第196話 恋心は、分析できない
無冠の灯の男達の話で盛り上がっている女子会の最中に、萌黄が周囲を見回す。
「そういえば、リゼットは?」
「ああ。リゼットなら部屋」
レネが何でもないことのように応じる。
「ミラーパレスへ来てから増えた情報を整理するってさ。ほんっとアイツは真面目だわ」
「女子会に呼ばなかったの?」
「呼んだよ。でも『任務中』の一言で断られた」
「勿体ないじゃん! こんなに楽しいのに!」
萌黄が声を弾ませ、かわりに花恋は頬へ指を添え、意味深な笑みを浮かべる。
「本当に、任務なのかなぁ?」
「どういう意味?」
「だってリゼット、装甲リムジンでも男性たちの話を聞いている時、頬が赤くなっていたんでしょ?」
「なってた!」
レネが我が意を得たりと勢いよく頷く。
「本人は戦力分析って言い張ってたけどね」
「ふぅん……戦力分析ねぇ?」
花恋の小悪魔的な笑みが深くなる。
「それならきっと今頃も、一人で熱心に分析してるんじゃない?」
その推測は、ほとんど正しかった。
ミラーパレスの来訪者用居住区。
リゼットへ与えられた個室は、室内照明が落とされ、薄暗い静寂に包まれていた。
扉と壁、天井、さらには空調口に至るまで、彼女の魔力が薄く張り巡らされている。
気配、音、体温、魔力、存在認識。それらすべてを断ち切り、自身の存在を世界の認識から切り離す最高峰の隠密スキル。
《虚零絶界》
四戒仙ほどの気配読みの達人ですら、完全にスキルが発動したリゼットの存在を捉えることはできない。
世界迷宮庁が抱えるS級冒険者。
味方からさえ存在を悟られず、敵地の最深部へ侵入し、必要な情報だけを奪って帰還する《ファントム・ヴェール》の片翼。
リゼットは、物理的にも魔術的にも監視機器が存在しないことをスキルを使って確認し終えた部屋の内で、六人の男性たちが登場する配信映像を見つめていた。
「…………」
正面には複数の半透明モニターが浮かび、そこに再生されているのは黒の回廊十八深階、崩壊したボス部屋で戦う、異界の三人の男性の姿。
金髪碧眼の剣騎士クラウ。濃いブラウンの髪と白金の瞳を持つ眼鏡を掛けた魔術師ストレイ。幼さの残る端整な顔立ちと、しなやかな男らしい体躯を持つ調薬錬金術師フェルマ。
本来なら、この映像を見ても彼らの容貌は判別できないはずだった。
配信時、三人はストレイが展開した認識阻害魔法によって、世界中の女性たちの視界から男性としての特徴を完全に隠していた。
ストレイにとって特に細工もなく当たり前のように発動した魔法にもかかわらず、国家秘匿級の天才と称されるうたたでさえもレジスト出来ない、この世界においては最高水準の精度を誇るもの。
しかし、リゼットだけは違った。彼女のユニークスキル《虚零絶界》は、認識阻害の層を切り裂き、隠された情報を本来の姿のまま抽出することができる。
現時点で、この魔法を破れるのは世界中でもわずか数人レベル。そしてリゼットもその内の一人。だからこそ、彼女は三人の表情も、容貌も、戦い方も、誰よりも正確に観察できていた。
モニターに映る男達の姿を見つめながら、リゼットは静かにまばたきを繰り返す。その瞳には、認識阻害を越えて届いた真実の戦場が映っていた。
リゼットは映像を止める。
クラウが紫乃を庇い、敵へ向かって剣戟を放った場面で静止し、画面の一部を拡大する。
剣を握る手の強さ、踏み込みの軌道。そして、目の前で理不尽な暴力を受けた女性を守るため、一切の迷いなく危険へ身を投じる横顔。
その横顔には、戦闘技術だけでは説明できない意志が宿っていた。
「……判断が速い。そして剣筋がまるで見えない」
淡々とした声で呟きながら、リゼットは分析記録へ文字を入力していく。
《クラウ》
《戦闘判断――極めて高い》
《防御反応――予備動作なし》
《対女性礼節――過剰》
《正面戦闘――回避推奨》
そこで、指がふと止まった。無意識のうちに、新たな項目が追加されている。
《横顔――》
リゼットは数秒間、静かに画面を見つめ、分析者としての冷静さが、わずかに揺らぐ。
その揺らぎが何を意味するのか、自分でも判断できないまま……心のどこかに生まれた微かな感情を自分自身で見なかったことにするように、彼女はそっと項目を削除した。
再生を続けると、今度はストレイが広域魔術を展開する場面が映し出された。複雑な術式を同時に制御しながら、眼鏡の奥で白金の瞳が冷静に戦場全体を捉えている。
リゼットは映像速度を四分の一まで落とし、その動きを細部まで観察した。
「多重演算……最低でも七系統」
呟きは淡々としているが、その声の奥には異常な技量を前にした分析者の静かな驚きがにじんでいた。
単純な魔力量だけではない。
術式の精度、発動順序、そして何より恐るべきは、無秩序に放たれたように見える無数の神聖魔法の光の槍が、仲間や倒れている五星姫の誰も巻き込まず、紫乃の魔導ドローンすら傷つけないように綿密に範囲調整されていることだった。
そのすべてが、常識的な水準を大きく逸脱している。
リゼットは静かに息を吸い、自分が《虚零絶界》で接近したとしても、ストレイが展開する広域探知術式を完全に抜けられる保証はないと判断する。
仮に初撃を通せたとしても、その一撃で仕留められなければ、次の瞬間には無数の魔術が退路を塞ぎ、戦場そのものがストレイの支配領域へ変わるだろう。
その結論は、分析者としての冷静さと、戦士としての本能が同時に導き出したものだった。
《ストレイ》
《魔術演算――測定不能》
《広域制圧――S級上位相当》
《眼鏡――》
分析記録へ淡々と項目を入力していたリゼットの指が、そこでふと止まった。
映像の中で、ストレイの眼鏡がわずかに光を反射し、その奥の白金の瞳が戦場を冷静に見渡している。
その姿が、リゼットの視線を引き寄せ、無言のまま画面に釘付けとなる。
分析者としての冷静さは保っているはずなのに、その沈黙には、どこか言葉にできない感情が混ざっていた。
やがて、リゼットは小さく息を吐き、自分でも理由の分からないまま追加してしまった項目をそっと削除する代わりに、別の形で記録へ残した。
「……戦闘装具、もしくは魔道具としての形状確認」
誰に説明するでもなく、ただ自分の思考を整理するように静かに呟き、心の揺らぎを分析という形に変換して、自分の中へ戻していくように、そのまま項目を記録へ残した。
次に映し出されたのはフェルマだった。
戦闘中はクラウやストレイのように激しく動くことはなく、むしろ固まっていたように見える。
しかし、彼が動き出すと、その意味は一気に重みを増した。
冴月の命を救うためにエリクサーを紫乃へ渡し、彼女が回復すると、伝説級のアイテムポーチから特級ポーションを取り出し、斗花、うたた、夜々へ迷いなく配布していく。
その一連の動作は、ただの補助ではなく、戦場全体を俯瞰し、必要な薬を瞬時に選び、調合し、使い分ける高度な判断と技術の結晶に思えた。
攻撃、回復、強化、魔力補充、状態異常解除。
小さな薬瓶ひとつで戦況そのものを変えてしまう……それがフェルマの戦い方なのだと、リゼットは静かに理解する。
しかも、映像に残っているのは彼が本気で戦った姿ではない。戦闘スタイルの核心は、まだまったく見えていない。
「準備時間を与えた場合、危険度はさらに上昇」
リゼットは淡々と呟きながら、分析記録へ新たな項目を追加する。
フェルマ本人の直接戦闘能力だけを見れば、クラウやストレイには確かに劣る。
しかし、どのような戦闘スタイルを隠し持っているのか分からない。そして、錬金術師という職種は未知の手札を持つほど脅威が増す。
一度目の接触で仕留めきれなければ、二度目には確実な対策を用意してくるだろう。諜報員にとって、手の内を知られた錬金術師ほど厄介な相手はいない。
リゼットはモニターを見つめながら、その静かな危険性を確かに記録へ刻み込んだ。
《フェルマ》
《調薬能力――既存基準外》
《事前準備後の交戦――禁止推奨》
《容姿――》
入力していた指が、そこでふと止まった。
リゼットは画面に浮かぶ二文字を静かに見つめる。戦闘分析の記録に容姿という言葉が混ざるのは、彼女自身にとっても意図しない行動だった。
数秒間、無言のまま映像を見つめる。
フェルマが五星姫たちのために薬瓶を選び、迷いなく差し出していく姿……その柔らかい表情が、認識阻害を破った《虚零絶界》の視界にだけ鮮明に映っていた。
薬瓶を渡す瞬間、フェルマはほんの少しだけ肩をすくめ、顔を真っ赤にして照れながら、それでも心の底から嬉しそうに微笑んでいた。
自分の作った薬が誰かを救えることが、彼にとっては何よりの誇りなのだと分かる表情だった。
その表情を見た瞬間、リゼットの心がわずかに揺れた。
胸の奥がふっと温かくなるような感覚が走り、気づけば彼女自身の頬も、フェルマと同じように赤く染まっている。
自覚はない。理由も分からない。ただ、視界に映った照れながらも嬉しそうな男性の笑顔が、リゼットの心を静かに溶かしていく。
やがて、彼女は小さく息を吐き、入力した項目をそっと削除する。
そして、数秒後……分析者としての冷静さを取り戻した指が、別の表現で打ち直した。
《外見的特徴――詳細な記録が必要》
これなら戦力分析の範囲に収まると、リゼットは納得し、再び淡々とした表情へ戻ると、モニターに映る三人の姿を静かに観察し続けた。




