完全変身能力の可能性に頭を悩ませている頃。
そんなことなど知る由もない、その能力の本来の持ち主であるイロハは、ミラーパレス内の戦闘訓練場で、文字どおり命懸けの検証へ挑まされていた。
もっとも、本人が望んで進言したわけではない。
発端は、地下駐車場でイロハが朱音へ完全変身し、外見ばかりか魔力回路や身体能力、さらには保有スキルまでも再現できる可能性を示したことだった。
その報告を京華と久遠から受けたルーセントは、瞬きひとつだけして、検証項目を組み上げた。
外見の再現精度、身体能力と魔力総量の変化。そして、変身対象が保有するスキルの再現率。
本人と同一の身体を得た状態で、どこまで本人の戦闘技術へ迫ることができるのか。
イロハにとって不幸だったのは、そのすべてを調べるために最も効率的な方法を、ルーセントが一切の迷いなく選択したことである。
すなわち……実戦形式の模擬戦。
しかも対戦相手は、変身対象となったルーセント本人だった。
「……どうして、こうなったの」
訓練場の中央で、イロハは力なく呟いた。
今の彼女は、普段の小柄で物静かな姿ではない。
輝きを帯びた豪華な金色の髪。鋭く整った顔立ち。鍛え抜かれ、しなやかさと強靱さを併せ持つ長身。そして、鏡宮三柱の一角にふさわしい、立っているだけで周囲を圧するほどの魔力と武力。
頭の先から爪先に至るまで、誰がどう見てもコード・ルーセントそのものだった。
しかも、訓練用の戦闘服までルーセントのを借り受け、同じ意匠で揃えられているため、少し離れた観覧区域から見れば、二人のルーセントが向かい合っているようにしか見えない。
とはいえ、そこに浮かぶ表情だけは正反対だった。
一人は、自分自身という強者との戦いを前に、どうしようもないほどの愉しげな笑みを浮かべている。
もう一人は、これから訪れる未来を悟り、早くも目を潤ませていた。
「安心しろ、イロハ。模擬戦用の出力には抑える」
ルーセントが拳を打ち合わせると、その周囲に渦をまく白銀の雷光が走り、遅れて乾いた破裂音が訓練場を揺らした。
イロハはその光景を見つめながら、引きつった表情で問い返す。
「……ルーセント上官の言う『抑える』は、信用していい言葉?」
「無論だ。骨が数本折れたり感電程度なら、フェルマ殿がここ鏡宮の素材で創られた試作ポーションですぐに治る」
「それは、一般的に抑えてない」
「貴重なポーションが飲める、またとない機会だぞ」
「飲みたいなんて一言もいってない」
模擬戦の立会人を務める京華が、観覧区域で腕を組んだまま豪快に笑う。
「諦めろ。ルーセント教官に目ぇつけられた時点で、楽な検証になるわけねぇだろ」
その隣では、久遠がイロハへ同情するような眼差しを向けながらも、止める気配はまったく見せなかった。
「貴殿の能力は、あまりにも未知数。正確な性能を把握しておかねば、いずれ自分自身が能力に振り回される。ここで学んでおく方がよい」
「久遠上官まで、あちら側……」
「安心しろ。危険と判断すれば止める」
「その危険の基準が、京華上官と同じじゃないことを祈る」
「おい、それどういう意味だ」
「そのままの意味」
京華の抗議を聞き流しながら、イロハは渋々と腰を落とした。
身体が変われば、自然と構えまで変化する。
重心は普段よりも高いのに、不安定さはない。それどころか脚から腰、腰から肩へと力が淀みなく繋がり、少し踏み込むだけで、これまでの自分では考えられないほどの加速を生み出せることが感覚だけで理解できた。
体内を巡る魔力も、まるで別物だった。大量の白銀の雷が、血液と一緒に全身を駆け巡っている。
解放すれば、どのような現象が生じるのか。
技の名も、発動に必要な魔力の流れも、ルーセントへ変身した瞬間から不思議と理解できていた。
それでも、その力をどう戦いの中で扱うのかまでは、経験がなくてはできない。
「準備はできたか」
「……できていないと言ったら?」
「実戦で完成させろ」
「鬼教官」
「褒め言葉として受け取っておく」
次の瞬間、ルーセントの姿が視界から消えた。
否、消えたのではない。踏み込みが、あまりにも速かった。
白銀の軌跡だけをその場へ残し、ルーセントは一呼吸にも満たない間にイロハの眼前へ到達すると、雷をまとわせた右手を真っ直ぐに突き出した。
「《白雷穿牙》!!」
拳の先端から、獣の牙を思わせる白銀の雷槍が放たれる。
直撃する寸前、イロハは変身した身体の反応速度に任せ、半ば反射的に上体をひねった。
わずかに遅れて、頬のすぐ横を白雷が通り抜け、数十メートル後方の訓練用障壁へ突き刺さると、何重にも展開されていた魔力壁が一斉に明滅し、空気を揺さぶる轟音が響き渡った。
「……今のが模擬戦用!?」
「反応は悪くない。だが、避ける方向が単純だ」
ルーセントは攻撃を外したにもかかわらず、まるで予定どおりだと言わんばかりに踏み込みを継続する。そのままイロハが身体をひねった方向へ回り込み、逃げ道を塞ぐように足を振り上げた。
イロハは咄嗟に両腕を交差させて蹴りを受け止めたが、衝撃までは殺しきれず、床を削りながら大きく後退させられる。
「くぅっ……!」
「その身体なら、受ける必要はない。白雷を脚部へ集中させれば、もう一段速く離脱できる」
「そんなこと、いきなり言われても……」
「ならば、今覚えろ」
再びルーセントの周囲で白銀の雷が爆ぜた。
イロハは追撃を予測し、今度は自らの脚へ魔力を集中させる。全身を巡っていた白雷が一気に下半身へ集まり、踏み込んだ床に蜘蛛の巣状の亀裂が走ると同時に、その身体はルーセントの攻撃範囲から弾かれるように離脱した。
速い。しかし、制御が追いつかない。
想定を遥かに超える加速へ身体が振り回され、危うく転倒しかけたイロハは、どうにか片手を床へついて姿勢を立て直した。
「そうか。離脱時に上体を沈めすぎると、次の動作へ移る際に左側が死角になるのか」
追撃するどころか、ルーセントはその場で足を止め、自分とまったく同じ身体を用いたイロハの回避動作を、興味深そうに見つめていた。
その金色の瞳には、新たな発見を得た純粋な喜びが浮かんでいる。
「なるほど、私の避け方にはこんな隙があったのか……これは勉強になるな」
「……待って。今ので、自分の戦い方を分析した?」
「ああ。完全に同じ身体を外側から観察できる機会など、滅多にないからな。実に有意義だ」
「私は検証相手のはず。教材になるとは聞いてない」
「安心しろ。お前も同時に学べている」
「まったく安心できない」
ルーセントにとって、この模擬戦はイロハの能力を調べるだけのものではなかった。
自分と同じ体格、同じ筋力、同じ魔力回路を持つ相手が、自分の技を使い、自分の動きを模倣する。それを外側から観察することで、普段なら感覚として処理してしまう挙動を、客観的に分析できる。
そして一度見つけた欠点は、その場で修正する。
イロハがルーセントの身体へ慣れていくのと同じ速度……否、それ以上の速度で、本物のルーセントまで強くなっていった。
「……これ、時間が経つほど私が不利になる」
「よく気づいたな。そのとおりだ」
「そこは否定してほしかった」
「戦場で都合のよい否定を期待するな」
話している間にも、ルーセントの右手へ白雷が収束していく。
先ほどの《白雷穿牙》と同じ技。
しかし、魔力の集め方がわずかに違っていた。放出直前まで雷光を外へ漏らさず、イロハが予備動作を読み取れないように改善している。
「……もう修正してる」
「お前のおかげだ」
「嬉しくない……まったく嬉しくない!」




