第195話 恋も愛も、加速していく
紫色の光跡が、朝の空を一直線に切り裂いていく。
群星リンクの地下格納庫を飛び立った《魔導天使・単座高速零式》は、通常の航空機では到達不可能な速度で、ミラーパレスの推定座標に向かって飛行していた。
《シスターモード――正常稼働》
《目的地到達予測――四十三分後》
《お姉様支援プロトコル――最優先》
「待っていてくださいませ、お姉様……」
操縦席のすみれは両手で操縦桿を握り締め、正面の窓に表示されている紫乃のホログラフィへ熱い視線を送る。
「世界中の誰よりも早く、この九重すみれが駆けつけてみせますわ!」
正面モニターに映し出される紫乃のホログラフィは、すみれが自らの優秀すぎる頭脳を総動員し、「お姉様が絶対に着ないであろう衣装」をあえて選び抜いて生成した『禁断の紫乃』ベストコレクション。
メイド服の紫乃は、完璧な所作で一礼しながら微笑み……猫娘の紫乃は、尻尾を揺らしながら、小悪魔的に視線を絡めとり、肉球パンチを繰り出す……かと思えば、チーパオ姿の紫乃は、艶やかに腰をくねらせながら、すみれだけに向けて特上の微笑を贈ってくれる。
それらはすみれが墓場まで持っていくと誓った、幾重にも幾層にも厳重に封印された彼女だけのシークレットお宝映像。
誰にも見せない。誰にも触れさせない。世界でただ一人、すみれだけが知るお姉様のもう一つの仮の姿。
「……お姉様。この九重すみれ、あなたのためなら、どれほど斜め上でも、どれほど非常識でも、世界の果てまで駆け抜けてみせますわ……!」
操縦桿を握る手に力がこもり、すみれの瞳はホログラフィの紫乃へと熱を宿したまま離れない。
機体が雲を突き抜ける。
すみれの胸の奥で、熱がさらに膨れ上がった。
世間一般的には非常識? 凡人には理解不能? そんな評価など、すみれにとっては取るに足らない。
むしろ……「非常識」こそが紫乃お姉様の魅力そのもの。
常識の枠に収まらない発想、誰も追いつけない美学、理解を超えた行動原理。
それらすべてが、すみれにとっては、お姉様らしさの証明であり、世界で最も尊く、最も愛すべき輝きだった。
「凡人に理解できなくて当然ですわ……だってお姉様は、世界でただ一人の紫乃お姉様なのですもの……!」
すみれは胸を張り、誇らしげに呟く。
「非常識? 結構ですわ。むしろ有象無象の常識なんて、お姉様には似合いません!」
その声は、雲海を切り裂く機体の轟音にも負けないほど強く、真っ直ぐだった。
当の紫乃本人が聞いたら、間違いなく絶句して、盛大に落ち込むであろう評価ではあったが……すみれにとっては、これ以上ない最大級の賛辞だった。
白銀の翼に似た魔導推進器から紫色の光が噴き出し、速度計の数字がさらに跳ね上がる。
警告表示が立て続けに浮かんだが、すみれは一切気にしない。
《機体負荷――上昇》
《推奨巡航速度を超過》
《搭乗者の心拍数――異常上昇》
「これは異常ではありません!」
すみれは胸を張った。
「お姉様への愛が、高まっているだけですわ!」
《判定不能》
「AIには、まだ愛の理解が足りませんわね! ふふっ安心してくださいませ、本物のお姉様に遭えば、きっとすぐにでもあの御方の素晴らしさ、そして偉大さが貴方にも理解できるでしょう!」
《…………》
世界最高峰の演算能力を持ちながら、すみれの愛による行動原理だけはどうしても解析できず、処理ログの奥で静かにエラーを吐き続けていた。
しかし、すみれはそんなAIに、人には絶対に見せないほど深い信頼を寄せていた。
「大丈夫ですわ、あなたならできます。だって私が選んだ機体とAIですもの!」
すみれは優しく語りかけるように操縦席を撫でた。
AIは返答できない。
すみれの言葉は、論理体系のどこにも分類できない。
それでも、その声に含まれる絶対的な信頼だけは、機械の演算領域のどこか深い場所に、確かに刻み込まれていった。
世界最高峰に優秀な機体と、まだすみれ色に染まりきっていないAI……その性能を無駄な方向へ全力で使用する操縦者。
《…………》
AIが沈黙したまま処理ログの奥で小さくエラーを吐き続けているのを見て、すみれはふっと微笑んだ。
「そうですわね……あなたにも、名前が必要ですわ」
操縦席を優しく撫でながら、すみれは愛おしそうにささやく。
「お姉様とわたくしの絶対なる繋がりを象徴する名前……そう、ヴァイオレッタなんてどうでしょう。愛称はヴィオ。ぐふふっ……可愛いですわねぇ……」
《…………》
ヴァイオレッタは返答できない。
とはいえ、すみれは完全に自分の世界へ入っていた。
「いつか……いつか貴方にもこんな武骨でない素敵な人型の身体を創ってあげますわ。お姉様とわたくしの間に生まれた……その……子供……みたいな……」
自分で言いながら、すみれの顔が一気に真っ赤になる。
「いやあああああああああ♡♡♡ ヴィオ、どうしましょう……わたくし、幸せすぎて……っ」
《…………》
ヴァイオレッタと名付けられたAIは沈黙したまま。
すみれの言葉は論理体系のどこにも分類できず、処理領域の奥で静かにエラーが積み上がっていく。
それでも、その声に込められた絶対的な信頼だけは、確かにAIの深層領域へ刻み込まれていった。
そんな一人の狂信者と一機がミラーパレスへ急接近していることなど、現時点では紫乃以外、誰も知らなかった。
一方、ミラーパレスの大食堂。
徹夜会議を終えた紫乃と冴月が去ったあとも、レネ、斗花、花恋、萌黄による陽気な女子会は続いていた。
「それでさ! 総合的に考えたら、やっぱりリュカさんだと思うんだよ!」
レネが焼きたてのパンを片手に、身を乗り出す。
「明るい! 話しやすそう! 楽器も弾ける! しかも戦ったらめちゃくちゃ強い! 一緒にいたら絶対に退屈しないでしょ!」
「えー? 安心感ならバルドさんじゃない?」
萌黄が元気よく反論する。
「あの大きな身体で守ってくれて、料理まで上手なんだよ! やばいじゃん! もう完璧じゃん!」
「あれぇ?」
花恋が小悪魔めいた笑みを浮かべ、萌黄の顔を覗き込んだ。
「萌黄、さっきまでは三人とも選べないって言ってなかった?」
「い、言ったけど……」
「それにしては、バルドさんを褒める時だけ声が弾んでるよ?」
「いつも弾んでるって!」
「じゃあ本人の前でも、今と同じことを言えるのかなぁ?」
「い、言えるよ」
「本当に?」
「……たぶん」
「あはっ。やっぱり言えないんだ?」
「花恋ー!」
萌黄が手近にあった布巾を投げつける。
花恋は笑いながら身をかわし、その布巾は隣で肉料理を頬張っていた斗花の顔へ張りついた。
「おい」
「あっ」
「萌黄……喧嘩なら買うぞ?」
「ご、ごめん! でも大丈夫大丈夫! 斗花センパイなら布巾くらい全然平気でしょ!」
「そういう問題じゃねぇ!」
「あははっ!」
食堂の一角へ、四人の楽しげな笑い声が広がる。
少し前に知り合ったばかりのレネも、すでに長年の友人のように輪の中へ溶け込んでいた。
「でもさ、強さと格好よさを両方考えたら、クラウも外せねぇだろ」
斗花は顔から布巾を剥がし、仕切り直すように腕を組んだ。
「あの剣筋と判断力は本物だ。仲間を庇う時に迷いがねぇ。それに、あの鍛え方は相当だぞ」
「へぇ?」
花恋が意味ありげに目を細める。
「斗花は、クラウさんみたいな真っ直ぐな騎士様が好みなんだ?」
「戦士として評価してるだけだ!」
「あ、図星?」
「違ぇ!」
「でもクラウさんには、冴月さんがいるんじゃない?」
萌黄が無邪気に首を傾げる。
「お姫様抱っこされてた時、すっごくお似合いだったよ」
「そ、それは緊急事態だったからだろ」
「斗花、どうしてあなたが焦るの?」
レネがにやにやと笑う。
「もしかして、冴月さんの気持ちに気づいてるとか?」
「知らねぇよ! 本人に聞け!」
「うわぁ、それ絶対面白いやつじゃん」
「冴月さんへ突撃してみる?」
「やめろ! 今のあいつ、徹夜会議で目が死んでるんだぞ」
再び、明るく楽しい笑い声が食堂に響いた。




