第198話 映像だけが知る、彼女の素顔
雪を元の姿へ戻す場面へ、映像は進む。
敵として向き合っていたはずの雪を、六人は誰一人として見捨てなかった。
命を危険にさらしながら、自分たちに何の利益もないまま、ただ救える可能性があるという理由だけで、最後の瞬間まで手を伸ばし続けていた。
その行動は、戦術として見れば明らかに非合理的。
勝利を優先するなら、雪を切り捨てるほうがはるかに安全で、自分たちの消耗も少なく済む。それでも彼らは、迷いなく救う側へ踏み出していた。
「……非合理的」
リゼットの口から、再び同じ言葉が漏れる。しかし今度の声音には、戦術への批判ではなく、どこか胸の奥から湧き上がるわずかな熱が混じっていた。
理解できないはずの行動が、捉えることができないまま心へ触れてくる。そんな感覚が、彼女の中で静かに広がっていく。
少し前に配信された、猫娘たちの救出場面へ映像が切り替わった。
虫型魔物の群れが押し寄せる中、リュカは風の道を開き、カゲトラは猫娘たちへ一匹たりとも近づけまいと、無数の羽と脚だけを正確に斬り落としていく。
バルドは複数の猫娘をその巨躯に乗せ、安全地帯へ運び続けた。
戦いが終わったあとも、三人の行動は変わらない。
怯える猫娘のためにリュカは優しい音楽を奏で、カゲトラは抱きつかれて真っ赤になりながらも決して振り払わず、バルドは火の前に座り、全員が満腹になるまで黙々と肉を焼き続けていた。
リゼットは、バルドが泣いている猫娘へ焼いた肉をそっと渡す場面で映像を停止した。
大きな手が、怖がらせないように少しだけ腰を落とし、安心させるための穏やかな笑みを浮かべている。
その姿は、戦場で見せた豪胆さとはまったく違う柔らかさを帯びていた。
「……これは」
リゼットは静かに呟く。戦力分析ではない。任務上の危険評価でもない。その程度の区別は、彼女自身が一番よく理解していた。
胸の奥へ広がるこの感情は、分析とは別の場所から生まれている……リゼットは、まだその名前を知らなかった。
それでも、リゼットは停止を解除できなかった。しばらく画面を見つめたあと、無言のまま十秒戻し、再生する。
バルドが泣いている猫娘へ焼いた肉をそっと差し出す。
その大きな手の動き、腰を落として目線を合わせる優しさ、安心させるための穏やかな笑み……その一瞬を捉えたところで、再び停止。
もう一度戻す。再生。同じ場面が流れ、同じ優しさが映る。
「…………」
リゼットは無表情のまま画面を見つめていた。
しかし、頬だけがゆっくりと赤く染まっていく。自分では気づかないまま、胸の奥へ広がる温かさが、静かに表情へにじみ出ていた。
再生、停止、拡大。
その動作は淡々としているのに、視線は確かにその優しさへ引き寄せられていた。
その時、机の端に置かれた端末が小さく震え、画面にはレネからのメッセージが表示される。
『ねえリゼット、まだ任務中?』
続けて二通目が届く。
『こっち来ない? 今、六人の誰が一番格好いいか話してるの』
さらに三通目。
『リゼットの好みも教えてよ!』
リゼットは無言のまま端末を見つめ、ほんの一拍置いてから短く返信した。
『任務中』
ほとんど間を置かず、レネから返事が返ってくる。
『絶対、部屋で配信映像見てるでしょ』
「…………」
リゼットの眉が、わずかに動いた。否定するように、すぐ返信を打つ。
『違う』
『じゃあ何してるの?』
『情報分析』
『男の人たちの?』
『重要対象の戦力評価』
少し間が空き、レネから最後の一通が届く。
『何回見た?』
「…………」
リゼットは端末を見つめたまま、指を動かさなかった。
返信しようとすればするほど、胸の奥で何かが熱を帯びてしまうのが自分でも分かってしまい、そのまま静かに画面を閉じた。
頬がほんのり赤いことに気づいていないまま、無言のまま、ただ映像へ視線を戻す。
リゼットは、代わりに《虚零絶界》の出力を一段階引き上げた。
隠す必要のある相手は部屋の中にも扉の向こう側にもいない。
それでも……なぜか存在そのものを消したくなった。
自分でも理由が分からず、胸の奥がじわりと熱く、落ち着かないまま、気配を薄くする。
その頃、食堂ではレネが端末を見ながら声を上げて笑っていた。
「ほら! 返信止まった! 絶対図星!」
萌黄も楽しそうに笑いながら身を乗り出す。
「リゼット、可愛いところあるじゃん!」
花恋は小悪魔めいた笑みを浮かべ、わざとらしく肩をすくめてみせる。
「一人でこっそり見るなんて、意外と大胆だねぇ?」
さらに追い打ちをかけるように、花恋が端末を覗き込みながら言う。
「あとで、誰のところを一番多く再生したのか聞いてみようかなぁ?」
「やめてやれ。たぶん本気で消えるぞ」
斗花が呆れたように言いながらも、その口元にはしっかり笑みが浮かんでいた。
彼女の情報処置能力によって食堂の賑やかな雰囲気が、遠くからでも届いてくる。
そのたびに、リゼットは《虚零絶界》の出力をほんの少しだけ上げた。
存在を消したい理由は……自分でもまだ言葉にできなかった。
気持ちを切り替え、再び配信映像へ視線を戻す。
クラウ、ストレイ。、フェルマ、リュカ、カゲトラ、バルド。
六人の姿が順に映し出されるたび、リゼットの思考は静かに深まっていく。
誰が最も強いのか。誰が最も危険なのか。誰の行動を、より詳しく分析する必要があるのか。
答えを出すためには、まだ映像が足りない、少なくとも、リゼットはそう自分へ言い聞かせた。
「……分析継続」
淡々と呟きながら、再生位置を最初へ戻す。
黒の回廊十八深階。崩壊した戦場へ、異界の三人の男性が立つ場面が再び映し出される。
再生回数を示す数字が、また一つ増えた。
無表情を崩さないまま、頬だけが淡く染まっていく。
どれほど繰り返しているのか、自分が何度目の再生を始めたのか……リゼットはもうとうに分からなくなっていた。
リゼットは、再び映像の再生位置を改める。黒の回廊十八深階から、ユグドラシル中央聖域へ巨大な転送陣の光が弾け、四組の男女が広場へ降り立つ。
誰もが、転送前と変わらないお姫様抱っこの姿勢を保ったまま、緊迫した戦場の中心へ現れていた。
「…………」
リゼットの視線が、はじめて男達から外れ、光の柱の中に現れた一組の姿を捉えた。
映像を停止し、拡大する。
そこに映っていたのは、斗花の腕に抱えられた九条 紫乃。
普段の彼女は、常に余裕を崩さない。
優雅に扇子を開き、穏やかな微笑を浮かべながら、相手の逃げ道を一つずつ塞いでいく。
戦場でも、交渉の席でも、十理会を相手にしてさえ、その言葉が揺らぐことは決してない。
そんな紫乃が今は……斗花の腕の中で、わずかどころか、はっきりと頬を染めていた。
腕を組み、何か抗議しているように見える。
けれどその声はいつもの余裕ある調子ではなく、どこか震えを含んでいて、本気で降ろせと暴れているわけでもない。
触れ合う身体を拒むこともなく、むしろ斗花の腕へ身を預けているようにさえ見えた。
周囲の視線に気づいた瞬間、紫乃の頬はさらに赤くなり、扇子で顔を隠そうとしては、隠しきれない羞恥に指先までぎこちなくなる。
斗花が何か声をかけると、紫乃は小さく肩を跳ねさせ、その反応すらまた可愛らしい。
リゼットはその場面を数秒だけ巻き戻し、再生し、停止し、さらに紫乃の表情を拡大する。
扇子の影から覗く赤い頬、視線を泳がせる瞳、斗花の腕に預けた身体の微かな力の抜け方……どれも、完璧な賢者の姿とはまったく違う。
「……世界に名だたる賢者にも、可愛いところがあるのね」
静かな声が、誰もいない部屋へ落ちた。
その声音には、わずかな驚きと、ほんの少しの温度が混じっていた。
もしレネがここにいれば、今の一言だけで半日はからかわれていたに違いない温度を含んでいた。




